第49話 これで落ちないヤツはいない

「ボルグゥゥゥゥゥァァァァァァ!」


 地を震わすような鳴き声とともに、突風が巻き起こる。

 風は、ゴミの山にあるものを見境なく巻き上げていった。


 もちろん、ボルグだって例外ではない。大剣があれば地に刺して多少は耐えられたかもしれないが、残念ながらゴミ山に沈められたまま。

 なんとか踏ん張って耐えていたが、最後はゴミとともに遥か遠くへと吹き飛ばされていった。


 ベルはそれを、助けることなく見つめていた。

 助けようと思えば助けられたけれど、そうはしなかった。


(だって、面倒な予感しかしなかったのだもの)


 とっさに重力操作の魔法を使っていなかったら、ベルも同じように飛ばされていただろう。


(いいえ……彼がいながら、それはない……はず)


 横たわった大木の、てっぺんから根元の方へと視線を移す。

 鱗で覆われたそれは、大木なんかではない。巨大な竜の、尻尾だった。


「ユルさない、ユルさない……ボクのタイセツな……になんてことを……グアァァァァァ!」


 青と琥珀こはくのオッドアイが、ボルグの行方を捜している。

 爛々らんらんと光る瞳には殺意しかないように見えた。


 助けようとしたベルのことさえ、忘れかけている。

 その証拠に、彼の尻尾は容赦なくベルの目と鼻の先で苛立たしげに地面を叩き続けていた。


 少しでもズレれば、ベルも巻き込まれそうだ。

 そうならないのは、かろうじて理性が残っているせいだろう。


「ケイト! 私は無事だから、とりあえず落ち着きなさい!」


 ピタリ、と尻尾の動きが止まる。

 背を向けていた竜が、ケイトがベルを振り返った。


 その瞬間、ベルは大きな勘違いをしていたのだと理解する。

 すでに彼は、ベルさえも判別がつかなくなっていた。


 大きな竜の口がグワッと開いて、鋭い牙がのぞく。

 喉の奥から炎が吐き出されるのを見て、ベルはやむなく彼を攻撃した。


「ギュアァァァァァッ!」


 吐き出そうとしていた炎をベルが発した魔法ごと飲み込んだケイトは、唸り声を上げながらもんどり打つ。

 ベルは申し訳なさを感じながら、身を隠せる森の中へ逃げ込んだ。


「無事か、ベル!」


「お兄様!」


 しばらく隠れ続けていたら、ルシフェルが空から降りてきた。


 あれだけの轟音がすれば、魔王城でも異常を察する。

 こういった時、地の国では魔王が対処するのだが、彼は人の国からの使者の応対をしていたため、ルシフェルが様子を見に来たらしかった。


 身を隠しながら、ベルは急いで状況を説明した。

 聞き終えたルシフェルは、こめかみを指先でトントンたたきながら、苛立たしげに息を吐く。


「なるほど。つまりケイトは、ベルがボルグに攻撃されていたから、守るために暗黒竜に変わってしまったというのだな?」


「おそらくは」


 変化したところを直接見たわけではないから、ベルの憶測でしかない。

 けれど、状況からはそうとしか思えなかった。


「彼が助けなければ、おまえはけがを負っていたかもしれないと」


「多少の切り傷はついていたでしょうね」


「そうか。ではケイトがボルグを見つけ、私刑に処するまでは様子見ということで」


 お気に入りの妹を害した不届き者に、ルシフェルは情け無用と判断したらしい。

 放置する気満々で二人の周囲に防護魔法を展開しだした兄を、ベルは胡乱うろんな目でめ付けた。


「お兄様、それはどうかと思いますけれど」


「ベル。おまえは相変わらず……」


 呆れたように目を回すルシフェルに、ベルはプイッと顔を背けた。

 こんな軽口を言い合っている場合ではないのに、つい気を楽にしてしまう。


 きっとそれこそが、ルシフェルがしたいことなのだろう。

 さすが、ベルのお兄様。よくわかっていらっしゃる。


「お人好しだなぁって言うのでしょう? わかっていますわ。でも、お兄様。私、思うのですけれど……ボルグがケイトに固執する理由は何なのでしょうか?」


「仲間だから、ではないのか?」


「でも、ケイオン様は納得されたのですよね?」


「なにか裏があると思うのか?」


「そこまでは。でも彼には、計画していることがあるようでした」


 ベルの言葉に、ルシフェルは顎をさすりながら「ふむ」と考えた。

 考え事を整理するように、彼はポツポツと話し出す。


「そうだなぁ。ボルグといえば、彼はかなりの浪費家らしい。魔王討伐の旅から人の国へ逃げ帰ったあとは、度重なる借金でもう首が回らないのだとか」


 これは憶測に過ぎないが、と前置きして、ルシフェルは言った。


「借金を返済するには、当然のことながら金がいる。彼は、戦うことで金を稼ぐ男だ。戦争が始まれば、金が手に入る」


「ボルグは、戦争を始めるつもりなのですか……? そして、ケイトも一緒に戦わせようとしていると……?」


 苦労してきたらしいケイオンの姿が思い起こされる。

 彼は、ボルグによってたくさんの迷惑を被ってきた経験があるようだった。


「それが、一つ目のパターン」


「じゃあ、二つ目は?」


「ケイトの弔いとして、地の国に戦争をふっかける」


「なっ!」


「このパターンの場合、ケイトの死が前提だ。だから彼はケイトを連れ帰るフリをして、どこかで殺すつもりだったはず」


「そんな……じゃあ、今はチャンスってことじゃないですか!」


 こうしちゃいられない!

 ベルは隠れていた低木の影から立ち上がった。


 遠くの方から、燃える音と木が薙ぎ倒される音が聞こえてくる。

 ボルグを探して、ケイトが暴れているのだろう。


「馬鹿だなぁ、ベル。相手は地の国を崩壊させるほどの力を持つ暗黒竜だぞ? 殺せるはずがないじゃないか」


 のんびりと答えるルシフェルに、動くつもりはないらしい。

 追従させようと手を取ってきた彼を、ベルは拒否した。


「わかっています! でも私、約束したのです。もしも彼が暗黒竜になるようなことがあったら、どんなことをしても止めるって」


「初代魔王妃のように、ぶん殴るか?」


 ファイティングポーズをとって、道化のように笑うルシフェル。ベルはツンと澄まして答えた。


「まさか! 私は私らしく、やりますわ。ちょっと心は痛みますけれど、これで落ちないヤツはいません」


 口を開けずに、声を抑えて、静かにククッと笑う。

 良からぬことを考えてほくそ笑む妹に、ルシフェルは鏡を見ているような錯覚を抱いたのだった。

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