第一話 船底の魔女と、ある水兵の話

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 客室層と違い、船倉部はただ機能を求めた鉄板のつなぎ合わせであった。

 足元を照らすのに、ぎりぎりの、揺れる橙色の灯。蒸気が漏れる鉄菅を見つけ、腰の工具を外し慣れた手つきで速やかに鋲を締めて処置した。

 彼は水兵であり、あるときは見張りであり、工兵でもあり、特筆すべきこともない平凡な若者であった。日に焼けた筋骨隆々の見た目なれど顔には幼さが残る。


 階段を下る靴音に交じり、鉄塊が唸っているような音が大きくなっていく。機関部の駆動音である。コンテナの積まれた船倉に怪しい影はないかを目視しながら、やがてどんつきの施錠された扉にたどり着いた。ハンドルを回して解錠し、ノックを一つ。


 竜に与えられた星の目は、それらすべてを正確に私に伝えた。


「どうぞー、開いてるシャミー」


 野良猫が人語を話すとしたらこんな声、という感じの、高めのどら声が返される。

 応じて、水兵は扉の錠を外して開いた。金庫のような分厚さの扉であった。


「鍵かけておかないと。不用心じゃない?」

「そろそろ来る時間かと思って開けておいたシャミよ? そもそもお兄さん以外、誰も来ないシャミよ」


 室内は外の熱気と比べれば寒いとすら感じられた。冷蔵倉庫に入ったような。

 船底ゆえに海水に冷やされているのではないか、などと妄想する。

 部屋の中央には菖蒲色の大きな帽子の姿。胡坐をかいているのは、小さな魔女である。その傍らには魔女の使い魔がちょこんと座っている。トラウザースにベストを纏い、羽根帽子をかぶった貴族のような姿の、黒い鳩の姿である。


 水兵は魔女の隣に正座すると、背負い袋の紐をほどいた。

 目敏く水差しを確認したのか、『クックルー』と鳩がのどを鳴らした。

 小皿に水を注ぎ、与えてやっていた。


「これはまた、なんだ、ずいぶんと広げているねえ」


 硝子細工の工場とでも言い表そうか、ビーカーにシャーレ、フラスコの組み合わせた装置。管の中を目に痛い色がひっきりなしに循環し、終着の小瓶にメルヘンな色を滴らせている。


「ちょっと時間がナイので大型化はやむなしなのシャミ」

「見ていたら目が回るな」


 おそらく説明を求めたところで理解できるとは思えないので、水兵は袋から魔女に与える食料を用意することにしたようだ。


「ああ念のため、危険はないだろうね?」

「精霊さんのゴキゲンナナメがない限りは」


 水兵が問い質してみたところには、


「そんなの言い始めたら海の精霊さんの気紛れでも、船、ばらばらにされるシャミよ?」


 と返すので、つまりは比較的安全なのだろう、と思うことにしていた。

 何と比較して安全かは彼の理解の範疇外だ。


「装置の中でくしゃみでもされない限り大丈夫シャミ!」


 手にしたガラス棒を指揮棒のように指し示す。


「待って、くしゃみ程度でどうにかなってしまうのかい? 爆発で船底に大穴とか勘弁だよ」

「管の中でくしゃみなんて、お兄さん出来ないシャミ? そんくらい失敗、むつかしい」

「ああー、確かにそうだね」


 案の定、範疇外だった。


「とにかく爆発はしないんだ」

「バッチリシャミ!」

『クルル……』


 鳩があきれたような鳴き方をすると、魔女は指先で小突いた。

 作業の手を止め水兵のほうに向きなおすと、袋から取り出し並べられた食物に興味を示す。


「あと三刻ほどで港に着く。竜の尾椎の最北、ブラッドボウの入り口・ベル=ターブラの港町だ。だからこれが最後の差し入れかな」

「予定よりずいぶん早くに着くシャミねえ」

「風神様の導きだ。波が穏やかで風は追い風さ」


『クックルー』

「そういうこと言わないの」

「彼はなんと?」


 魔女には使い魔の鳴き声は言葉として聞こえている。


「『風神連中は沈めることしか考えておるまい。海神の加護にこそ感謝すべきだ。敬虔な船長なのであろう』とのことシャミー」


 声色を嗄れ声にして通訳した。意外と長い含みだったので、水兵は破顔した。


「伝えておくよ。せっかくだから、料理も評してほしいね」


 手の平大の貝が握られていた。殻を開くとゆらりと湯気が昇った。


「酒で蒸して、バターを乗せて更に熱を加える。最後に、檸檬をひと絞り」

「ごくり、シャミ」

『クルル』

「動物の肉は嫌がっていたからね。これなら締めのごちそうに見劣りしないだろ?」

「甘いようなー、香ばしいようなー不思議な匂いシャミ」

「潮風を甘ーく煮詰めたような? 君がお酒を飲めたらもっとご馳走になっていたけど」


 魔女は恭しく貝を受け取ると、杓子で身を掬い、口に運んだ。耳まで紅潮している。その様子に満足し、水兵もまた貝の皿を平らげた。


「水にも檸檬を一滴落としている。鼻から涼しく抜けていくのが好きなんだ」


 特に海上では酢漬けの野菜と同様に倦怠感を取り除いてくれることだろう。


『ククルー』

「え、普通の水がよかったって?」

『ククー!』


 鳩に激しく啄まれ、魔女が眉をしかめた。


「ごめん今のなし、ありがたく恵んでいただく、だって」

『クルル』


 肯定するように鳩が頷く。


「ああ、僕に気を遣ってくれたのか。彼は紳士だね」


 敬意を示したく、水兵は鳩のベストを正して、毛繕いらしき真似をして、頭を下げた。


「ところで、これって何を作っているんだ?」


 何本か出来ている虹色の小瓶を水兵は指さした。

 手で持ってその不思議な色彩を眺めてみたいが、もしも手を滑らせたら弁償は不可能。価値もわからないのでとてもできない。


「二つ前の港で漁師さんから装甲魚の外殻を分けてもらったシャミ」

「ああ、あの、裏の肉をそぎ落としていたやつか」


 匂いがきつく、漁師たちがいつも持て余している鱗の油脂部分を綺麗にして返していた。良質な鱗鎧の欠片になるので彼らは大いに喜んでいた。


「油分は鎧にするにはジャマだけど、若返りの霊薬の素になるのシャミよ」


 魔女がランプのつまみをひねると、装置の目まぐるしいサイクルが停止した。

 最後の一滴がもったいぶるように時間をかけ、落ちた。

 見事に瓶の栓ぎりぎりであり、他の瓶との分量の差は見受けられない。

 極めて精緻な作業だったのだろう。


「納品先は貴族様のところシャミ、瓶にもかなりこだわっているシャミー」


 魔女は硝子装置に敷かれた風呂敷の隅を持つ。


「水兵さん、反対側をおねがいしたいシャミ!」

「こう? 押さえておく? 持ってるだけでよい?」


 ふわり、と風呂敷が上にあげられると、瞬きのうちに装置は消えた。何事もなかったように風呂敷の隅を合わせ、ショールのように纏うと夜逃げの風呂敷よろしく、前でくくった。


「あ、おたまをしまい忘れたシャミ」


 背中を向けると、水兵に横からぶっさすように促した。


「これ、悪いことに使えないかい?」


 大きさも重さも無視して収納。水兵の頭に浮かんでいるのは足袋を抜き足・差し足している泥棒者の所作であった。


「持ち物は船に乗る前に魔術師の座に申請しているシャミ。全部にシャミーの象徴印をつけてないと、万が一漏れがあったら投獄されてしまうシャミ」


 なるほど、おたまにまで黒い太陽と獅子をあしらったマークが刻印されていた。

 そのとき、点鐘が鳴らされた。


「ああいけない、もう二刻で到着だ」


 水兵が立ち上がると、魔女は申し訳なさそうに上目で見つめていた。

 何かを期待しているような。ふむ、と水兵は鼻を鳴らした。


「甲板に出てみる? お仕事なら、まだ平気さ」


 ぱあっ、と魔女の目が輝いた。

(ずっと船底での生活だったろうからな)

 水兵は執事の真似でもするように、お辞儀をしながら部屋の扉を開くのだった。


「お兄さん、モテるシャミ?」

「それなりかな」


 どうぞ、と先を促した。




 二週間ほどの航路だったが、ほぼほぼ魔女に接するのは水兵の彼だった。

 船長からの指示はこうだ。


「客室層に魔女がうろついていてはなにかと不安に思う客人もいらっしゃる。幸いに、あれもわかっておられるようで、船倉でよいとのことだ。金払いはよい方だし、粗末に扱えばなんらか災いになるかもしれぬ」

「ははあ」


 彼は若干の嫌悪感を覚えた。魔女にではなく、船長に。


「船倉とその一つ上の層、丸々お借りいただいた。これは客室におられる貴族様大商人様の誰より多く入船料金を支払っていただいていることになる。うまいこと付いていればいい目を見られるかもしれんぞ」


 そう耳打ちし、肩を叩いていった。


「気遣いは、我々がすべきことではないですかねえ」


 悪態にならないよう、彼は冗談めかして返した。


「そうとも。だからカイル、お前さんに任せるから」


 聞いてカイル――水兵は肩をすくめた。

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