第7話 リフティング

 年が明け3学期になっても飛鳥はまともな練習が出来ずにいた。只ひたすら授業前の自主練習に励む毎日だ。

 2年生、3年生の何人かがコースへ出ての練習や練習試合をこなしていたが、1年生はボール拾いや練習場の整備など雑用ばかりである。

 その日、授業が終わって飛鳥は偶然一緒になった数人と部室へ入った。

 すると3年生たちが部屋の真ん中に集まっている。何やら数を数え、大声で騒いでいた。

「なにごと?」

そう思って飛鳥は輪の中を覗く。

 すると1人がクラブでボールリフティング※7    をやっていた。これを見て騒いでいたのだ。

 中高一貫の光輝学園では特別に別の高校を受験するのでない限り、3年でも引退はしない。ただ他校との公式試合ではなかなか出番はなかった。

「そろそろ練習に行きましょう」

 2年生の副部長が見かねて声を上げた。

「いいでしょ。ちょっと待ってよ」

 部長が制した。そうなのだ、部長はあくまで3年生だった。

 2年生の副部長としてはそれ以上何も言うことは出来ない。このバカ騒ぎを見守るしか手がなかった。

 リフティングの生徒が12まで数えたところでボールを落とした。

 やっと終わった、副部長はそのタイミングでクラブセットを担いだ。

「行きましょう。クラブをセットしたら準備運動、始めます」

 副部長に従って2年生と1年生が動き出す。

「ちょっと待ってよ。今度はあたしがやるから」

 そういうと部長が女生徒からサンドウェッジ※8     を奪った。そしてサンドのフェースを回して床に転がったボールを拾う。

 そのままリフティングに入る。1、2、3、4、5・・・。取り巻きの3年生たちが数え出す。

 光輝学園中等部3年三葉みつば早苗。中等部ゴルフ部部長だ。前シーズンの中学関東マッチプレー戦の優勝者だった。

 三葉はショートアイアン※9      の名手である。圧倒的なパワーはなかったが、小技がうまく、1対1のマッチプレーに強さを発揮した。

 三葉は器用にボールをサンドのフェース面で軽快に弾いている。ほとんど脇に逸れることはなかった。

 ボールは正確にサンドのフェースに落ちてくる。12、13、14、15・・・。いつになっても終わりそうにない。

 副部長は黙ってそれを眺めていた。

「お手玉はいいですから、サンドの使い方でも教えてください」

 突然鋭い声が部室に響いた。その声に思わず三葉がボールを落とす。副部長が振り返った。誰が、いったい。

「私たち何にも教わってません。お手玉のやり方なんてどうでもいいです」

 飛鳥だった。今度はやや強い言い方だ。

「あんた誰?」

三葉が飛鳥の方を向いた。憤怒の表情だ。怒っている。間違いなく。

「西條さん! 失礼でしょう」

 副部長が飛鳥に怒鳴った。ただ、これは優しさだったかも知れない。部長に喧嘩を売るような発言は拙い。

「そうは思いません。部長は名誉職です。今の実質の部長は河井さんのはずです」

 飛鳥が正々堂々と言ってのけた。飛鳥はこんなことを言うタイプではなかった。入部以来物静かに先輩には服従を貫いていたのだ。

 今日に限って何故こんな態度に出てしまったのか。たぶんコーチとの今朝の揉め事が原因だった。飛鳥も分かっている。

 外部から招聘されているコーチの1人と今朝の自主練中にそれは起こった。それ以来今日は一日ずっと強い感情が渦巻いていたのだ。

 そうでなければ、3年生にこんなことを言うなどありはしない。

「西條? あなた、お手玉って言ったわね。ならあんたは出来るの?」

 すでに飛鳥は三葉の逆鱗に触れてしまったようだ。河井としてもどうしようもない。

「どっちが長く続くか勝負しましょう」

 三葉が言い出した。3年生が騒ぎ出す。

「西條さん、謝りなさい!」

 河井が鋭い声を上げたがもはや意味はなかった。

「負けたら部を辞める。いいわね!」

 三葉は一方的だ。だが、飛鳥も朝の鬱憤とともにろくな練習もさせて貰えないゴルフ部にウンザリしていた。上等じゃない、もはやそう言う感覚だったのだ。

「そんなお手玉で競争なんて。やるならサンドウェッジでちゃんと勝負しましょうよ」

 飛鳥が言い放った。

「なんだと!」

三葉早苗が怒鳴り声を上げる。

「いい度胸だ。1年のくせに、ふざけるなよ。この部から追い出してやる!」

 三葉はボールを拾うと手にしたサンドを肩に担いで出口へ向かった。あとから飛鳥がバッグを担いで着いていく。

「西條さん、辞めなさい。三葉さんと勝負なんて無謀ですよ」

 慌てて河井が声を掛けるが、もはや飛鳥に聞く耳は持っていなかった。蓄積した不満が一気に溢れ出していた。

 部活のことだけでなく、まだ飛鳥自身も気付いていないゴルフというスポーツに対する迷いのような感情が溢れ出したのだ。

「バンカーからのアプローチ勝負だ」

 三葉が言った。

 パター練習用のグリーンがある。その手前に1つだけバンカーがあった。小さなバンカーだが、砂もきちんと整備されていた。


※7リフティング サンドウェッジなどのクラブのフェース面でボールを弾いて落とさないようにする遊び。飛鳥は遊びと理解していた。これを練習になると言い張る外部コーチの大学生と今朝揉めたのである。大学生はお前なんか辞めさせてやると言った。※8サンドウェッジ SWと略す。主にバンカーから外へ出すために使われるクラブで飛距離は短い。※9ショートアイアン 規定があるわけではないが、番手8、9、PWあたりを言う。SWもこれに含まれる。短い距離で使うクラブ。

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