第35話

 アイーシャの前に膝を突いたサイラスは、必死にこいねがうように訴えかけた。身体は緊張によって震え、赤い顔でアイーシャを見つめている。

 アイーシャの目から一筋の涙がぽろりと溢れた。それを皮切りにどんどん涙が溢れ始めた。


「え!?あ、」

「っ、わたしのことっ、すて、捨てないっ?き、嫌いにっ、なら、ない?わたしっ、無能だし、わがっ、我儘だよ?」


 アイーシャがここに来る前に婚約破棄をされたことを知っているサイラスは、平気そうに振る舞っていた彼女が、存外傷ついていたことに気がついた。そして、婚約という行為がトラウマになってしまっていることも気がついた。

 だから、サイラスは立ち上がってアイーシャのことを抱きしめた。彼女の震えている小柄な身体を優しく潰さないようにそうっと抱きしめた。


「捨てないし、嫌いにならない。それに、君は無能ではなさそうだし、我儘で結構だ。私はどんな君でも受け入れる。だから、ーーーこの手をとってはくれないだろうか」

「っ、!!」


 1度アイーシャから離れたサイラスは、彼女に目線を合わせて右手を彼女の前に差し出した。


「本当にっ、いいの?っ後悔、するよ?」

「絶対にしない。大丈夫だ。だから、この手をとってくれ」


 アイーシャは恐る恐る手を伸ばしては、彼の手に触れる前に引っ込めた。数度それを繰り返した後、サイラスの中指の先に、自分の中指をちょんと乗せた。


「っ、ずっと、ずっとずっと捨てないでっ!!」

「あぁ、捨てない。大事にする」


 アイーシャの叫びに、サイラスは静かに答えて抱きしめた。背中をゆっくりとさすると、アイーシャは最初はビクッと身体を揺らしたが、やがて心地よさそうにサイラスの胸に擦り寄った。


▫︎◇▫︎


 護衛たる衛兵達は、アイーシャが泣き出した途端に焦った。自分達の主人がデリカシーのかけらもないことを口走ったのではないかと大いに焦った。だが、すぐにそれは杞憂であったと分かった。

 アイーシャについて、衛兵達はエカテリーナから聞いていた。“精霊の愛し子”であり、そのせいで魔力がなく、魔力至上主義たる隣国で不当な扱いを受けていたこと。その一環で元婚約者たる、隣国の王太子に婚約破棄されたこと。大まかなことは聞いていた。だから、彼女の叫んだ悲痛な『捨てないで!!』と言う言葉は心にぐさっときた。どんなに大人びて見えても、彼女はまだ16歳の少女であると認識させられた。


「「!!」」


 サイラスがアイーシャに抱きついた途端に、2人の周りにありえないほどの“精霊の祝福”が降り注いだ。きらきらとした7色の複雑な光に包まれた麗しの貴人達は、この世のものとは思えないほどに、とてもとても美しかった。

 今ここで結ばれた貴人の2人は精霊に愛されている。代償として魔力を払っているくらいに深く精霊に愛されている。

 衛兵達はこれは、精霊達の喜びの証ではないかと思った。何故なら、精霊に愛されし2人が結ばれたことに対する祝福と喜びのように見えたからだ。


「羨ましいですね」

「そうだな。こんなふうに幸せな未来を迎えたいな」


 目を細めた2人の衛兵は、自分達の未来へと思いを馳せた。いつか自分も………、そんなことを夢見るような夢のようなプロポーズだった。

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