祝宴の陰 -IV

 怪盗星蜥蜴の死。

 それは世間には、確かな報となって広まらなかった。

 リザだって、その今際の時には傍にいなかった。

「そのお話、僕、聞きたい」

 膝元に寄り添っていたコリンが、顔を上げて真剣な眼差しをリザに向ける。

「コリン」

 戸惑うリザから、コリンは視線をそらさず言った。

「リザがパパのこと大好きなの、いつもすごく伝わってくるんだ。なのになんで一緒にいられなくなっちゃったのか、知りたいもの」

 コリンには、父はもう亡くなったとは伝えてある。

 けれど寝物語に聞かせた星蜥蜴のお話には、結末はなくて。

 だって父の死は、大怪盗の最後と言えるような幕引きだとは思えなかったから。

「星蜥蜴は、怪盗のお仕事をしている最中に亡くなってしまったの?」

「……パパは『最後の仕事にするつもり』って言ってた」

 リザは腿に肘をついて、頭を抱えた。ため息が漏れ出したのは、黙り通すことを諦めたから。あと、少しでも心を静めるために。

「パパはその最後の仕事で、いつもみたいに警察に予告をしなかった。私もダニエルも、パパがその晩、どこへ忍び込んだのかは聞いてなかった。パパは夜が更けても、朝日が昇っても、次の夜になっても帰ってこなくて」

 リザは両手で顔を覆う。

「その翌朝、ようやく会えた時、パパは遺体安置所にいたの」

 腹の中身がせり上がってきて、喉をふさぐようだった。


 思い出す。広いのに薄暗く重苦しい部屋、特有の臭い。十分な大きさの部屋を埋める、何台ものベッド。

 遺体安置所モルグには街中から運ばれた遺体が、白い布をかけられて安置されていた。

 陰鬱な顔をした職員たちが、遺体を処理していく。慣れた彼らはよほど酷い状態の遺体でなければ、顔色一つ変えず淡々と仕事をこなしていた。

「ジャンはどこかから落ちたか、もしくは転倒でもしたか。頭を強く打ったことが原因で亡くなったとのことでした。怪盗をしていれば、ありそうな事故です」

「事故、なの?」

「わからない。ただ、ある屋敷に不法侵入しようとした不審者が、建物に忍び込もうとして失敗して、どこかから転落だか転倒だかして、勝手に敷地内で死んだんだそうよ」

 大きな災いに巻き込まれたようでもない、素性のしれぬ不審な男の遺体は綺麗なもので。職員たちは慣れた手つきで遺体を検分して、さっさと父のベッドから離れていった。

「そんな風に警察に通報されて、処理されて、怪盗星蜥蜴として死を迎えることもなく。パパの身元隠蔽は見事なものだったから、私に連絡が来ることもなく。ダニエルが方々探して、情報を集めて、なんとかエレクトレイ市内の安置所でパパを見つけてきてくれたの」

 ベッドに横たわった、灰色の顔。もう二度と優しく笑ってくれることも、暖かな腕で包んでくれることもない、変わり果てた父。愛用の片眼鏡は無くなっていた。

「もしパパの死が事故じゃなくて、誰かの手によるものだったら。『魔法の泉』や『硝子の蜃気楼』の秘密に関わるものだったら。私がパパのもとに駆けつけたことがばれたら、良くないからって。パパを引き取りに来たところを見つかったら危険かもしれないからって、ダニエルが言うから。私、ほとんどまともにお別れもできなかった」


 あまりにも突然で、残酷な現実を受け止めきれずに、リザはただ茫然とするだけだった。鼓動を止めた胸に縋りついて、誰に、どれだけ強い力に引きはがされようとしても、傍を離れなければよかったのに。

「俺だって、忍びなかったですけど」

 促されるまま安置所の外に出て、一頭立ての辻馬車に押し込まれたことは覚えている。ダニエルが御者に伝えていたのか、気づいたら当時父と住んでいた家へと帰りついていた。

「あなたのこと、一生恨んでやるんだから。もしあの時、パパを死に追いやった奴の方から近づいてきてくれたら、その場で問い詰めてやっても、殺してやっても良かったのに」

 殺す、の言葉にコリンが目を剝く。リザはコリンには優しい顔ばかりでなく、荒っぽいところも見せているはずだけど、それらはリザの一部でしかなく。

 もうずっと、この胸には痛みも憎悪も渦巻いている。

 それは時に、父がくれた幸福な思い出や温かさまで飲み込もうとするほどに。

「事故の線だって消えてないでしょうに。……まあ、ジャンがあの晩、何かを決意していたのは確かですから。そんな単純な話ではないでしょうけどね」

「パパに家族のお墓があるかも分からないから、無縁墓に入れるしかできなかったのよ? 私にはお墓なんて用意できないし、あなたが葬送の手続きをすべてこなしてくれたのは助かったけれど、私、本当に何もできないまま」

 それ以上は、もう言葉にならず。

 唇をかみしめて、叫び出しそうな衝動と嘆きの声を必死で押しとどめた。

「ごめん、ごめんねリザ。悲しいこと聞いてごめん」

 コリンの方が、泣きそうな顔と声をして。小さな手で懸命に、震えるリザの手を握った。

 その手は暖かく、それでもなお埋まらないものが身の内にある。

「……作戦会議は日を改めましょうか」

 ダニエルが静かに去ろうとする。

 彼は下手な慰めをしない。孤独に震えるご婦人やら令嬢やらを、散々癒しているくせに。いわく、上辺だけの言葉しか持たないから。

 こっちだってあやしてほしいなんて思ってないし、この薄情な分冷静な男に、そうしょっちゅう泣き顔を見せてやるつもりもない。

「いいえ、続けましょう。そうそう時間もないし」

 コリンの柔らかな手をそっと握り返して、リザは再び顔を上げた。








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