第5話

 尋問帰り、スコットは手首に腕輪のようなものをつけさせられた。なんでも、遠隔操作で爆発する拘束具の一種だとか。要は逃げ出そうと思うなら腕一本置いていけ、ということらしい。


 普通ならこういった爆発物モノは首につけるのが通例だそうだが、尋問の結果『極度のヘタレ』認定を受けたスコットは腕輪で十分と判断されたようだ。

 無論、スコットが逃げ出さないには十分すぎる。利き手の腕がもげたら、大好きなゲームができなくなるからな。


 鎖を引かなくてよくなったアロンダイトに案内され、スコットは夕方の街を歩いた。得体の知れないこの国でも母国と同じように日は沈み、人々が家路を急いでいるのだ。家族の元へ帰ろうと。そのことが、何も知らずに争いに加担していた自らの行いを恥ずかしく思わせる。


「あの……これから何処に?」


「そうね、学院の一年生を視察に行くことになっているわ。我が国が誇るアーツグレイス学院は、魔剣と契約者の候補生が通う学校よ。通常では魔剣が己の契約者を選んでペアを決めるのは二年生からだから、一年生であればまだ契約者を見つけていない魔剣に出会えるはず。そこであなたと契約してくれそうな魔剣を探すの。今からならぎりぎり下校時刻に間に合うだろうから――」


 言いかけて、アロンダイトは歩みを止める。


「あなたが魔剣を見つけたら、私とはそこでお別れね……」


 不意に振り返ったその横顔が夕陽に照らされ、どこか寂しそうに映る。


「アロンダイトさん……」


 今朝捕まったときは怯えるばかりで頭の中が真っ白だったが、半日一緒に過ごした今ならわかる。アロンダイトはいい人だ。どうしてたったひとりで城壁を守っていたのかとか、普段どんなことをして過ごしているのかとか、詳しいことはわからない。だが、スコットは本能的にアロンダイトが優しくて面倒見のいい魔剣なのだということを理解していた。


 だって、こんなヘタレで大した情報も持っていないスコットをわざわざ軍のトップのところまで連れて行ってくれて、その尋問が非人道的なものでないかも監視してくれていた。やり過ぎそうになると止めてくれたり、『これからはここで暮らすのだから』と言って、この国のことを色々と説明してくれた。親切に、世話を焼いてくれたのだ。


「あの、今日はありがとうございます、色々と。捕虜の僕に対して、ありえないくらい良くしてもらって……」


 ぽつりと礼を述べると、アロンダイトは驚いたように碧の瞳を大きくさせる。


(ちゃんと、お礼が言える人なんだ……『外の人間』なのに……)


 そして、ある提案をしてきた。


「ねぇ、あなた……ちょっと、私のところに来てくれない?」


「え? 学院に行くのはいいの? そんなことをすれば職務放棄だ、って、あの上官さんにえっちなお仕置きをされるんじゃ――?」


「それくらいわかっているわ。でも、どうしても。別れる前に、あなたともう少し話がしたいの……」


 夕陽に染まる真剣な眼差しに、スコットは思わずときめいた。

 風に揺れる髪はふわりとして柔らかいのに、その奥の瞳はこれ以上ないほどに美しく凛としていた。そして、固い決意のようなものを秘めているように見えた。


 それがなにかはわからない。しかし、こんなにまっすぐに、しかも美少女にそんなことを言われるのは人生で初めてだった。

 その姿に保護観察の身でありながら呆然と見惚れていると、アロンダイトは手を取って、人目を避けるようにして移動しだした。


(わ。なんか、駆け落ちみたい……?)


 ふたりの影が次第に長くなる雑踏の中で。ついそんなことを考えるくらいには、スコットは能天気なオタク野郎だった。


 足早に移動するアロンダイトの向かった先は、小綺麗なマンションの一室だった。あの、入り口付近にガラス張りのラウンジがあって、コンシェルジュさんがいるような高級なやつだ。


「入って」


 チャラリ、とキーホルダーの揺れる鍵をさしてアロンダイトが扉を開ける。


(ま、まさか……)


 言われずともわかるだろう、そこはアロンダイトの家だった。

 無論スコットは女子の部屋にお邪魔するのも初めてだ。綺麗に片付けられたリビング、華奢な装飾のついたお洒落なティーカップ、棚の上の可愛らしい小物。それらが目に入るたびにドキドキどきどき、心臓の音がうるさい。

 しかも――


(なんか、部屋からいい匂いがする……! ほんのり甘い、これが女子の匂いってやつか!?)


「わぁぁ……」


 思わず声をこぼすと、アロンダイトはソファを指差して掛けるように促した。

 キッチンでサッと入れた紅茶をスコットの前のローテーブルに置き、隣の部屋に入る。数分した後に戻ってきた彼女は私服に着替えていた。

 高めの位置で結っていた髪をおろし、騎士のような銀甲冑を外したアロンダイト。シフォン生地のスカートにさっぱりとしたブラウスを合わせたスタイルはいかにもお嬢様といった感じだ。そして、どこからどう見ても普通の女の子だった。


「どうしたの?」


 見惚れているのがバレ、アロンダイトが顔を覗き込んでくる。首を傾げた拍子に肩の辺りで髪が揺れて、ウェーブした毛先がぴょこんと跳ねた。


(かっ、可愛い……)


 改めて見ると、アロンダイトは絶世の美少女だった。出会ったときの高圧的な態度も軟化し、魔剣として数多の戦闘機を撃墜していた姿は片鱗すら見えない。スコットはアロンダイトを完全に女子として意識していた。一方で、アロンダイトはそんなのに微塵も気づかず話し出す。


「もしパートナーとなる魔剣が見つかったら、あなたの保護観察はその子の役目になるの。だからその前にどうしても話をしておきたかった。あなたに、その……ランスロットのことを聞くために」


 アロンダイトは丁寧な所作でスカートを抑えながらスコットの隣に腰を下ろすと、神妙な面持ちでぽつりぽつりと話し出した。


「私はね、故あって昔の契約者との記憶がないの。正確には、昔の契約者と過ごしたであろう時代の記憶が――抹消されたのよ。記憶中枢を司る部分の刃を削られて」


(抹消……!?)


 あまりに突飛で物騒な話に、それ以上は二の句が継げなくなる。しかし、いたって冷静に彼女は話を続けた。


「でもね、仕方のないことらしいわ。私がこの国で平和に暮らす為に、昔の契約者との記憶は必要ないんですって。一生懸命に図書館で調べたり、当時から存在していた魔剣に話を聞いたりもしたのだけれど、皆『それがラスティの判断なら』って、教えてくれなくて……」


 指先をそわそわとさするのは、心残りがあるからだろうか。それとも、口では「仕方ない」と言っておきながら、納得できていないからなのだろうか。そう語る表情はどこまでも儚く、今にも声が震えだしそうだ。


「手を尽くしてようやくわかったのは、私にはかつてひとりの契約者がいた、ということだけ。魔剣は、この刀身が朽ちない限り寿命で死ぬことはない。人型のこの身に剣へと変身するだけの鋼――『鉱脈血』が流れ続けている限り、いくらでも生き続けることができるわ。でも、それでも。契約者との記憶がないということを知ってからは、胸にぽっかりと穴が開いたみたいで……」


 伏し目がちで寂しい瞳。見ているこちらの心にまで、彼女の胸を吹き抜ける冷たい風の音が聞こえてくるようだった。

 いたい、くるしい、さびしい、かなしい……数々の憂いがない交ぜになった感情が渦を巻いているというのに、誰にも言うことができない。わかってもらえない。

 今日出会ったばかりのスコットにこんな話をしてしまう程、彼女の感情が逃げ場を失っているということが痛いくらいに伝わってきた。


 こんないたいけな少女が、どうして記憶を抹消されなければならなかったのだろうか。この国は文明や思想の発達した国だと思っていたが、それ故に、何故こんなロボトミーのような非人道的なことをするのがわからない。だが、理由があったことに間違いはないのだろう。


「その手がかりが、僕ってこと?」


 できるだけ傷つけないように、触れるべきことと、触れるべきではないことを頭の中で選り分ける。慎重に尋ねると、アロンダイトはこくりと頷いた。


「今までは、ラスティ博士の判断なら仕方ない、って無理矢理納得していたわ。だから、余計な事を考えなくていいように、過酷な防壁の守りに名乗り出た。実際、あなた達のような敵国と戦闘している間は、嫌なことを何もかも忘れられた。そして、契約者なんかいなくても私ひとりで壁を守れる、国を守れる、と思うことで心を満たしていたのだけれど………今日、あなたの話を聞いたら――」


(また、知りたくなっちゃったのか………)


 それくらい、魔剣にとって契約者の存在というのはかけがえのないものなのだろう。事実として、町中で契約者の隣を歩く魔剣の子を見る彼女の眼差しは、羨望と寂しさに満ちたものだった。

 もし自分に契約者がいたら、という憧れと、そんなものはいないという現実。その狭間でたったひとり揺れる孤独を、ラスティは理解していたのだろうか?

 それに、スコットの聞いていた話とこの国におけるラスティの存在が随分と違う点も気になる。


「ラスティは、昔は世界を救った英雄だったかもしれないけど、僕の国では『国連を脅してこの国を建て、世界中の魔剣を独占してる悪人だ』って噂だ。そんな人間の判断にどうして皆従うの? 記憶を抹消するなんて、どう考えてもおかしいよ!」


 アロンダイトの心中を察して思わず声を荒げると、思いがけず反論される。


「ラスティ博士のことを悪く言わないで! あの方は、兵器としてモノとして扱われていた魔剣わたしたちを保護し、守る為の国を作ってくれたの! それがこの国よ! だから、だから………私もあの方を責めることはできない! でも、どうしても知りたいの………」


 涙ぐむ瞳からは迷いと悲しみがない交ぜの感情が覗いている。

 彼女の話によれば、建国者ラスティは魔剣が安全に暮らせる国を作る為、国連を脅し、世界中から集めた魔剣をこの国に匿っているのだとか。

 そう考えると、『聖剣奪還』を掲げる自分たちは正義なのか、悪なのかの判断がつかない。


 もう百年以上前の人物だが、ラスティのしたことにこの国に住む者は皆感謝している。だからこそ、アロンダイトもこんなに迷っているのだ。


(でも、どうして彼女がそんなことをされなければならなかったんだ? 何か理由が――)


 かけるべき言葉が見つからず戸惑っていると、自分以上に戸惑い震える声が少女の口から零れ落ちる。


「もしかしたら、私が何か悪いことをして契約者は罪人になり、歴史の闇に葬られてしまったのかも……と考えると恐くて。それに、外の国の人間であるあなたからランスロットのことを聞くのが反則だっていうこともわかってるの。でも、私は……もう、どうしたらいいかわからない……!!」


「アロンダイトさん……」


 喉の奥から嗚咽を漏らす彼女を前にして、スコットは頭の中でランスロットにまつわる伝承を反芻した。


 湖の乙女に育てられし最高の騎士。

 円卓の騎士となってからはアーサー王に仕えた英雄の中の英雄である。しかし、王妃グィネヴィアと不義の恋に落ち、それがきっかけで主君と仲間を裏切った。

 そのせいで最後には親友も主君も失い、愛したグィネヴィアとも二度と会うことはなく、後悔を抱いて寂しく死ぬ――


 確かにランスロットはこれ以上ないほどの騎士道精神を持った英雄だった。強く、優しく………だがそれ故に、彼を巡って多くの人が争った。もしアロンダイトがその姿をずっと傍で見守ってきたのなら、思い出したくない出来事もあるのだろう。仲間を斬り、親友を斬り、特に、別れ際は――


(もしかすると、そのことが原因なんだろうか。だからって、本人の意思と関係なく記憶を消し去るなんて――そもそも、アロンダイトさんはこんなに知りたがっているじゃないか……)


 ラスティ博士が何を考えていたのかはわからない。だが、今彼女の願いを叶えることができるのは、自分しかいないらしい――


「話しても、いいんですか………?」


 思いつめたようなスコットの表情からアロンダイトは察した。きっと、自分にとって良くない話なのだろうと。だからこそ、ラスティ博士は自分に『何もかも忘れて、自分の愛すべき人を見つけなさい』と言ったのだろうか。しかし――


「それでも、私は知りたい……!」


 決意を灯した瞳に応え、スコットは彼の知る全てのことを話した。



 静かに、ゆっくりと時間が流れる。テーブルに置かれた紅茶はぬるくなり、時計の音ばかりが異様に大きく聞こえた。

 街を包みこむ夕陽が赤く、空は次第に濃紺へと彩られていく。

 話を聞き終えたアロンダイトは、俯きながら、ぽつりと呟いた。


「……裏切り者じゃない……」


「え?」


「とんだ悪人だわ。主君の妻を寝取るだなんて、サイテー……」


 固く握られた拳は震え、瞳には涙が浮かんでいた。

 信じたかった、裏切られた。でも、心の底から否定しきれない……

 そんな戸惑いが見え隠れし、スコットにはかける言葉が見つからない。

 ただ、これだけは言える。


「僕は好きだよ、ランスロット。愛のために己を貫くなんて、カッコいいじゃないか……」


 そう言うと、アロンダイトは大粒の涙をこぼして泣き出した。


「そ、そんなの……ウソよ……」


「ウソじゃないよ。彼はね、グィネヴィアがピンチになるとどんなときでも駆けつけたんだ。愛のために。だから………誰がなんと言っても、僕は彼のファンだ」


「そんな、気休め……」


「気休めなんかじゃない、本当だよ。そうでもなければ、彼の話をここまで話せないだろう? それに――」


「?」


「キミは、アロンダイトは何も悪くない。彼は最期まで、己の意思を貫いた。そのはずさ……」


「……! うっ、う……! うわぁぁぁぁん……!」


 堰を切ったように、彼女は声をあげた。

 たとえそれが伝説の騎士に憧れる少年の想像に過ぎなくても。彼が今日会ったばかりの外の人間だったとしても。彼女は、誰かがそう言ってくれるのをずっと待っていたのかもしれない。


 日の沈んだふたりきりの部屋に、泣きじゃくる少女の声だけが響く。降り積もった雪が溶けて流れ出すような感情に押しつぶされまいと、必死に肩を震わせる少女の声が。ただひとり、孤独と迷いの中で懸命に戦ってきた少女の声が――


 そんな少女の肩をそっと抱けるほど、スコットは男前ではない。

 だが、そんな彼女の傍にずっといる程度には、優しい人間だった。

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