眠りの魔術師への包囲網が宣言されてすぐ、南の開拓に勤しんでいた連合軍が結成された。軍を編成し、いざ進軍をというときに上級士官が軒並み眠りに落とされてしまう。


 混乱の中、眠りの魔術師から百本の薬瓶が届いた。手紙が添えられていた。

 曰く眠りから覚めさせる解呪の薬であると。曰く、ただし十本だけ永遠の眠りに誘う、より強力な眠りの術をかけた薬が混ざっていると。


 判断を仰ぐ将軍は眠りに落ちている。ある騎士の従者に試したところ、目を覚ました。順に身分の低いものから試されていき、ことごとくが解呪に成功し、無事を喜び合った。十本のハズレがでたところで上官に試そうと見越していた上層部は面白くなかった。三十本が消費されたところで、将軍に与えたところ……


 見事にハズレを引き、目が覚めることはなかった。

 解析が行われたが、どれもただの水であるという結論しか出なかった。

 結局、使用されることのなかった六十九本を残し、軍は収束したという。



「これがその使われなかった薬瓶なわけだ」


 アオギリ主人は懐かしそうに瓶をいじった。


「今はどちらがネムクナールでどっちがメガサメールかわかったシャミ?」

「鑑定したのが私さ」

『ほう』

「実は瓶のほうが杖の役割、発動機だったのです。下位士官に水を飲ませたのは同僚か雇い主だったわけだが、大切な友人の無事を祈って飲ませれば解呪の効果が発動する。一方、これはしめたものと上官の復帰、利益や効率を考えて飲ませた場合は、効果が出なかったのです」


 ひとつ、瓶のふたをひねった。


「何も考えずにひねれば眠り薬、寝ている人を起こしたいと声に出してひねれば解呪の効果がある。水さえ入れれば、何度でも使える」

『これがあれば眠りの魔術師への再討伐が結成されそうなものだが? 仕組みを解析すれば眠りの術の対抗魔法が作れるのではないか』

「ええ、ええ、そうでしょうとも。なので、このことは私のところで止めているのですよ」


 くくく、と店主が子どものように笑う。


「面白いじゃないですか、みんなが驚く秘密を握っているなんて」

「眠らされた人たちはみんな目覚めているシャミ?」

「ええ、私が『やあやあ、これが解呪の薬でございます!』と鑑定して人数分使い切りましたよ。私の名声は上がり、大層儲けさせていただいた」

『うまくやったな。ここにあるのは毒という触れ込みで残ったものというわけか』

「それが最後の一本です」


 魔女はその瓶を受け取った。


「いかがでしょうかな」


 夢幻の鷲馬に幻想の月の象徴印。まだ顔を知らない方の、したり顔が浮かんだ。試されているような。すっとぼけてしまえば良いのだけど、それでは巡り合わせの神様に申し訳ない。


「そうシャミねー」


 少し、言葉をためた。

「これを手放すことが『願い』であれば、受け取らせていただきます」


 目に見えて店主が動揺し、手にした水差しをひっくり返した。

 ハルパスが素早く支えて惨事は事は免れた。


「優れた鑑定眼は、やはりごまかせませんか」


 主人は潔く頭を下げた。


「そうですな。耐え難い体験でしたので。これは」


 アオギリ主人は大きく嘆息し、さらに頭を下げた。


『どおりで短いと思ったよ』


 ようやく、ハルパスが出された水を口にした。



 ……なかなかに興味深い。蛇の目を一日に二回使うことになるとは思わなかった。

 アオギリ店主、その深層、或いは真相に潜む『彼女』を追った。


   ◇◇◇


 天幕から、ひげ面の司祭が現れる。


「だめだ。アオギリの看板を下ろさにゃあならんかもなあ」


 若き日のアオギリ主人は、父の焦燥しきった顔を見て拳を握った。

 森の街道の入り口の野営地。松明の音と、風の音だけしかなかった。

 時間はまもなく黒獅子が眠り、太陽の仔が首をもたげる時間だ。


 アオギリ青果のはっさくを食べたものが目を覚まさない。その事態に気づいたのは、食べ飽きていて口にしなかったアオギリ親子だけであった。


「麗しい姫騎士もいらっしゃるが、どんな悪さをしても目を覚ますまいよ」

「父さん」

「質の悪い冗談も笑うものが居なければなあ。はは、ああ、もう……ええい! なんてことだ、破滅だよ、は・め・つ! なにが眠りの魔術師か!」


 青布の帽子を父は地面に叩きつけた。


「毒を混ぜられた?」

「はっさくに毒など効くものか、すぐに中和して霧散するよう術式を施してあるのだ」

「眠りの魔術師の睡魔の術は対抗呪文がないと」

「そういうことだろうな。百識の魔術師も、名前だけかよ! 作れよそれくらい!」


 父は手にしたはっさくに、涙を落とした。


「どれほどの愛情を注ぎ、口に運んでもらおうと味を工夫したことか。絶対に許せん」


 父がはっさくを剥き、欠片を口に運んだ。


「腐れ魔術師め、ペテンの魔術師め! よく見ておけ、目に焼き付けろ! 俺は毒に苛まれようと、こいつらを愛している!」


 飲み込んだところで、父は膝から崩れ落ちた。昏睡し、静かに寝息を立てる。

 なにもできないまま、声すらも出せず、アオギリは立ち尽くしていた。

 やがて父の手から、はっさくをとる。


「眠りの魔術師とやら、父はお前の魔法を受けても、果物を地面に落とさなかったぞ」


 薬師であるアオギリは手に武器を持たない。果物ナイフを腰から抜いた。父の遺志を手に。この果実は絶対に地面には落とさない。静かに、大きく息を吸った。


「でてこい! 眠りの魔術師! どうした! 卑怯者、臆病者め!」


 声に反応し、遠くの森から獣の鳴き声が答えた。鳥が驚いて木々から飛び立った。

 

 背後に気配を感じる。

 極限まで研ぎ澄ました聴覚は、僅かな着擦りの音を聞き分けていた。


「……阿保かよ、ほんとに出てくる奴があるか」


 アオギリは背骨に直接氷を押し付けられたような痺れを感じていた。


「……そりゃあ出てくるわよ。戦いを挑むなら全部応じるって公言しているもの」


 なんて透き通った声だろう。夢見心地になるところを、唇を噛み、血の味で己を取り返す。


(父さん、どうか力を)


 振り返らず、アオギリはひと欠片を欠いたはっさくを真横に掲げた。


「食え。食ってみろよ」


 お前が台無しにしたはっさくだ。父の人生だ、と続けようとしたが、はっきりと声にできたのは食を促すことだけだった。

 わずかな月明かりでもわかる美しい指先が後ろから伸び、はっさくを取った。

 しゃり、とみずみずしい皮の裂ける音、そして、咀嚼音。

 何度か続き、完食を示すために綺麗に剥かれた外皮がアオギリの手の平に戻された。横目で指先が目に入った。爪先まで、なんて美しい。闇夜の僅かなかがり火すら、その薄暮の暮の白を余計な色で染めることを嫌がっていた。


「ごめんね」


 振り向きざまに拳を当てにいけば確実に当たるだろう距離から、謝罪の言葉が述べられた。


「聞きたいのはそっちじゃねえ」

「ああそうね、今まで食べた果物の中で一番おいしかったわ。冷やして食べてみたい。甘いパフェに入れても酸味が引き立ちそうだし、ジュースにして飲み干してもいい。氷菓子に果肉を混ぜてもよさそうね」

「そうだろう。だが、お前が殺したんだ」


 情けない。涙で声が震えた。もう誰も口にしないだろう。はっさくを。こいつらを。自分で言うのはおこがましいがそれは種の根絶だ。お前がやったことはかつて在った疫病竜と同じ、毒。災厄だ。アオギリは手の内の皮を強く握った。

 しばしの、沈黙。


「戦い方と相手を間違えたみたいね」

 

 再び、沈黙。


「解呪の霊薬を置いていくわ。はっさくの果汁を入れて、一滴舌に乗れば眠りの魔法が解ける。もう一度きちんと謝るわね。ごめんなさい」


 背後から気配が消えた。

 アオギリが振り返ると、百本の薬瓶が残されていた。



 太陽の仔の三刻、後続部隊が到着し、アオギリ親子が迎え、状況を説明した。


「眠りの魔術師の睡魔の魔法か」


 第二部隊の将軍が眉をひそめた。


「ええ、解呪の薬と言って、百本の薬を置いていきました。うち、十本は永遠の眠りに誘う毒が混ざっているそうです」

「どれも毒、という可能性は否めまい。敵からの贈答品なぞ、十中八九、罠であろう」

「父で試しまして、目を覚ましました。間違いないかと」


   ◇◇◇


「嘘をまぜたのは、アオギリさんということシャミ?」

「私が目を覚ます者の取捨選択をした。足止めのために」

『理由を聞いてもよいかね?』

「ふふ、はっさくの美味しさが勝ったわけで、討伐部隊は眠りの魔術師にまんまと負けた。なら勝った者だけが報酬を得るべきだ。と、思ったんですよ。経緯からはっさくに風評被害がもたらされても困るのでね」

「なるほどシャミ」

「で、だ。いま、その勝者の特権を手放すことを魔女様に願いたい。ああ、その理由をお求めでしたかな。『騎士は盤上で、魔術師は盤外で戦うべし。そして商人は観客席で戦うものでありたい』これでいかがでしょう」


 舞台の口上を述べる座長よろしく、大きく手を広げた。


「確かに。その願い、承らせていただきます」


 いつの間にか机に置かれていた、商取引の契約書に署名した。


「まいどあり」


 アオギリ店主は若返りの霊薬をそそくさと棚に移し、提供品を装飾箱に入れ包装した。


「ちなみに、ここらで安心して泊まれる宿を紹介してホシイのシャミ」

「お嬢ちゃんが泊まれる健全なところはかなり限られるねえ。なんせ船旅のあと、溜まった御仁が息抜きせにゃあならんから…っと失敬、下品だった」


 レターケースに入った観光案内の書簡に手を伸ばす。


「まだマシってのだと、ここらでは‘極海亭’かな。群青色の看板が目印だ。地図を書いてあげましょう」

『水がうまい店ならかまわんよ』

「ベル=ターブラの冗談に、『扉の鈴が鳴ったら銃を取れ』なんてあるくらいですから。それくらい油断ならない町なんですよ」


 アオギリ店主は、最初に訪れた時の笑顔を見せた。


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