第26話 ああ、なんておもしろい

 心ここに在らずといった様子で答えたベルに、ルシフェルは「おや」と片眉を上げた。

 視線をベルから湖へと移しながら、足を止める。


 ゴミ溜めの森ホーディング・フォレストは、その名に不釣り合いなくらいきれいな場所だ。


 森を包囲する瘴気しょうきが他に類を見ないくらい濃度が高いのは、これを隠すためなのではないかと疑念を抱くほどに。


「ここまで綺麗だと、地の国の生き物は逆に生きづらそうだ」


 実際に、湖の周辺は地の国では見たことがない植物ばかり生えている。

 おそらく、空の穴から落ちてきた種子が、ここで芽吹いたのだろう。


 地の国の植物より人の国や天の国にある植物が優勢であることが、ルシフェルには何よりの証拠であるように思えてならない。


 このような場所が地の国にあるということは、何か意味があるのだろうか。


 例えば、初代魔王は天の国から追放された者で、天の国から人の国、人の国から地の国と経て、最後にたどり着いた場所がここだった、とか。


 地の国には、そんな話が伝わっている。

 もっとも、誰もがおとぎ話だと信じて疑いもしないが。


 はるか北の地にある泥沼がおとぎ話の舞台だと言われているが、そちらよりもよほどそれっぽく見える。


 その時、ルシフェルの視線の先で、ぽちゃんと湖面が跳ねた。


 いつもだったら、どこからともなく取り出した釣り竿や網を持って、猪のごとく一直線に捕獲しに行くベルが、視線すら向けない。


 これがどれだけ異常なことなのか、彼女は気づいているのだろうか。


 ああ、なんておもしろい。

 ルシフェルは、にやけそうになる頰を引き締めた。


 ルシフェルがそのまま観察していると、ベルは彼が立ち止まったことにも気がついていなかったのか、惰性で歩いてきて、そのままポスンと顔から突っ込んだ。


「浮かない顔だな。本当はなにか問題があるのではないか?」


 ベルの額に人差し指を突き立てながら、ルシフェルは言う。

 すんでのところで衝突を免れたベルは、痛む額を押さえながら「問題……?」とぼんやりつぶやいた。


 あるに決まっている。

 そう言おうとして顔を上げ、見下ろしていたルシフェルと目が合ってハッとなった彼女は、慌てて口をつぐんだ。


「あー……いいえ、私は元気ですよ。魔王城のみんなはどうですか?」


 しどろもどろになって目を泳がせる姿は、わかりやすすぎて滑稽だ。

 ルシフェルは、笑いそうになる顔をギュッとしかめた。


「相変わらずだ」


「あの……それは、アスモお姉様も……?」


「アスモ……? アレもいつも通りだ」


「そう、ですか」


 唇を尖らせてムスッとした顔は、子どもみたいでかわいらしい。


 思わず手を伸ばしてくしゃりと頭を撫でると、「子ども扱いしないでください」とベルはますますむくれた。


 色欲姫であるアスモは、ベルが追放されてからも変わらず、男女問わず誰かしらそばに侍らせている。


 とはいえ、何か思うところでもあったのか、壊れそうになるほど酷使することはなくなった。


 魔王城では「助け舟を出していた暴食姫がいなくなったことで、色欲姫はようやくセーブすることを覚えたのでは?」なんてうわさが立っているが、そうではない。


 ルシフェルは事実を知っているが、ばかばかしすぎて訂正する気も起きないので放っておいている。


 本当に、ばかばかしい理由なのだ。

 だが、これだけは言える。

 ベルは家族から愛されている、と。

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