第2話 レッスンプロ

 富士インターナショナルGCでのラウンド以来俄然やる気を出していた飛鳥に両親はプロコーチ※4   によるゴルフ教室を探し出した。

 プロにしようなんて思ってはいない。ただやるならちゃんとしたコーチに付けてやろうという親心だ。

 自宅から車で1時間ほどの場所に練習場はあった。その一角を使ってプロコーチが子供たちを教えている。子供ゴルフ教室である。

 飛鳥はそこへ週に2回通うことになった。母薫子が車で送り迎えをする。

 薫子は基本飛鳥の練習は見ない。終わるまでの90分車の中で待機しているか、練習場の喫茶室でコーヒーを飲んで待つ。

 生徒は飛鳥を入れて6人だ。小学生ばかりだったが3年生の飛鳥が最年少である。

 6人がボールを打つのを眺めながらコーチが指導を与えていく。コーチは女性で薫子と同世代のようだ。

「じゃあ、まず5番アイアン」

 小清水と名乗るコーチの指示で子供たちはゴルフバッグから5番アイアンを抜き出した。

 高学年の2人は既に大人用のクラブを、他はジュニア用のクラブを使っている。 

「5番アイアンは基本だからね。先ずはこれで正しいスイングを覚えましょう」

 小清水コーチは自ら5番アイアンを取るとレンジ※5 に入った。ゆっくりとバックスイングをスタートさせる。柔らかい肩だった。

 何のつまずきもないままクラブヘッドは頂点に到達する。グリップエンドとボールが一直線に結ばれ、今度はいきなりトップスピードでダウンスイングに入った。

 小清水の腕とクラブは一体となりきれいな円軌道を描く。そしてインパクト。

 子供たちから溜息が漏れる。聞いたことのない音だった。ボールはレンジから飛び出し低い弾道で飛んでいく。

 一方小清水はそのボールを追うこともなく今度は残りの半円をきれいに描いてスイングを終えていた。流れるようなフォームだ。

「いい? まずは5番で正しいフォームを身につけて貰います。きちんと理論的に正しいフォームで打てば、ボールは真っ直ぐ飛びます」

 小清水は力強く解説を加えた。子供たちがそれぞれレンジに入ると思い思いにボールを打ち出す。

 こうして2ヶ月ほどが過ぎた頃、帰りの車に乗り込んできた飛鳥の顔が引き攣っていた。

「どうしたの? 何かあった?」

エンジンをスタートしながら母が聞いた。

「うん・・・」

 だが飛鳥はそのまま黙り込んでしまった。母もそれ以上聞こうとしない。20分ほども走った頃、飛鳥がようやく話を始めた。

「あのね、コーチが・・・」

飛鳥はまた言葉を詰まらせる。

「コーチが?」

それを母が促す。

フォロースルー※6     の癖を直さないとダメだって」

飛鳥はそれだけ言うと口を閉じてしまった。

「フォロースルーの癖?」

「フォロースルーが美しくないって」

 飛鳥が投げやりな言い方で返事をした。だけど母は何も答えない。

「前回からドライバーのレッスンが始まったんだけど。私のフォロースルーがダメだって言うの」

 そこまで聞いて薫子は直ぐに思い当たった。飛鳥のドライバーショットはフォロースルーで最後に顎を上げるのである。何を隠そうこれは薫子自身の学生時代からの癖だった。

 特に深い意味はないはずだ。何となく顎を上げた方が可愛く見えるんじゃないか、その程度の考えだったはずである。

「私の癖を真似してたのね」

「真似?」

「私がそうだからでしょ? お母さんを見て習ったんだものね。お母さんの責任だわ」

 だが、飛鳥は即座にそれを否定した。

「違うよ。お母さんの真似じゃない」

「え?」

 薫子が訝しがる。飛鳥はまだ3年生なのだ。自然と自分のフォロースルーの真似をしていたのだろうと思った。

「あれが一番飛ぶのよ」

 だが飛鳥はそう言い切った。

「コーチの言うように直したら、富士山の向こうへ飛ばなくなっちゃうよ」

 それで薫子は次のレッスンで飛鳥の様子を見ることにした。練習客を装い少し離れたレンジから薫子はレッスンを見ていた。

「宗像さん、顎を上げない!」

 小清水コーチの厳しい叱責が飛ぶ。不機嫌そうながらも飛鳥はフォロースルーで顎を上げないように気を付ける。

 だが、そこに気を取られるとスイング全体のバランスが崩れてしまうのだ。飛鳥は苛立っていた。

「出来ないよ。私はずっとこうやって打ってきたの」

 思わず飛鳥が小清水に噛みついた。

「今なら直せる。直しておかないと先へ行けない」

 小清水が仁王立ちになって飛鳥を睨んでいた。その時、小清水の背後から強烈なインパクト音が鳴り響いた。

 ボールはうなりを上げて飛び出すとあっという間に練習場の最後尾のネットに当たっていた。小清水が振り向く。

 すると再び薫子がバックスイングに入る。頂点に達したドライバーを体重移動とともに振り下ろす。

 キンッ!

 乾いた音とともに再びボールはレンジを飛び出していった。薫子は身体を捻るとクラブを大きく振り上げる、と同時に少しだけ顎を上げた。

「西條薫子!?」


※4プロコーチ 一般的にはレッスンプロと呼ばれる資格を持ったコーチのこと。ゴルフ練習場や最近ではスポーツジムなどで生徒に教えている。日本プロゴルフ協会ではティーチングプロと規定している。※5レンジ あるいはドライビングレンジ。ゴルフ練習場(いわゆる打ちっぱなし)のボールを打つ場所のこと。※6フォロースルー ボールを打った後、クラブを振り上げる行為。実はこの行為が重要で、ボールが飛ぶか飛ばないかはフォロースルーで決まると言っても過言ではない。

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