眠りの魔術師の町の話

 城門から、いよいよ町の中に足を踏み入れた。


「第一階層は市街地。まあ、普通の町だね。

 市場があって、それぞれのギルドがあって」


 普通とはなにか。なんだったか。一望して魔女は圧倒されていた。


 城門は市街より高くなっている。町の全体像としては火口の中にある盆地のつくり。中央に行くほど下がっていく。建物が並んでいるのではなく、生クリームのケーキの上に小さくなって乗っているような。隆起をくり抜いて、そこに家が入っている。

 

 ハルパスは肩から降りると、トンカチを手に地面を叩いた。すると透けるような金属音が響いた。


『ふむ、魔界の百貨店でも使われている白象牙ブラン・イヴアールだな。

 魔力を注いでやれば飴細工のように加工できる』

「そうなんだ。初めて聞いたよ」

「ハルパスは建築にすごく詳しいシャミよ」

『急ごしらえで塔や城を作れと命じられたらこいつを使うんだ。

 しかし生成者はとうの昔に失われているようだぞ。加工するのは骨折りだろうよ』

「百識の魔術師が考えたコテで変形させるね。

 石工・大工の座の連中が取り仕切っているよ」

『度々出てくるが、その百識の魔術師とやら相当の腕だな』


 魔法を特別なものではなく日常になじませた魔術師。偉大な九賢者の名を冠する。

 術式を簡略化させ、何より悪用させないよう対抗魔法の開発と法整備に尽力したとされている。黎明期から国に仕え、現在も教皇庁の顧問として発言の機会は多い。


 ただし同じ姿で公に現れることはなく、名前を継いだ弟子、或いは研究集団がその名を語っているといわれている。

 

 ――実際はフィン殿下と絆魂し、永劫に近い命を与えられてて、こうして星の目を通して観察しているわけだが――持ち上げられすぎると少々気恥ずかしくもある。


「ほら見て、ちょうど中央の空港に飛空艇、第三機動艦が停泊しているわ」


 遠目に、豆粒のような人と乗り物、荷物が行き来しているのがわかる。

 竜の翼の国の、主力飛行艇 第三機動艦は商人の座の本部がある旗艦である。

 世界の滅びから逃れるための空船から分化し、地に錨を下ろした五機の一つ。

 海路以上に定期的に主都市を回り、インフラの要となっている。


「魔女ちゃん、すごいタイミングで来訪したものね。旗艦が停泊するなんて、四の月齢に一回(月齢で数え一週間は八朔、これを四回の周回で、ひと月を指す)あるかないかなのに」

「怖い偶然シャミね」


 占いは得意ではないが、占い師でなくてもわかりきっている。

 きっと今日この日、奇縁が生まれているのだと思う。



 二階層目は乱雑に居住区が並ぶ一階層目と打って変わり、整然とした街並みである。


「職人街と、研究棟が並んでいるんだよ」

「町が丸ごと、学校みたいな感じシャミか」

「もともと、ここは遺跡の研究チームが活動していた区画なんだ。研究資料を公開している図書館や購買部がそのまま残ってる」

「購買部というよりは、魔術師の工房がずらり、という感じシャミ」


 色とりどりの旗が家々に吊られている。


「シャミーのお店もここに軒を並べられませんかねえ。しっくりくる気がするシャミ!」

「曲者が多いよ? まともな人は竜の翼の国の学園か、北の竜鱗騎士団領の学園で研究してるんだから。トラブルを起こして流れて来てたり、百識の魔術師の制定した法から逃れてきた黒魔術士もいるって話。取り締まる騎士団とかないからね、この国には」

「無法地帯?」

「そうならないように、うちのギルドや教会が自警団作ってフォローしてる。といってもまあねえ」


 コロンさんは大きく嘆息した。


「眠りの魔術師はこの町全てを監視できるらしいわ。なにかしでかしたら、彼女が直々に手を下すわ。この町で彼女に睨まれたら、終わりだよ。いつの間にか、居なかったことになってたりね」

「ひええ」


 今も視られているのだろうか。背中に寒気を感じつつ、足早に第二階層を抜けた。



 ――こちらから見えていない以上、向こうも視ていないと思うよ。どこまでも、あくまでも偶然を装って彼女と出会わなくてはいけない。彼女に認知された瞬間、夢の世界。睡魔の世界とやらに引きずり込まれかねないのだから。これは彼女、眠りの魔術師と戦う上での、最低条件だ。




 第三階層になると、空港に近いからか人通りが多くなってきた。多くに感じるのは正門ではなく裏山から入ってきたということもあるが。気配遮断の帽子を被り、コロンさんの後に続いた。建物も淡白な感じから、装飾が目立つようになっている。寺院の回廊のような円柱が並び、建物がくり抜いた穴倉ではなく、地面から一体成型のアーチが伸びていたり、凝ったマントルが施されている。街路樹が植えられ、広場になっているところには噴水や簡単な庵があった。


「疲れてない?」


 コロンさんが気を遣って声をかけてくれた。

 甘えたら、そこらで出ている露店で何か買ってくれそうな雰囲気だから、首を横に振った。

すると案の定、冷菓子を買って与えてくれたのだった。甘やかし上手。

 庵に腰かけ、南国風味の冷えた果汁の酸味を味わう。


「もうすぐ着くからね、朝ご飯をご馳走になっちゃおう」

『道行く者がみなコロン女史に挨拶をしていたな』


 言っているそばから、老紳士が帽子を取り軽く会釈する。


「どもどもー。まあ私も来てからそう長くないんだけどね、いい人ばっかりだよ」

「眠りの魔術師さん、お尋ね者シャミよねえ? 思ったより緊迫感が無いというか」


 ピリッとした雰囲気を醸し出す賞金稼ぎじみた人もいない。誰もが貴族の夜会に出られそうな、落ち着いた空気を纏っていた。とても、監視されて怯えて暮らしているようには見えない。


「北の都でも、こうはいかないシャミ。パーティーの日の、お城の中みたい」

「言い得て妙よね、ほとんど貧富の差がないから余裕があるのかも」

『働かねば食うてはいけまい。生産業が優れているのか?』


 ゆったり休める空間、手を伸ばせばきれいな水にタダでありつける。

 物乞いのようなその日暮らしの風体の者でもパンさえあれば生きていけそうだ。


「希少な素材が遺跡から発掘されるし、ここでしか取れない薬の元の生成もしている。北の都会の酒豪をうならせる酒精もあるわ。そして、貴重な資源を奪おうとする諸外国に対しては眠りの魔術師の脅威がそれをさせない」

『まるで魔界だな。魔王の威光で外界よりはるかに文化的ではないか』

「穏やかな感じは、魔女の森の共同体にも近いかもシャミー」

「眠りの魔術師の作り出している夢の都、という説もあるくらいよ。これが作りものとは思いたくないけどねー。ん-、うまし!」


 しゃくり、と美味しそうな音を立てて林檎にコロンさんの歯型が付いた。


『こうも満ち足りていれば堕落しそうなものだがね。住民の気質も、強い好奇心である知識の探求が基礎となっているのだろう。ふうむ、ますます解せんな。治世の享受を求められこそすれ、眠りの魔術師殿が報奨金をかけられ、追いやられる理由がわからぬ』

「争いは誤解と嫉妬から生まれるんだーって、これは、うちのお兄ちゃんの言。私もそう思う。眠りの魔術師が邪悪か、はたまた停滞する人類史の救世主か。この目で確かめたくて、私はこの国に来たんだよ」

「自警団とか、進んでお手伝いをしているということは? つまり?」


 魔女の問いに、コロンさんは曖昧に笑っただけだった。



 市街中心から少し離れ、自然公園に入った。花の絡んだ柵が見受けられる。


「すごいシャミ。天国の道って、こんなのかも」


 四季の花々、華美になりすぎない石柱や金属で装飾されたベンチ。目を向けた先々が、独自の世界観でくつろげる空間を作っている。北の都市で見かける近代的なものから、竜の翼の国で雅とされる侘と寂。


『そうか? 我にはたまらなく気味が悪いぞ。いいかね、これほどの環境に鳥の囀りが一つも聞こえぬ。人の気配がない。作られた、いや、創造された想像の産物といえばよいものか。もどかしいな、当てはめるべき言葉が見当たらぬ』


 建築の悪魔を言わしめて気味が悪いとは。これにコロンさんも頷き、同意する。


「なんだろうね、すごく寂しいんだよ、ここ。美術館でさ、素晴らしい絵が飾られているのに、誰も立ち止まっていない。見向きもされてない。そんなのを傍目に見てる感じだよ」

『コロン女史は素晴らしい感性をお持ちだな。なるほどわかる気がする』

「むむむ、ハルパスがすごく懐いている。シットしチャウ。シャミ。」

『心の狭いことを言うものではない』

「つーん」


 口をとがらせ、抗議しておく。

 公園に入ってから二百メートルほど歩くと、立派な屋敷が見えた。

 正面の庭を一望できるサンテラス。開いた窓から落ち着いた室内が僅かに見える。入口の車寄せには木の葉一つ落ちておらず、掃除が行き届いていた。外壁は町の白象牙にタイルのスクラッチを合わせ、洋館の外観をしていた。

 

 さて、ノックもせずにコロンさんは扉を開く。


「コロンさんの家シャミ?」

「違うよ、ここが言った大親友の家」


 入って左側、受付には記帳と、壮年期の執事が穏やかに微笑んでいた。

 万年筆を取り、コロンさんが署名した。

 執事がコロンさんの武器を預かるそぶりをしたが、コロンさんは必要だから、と首を横に振り断った。すると執事は、微笑みを残して消えた。


「思念体シャミ?」

『だな。役割を果たすべく自動的にそこにある。違うな、あっただけだ』


 ハルパスは肩から、魔女の袖の中に移動した。


「トイレは受付の先の左通路の一個目。魔女ちゃん、良い?」

「大丈夫シャミ。慣れてるシャミね」

「大親友の家だからね」


 屋敷に人の気配はない。木造の、やさしい木の匂いと新しい家具の匂いがした。

淡く光るシャンデリア球。右に二階に続く階段。

 その奥にはサロンがあり、色とりどりの花が飾られている。

 外からピアノがみえた。


「寝てたら上なんだけど、もうご飯の時間だよね。下かな」


 階段を尻目にずんずん進むので、後に続いた。


「あの」


 右手、客室と思わしき扉を開こうとしたところで、魔女は静止するように声をかけた。


「キャナるーん、入るよー」

 

 音もたてず、扉は押して、開かれた。少しばかり、魔女の胸に悔恨が残った。もしかして、の疑念。それを解決もせず、心の準備もできぬまま後に続き、部屋に入った。


 応接間には、向き合ったソファーが四脚。優雅に腰かけた屋敷の主人は、裁縫道具を机に並べていた。


「ごめん、なんかしてた?」

「ええ。雨が降らないから、これを作っていたの」

 

 屋敷の主人の手につままれたそれは、てるてる坊主だった。


「寒くなるからって、マフラー編んでなかった?」

「飽きた。違うわ、忘れてたわ」

「ごまかしにもなっちゃないねー」


 二人の何気ない会話の最中、魔女はまず、帽子を脱ぎ、お辞儀した。


「キャナるん、この子ね、裏山から来たんだけど。荷物全部なくしちゃって、困っているの」

「あら、それは大変」


 主人はてるてる坊主を机に置くと、コロンさんと魔女に掛けるよう促す。

 魔女は頭を上げた。


「ん? どうしたのかな?」

 

 必要以上にこわばった表情をしていただろう魔女を、主人は不思議そうに見ていた。金糸でふんだんに装飾された赤い夜着を纏い、肩の高さに二つに結った金髪が揺れていた。紅玉のような瞳を持ち、唇には気持ち程度の紅をさしている。


「えっろいですね」


 嘘をつけない魔女が最初に口にしたのはその言葉だった。

 コルセットで絞められた胴の上に万物魅了の胸。


「満載じゃないですか」

 

 地母神もかくやの胸を評した。


「ああ、これ。起きたところだもの。コロちゃん、来るなら来ると言ってくれればよいのに」

「キャナるんとあたし、家族みたいなものじゃないのー。えへへ、ごめんね!」

「もう。ふふ、寝てなくてよかったわ」


 屋敷の主人、キャナるんは、ソファーに掛けられていたガウンを纏う。

 髪を少し後ろに撫でると、香水の甘い匂いがこちらに漂ってきた。


「あああっ、あのあの、大変失礼なコトを。申し訳ないシャミッ!」

「気にしなくて構わないわ。食事はもう済ませたの?」

「こちらでいただこうかと。えへへ、食べずに来た」


 ごめんなさいの手を作りながらコロンさんはソファーに掛ける。

 魔女は立ち尽くしていた。


「あなたもどうぞ?」

「汚れているシャミ……」


 靴は入り口である程度、泥拭きでこそいだものの衣服には固まった汚泥がこびり付いていた。


「ああ、なるほどね」


 てるてる坊主に使うハンカチを一枚手に取ると、キャナるんさんはそれを広げた。

 瞬きをした刹那、ハンカチが泥水で滴った。


「ほら、こっちに汚れは移したから。気にしないでくつろいでちょうだい」

(なんだろう、既視感。あるいは、確信?)

(会ったことはないはずが、あるんだ)

(この人を、知っている)

(隣の家に住んでいた?)

(花に水をやるたびに「おはよう」と挨拶していただいていたような)

heuおい……heusおい!』


 敢えてだろう、魔女以外には聞こえない魔界の共通語でハルパスが呼びかける。


『危険すぎる。我はアレに目を向けられぬ。ひと撫で、羽を指でなぞられれば我はお前さんとの契約をほっぽり出して降伏するだろう』


 しかし魔女は改めて、確信を込めて尋ねた。


『よせ!』

「眠りの魔術師さんですよね?」

「え? 違うけど?」


 ……



 驚いた。

 

 時間を止める魔法は、私――百識の魔術師しか使えないと思っていたのに。

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