学校にて その5

「なぁなぁ」


 小さな小さな囁き声で、ウヴが少年の肩を突っつく。生物の分類の方法を説明している先生から視線を外し、彼の方を向くと、笑いを堪えた顔でウヴが今度は少年の背中の方を指さす。首を傾げて指の先を見てみると…。


 そこには机に頭を乗せ、口を開いて熟睡しているダルカがいた。その右隣に座っているイードゥは真面目に授業を受けているように見せかけて窓の外の鳥をじっと眺めている。


(最前列なのにすごい度胸だなぁ…)


 呆れたような、感心したような、安心したような表情で、少年はウヴの方に顔を戻した。


「笑えちゃうね」

「ほんっとにな。あんなんだと俺みたいに留年しちまう」

「去年あんな感じだったの?」


「いや、あれよりひどかったね」

「真面目な顔で言うことじゃないでしょ」


 ぷはは、と笑う少年。ウヴも笑顔で返す。視界の端のホワイトボードに映されたプロジェクターの内容が切り替わったのが見えて、二人は前を向いた。


「はっ…!」

「うおっ」


 寝ていたダルカが顔を急に上げたせいで、イードゥの体がビクッと跳ねた。


「今、すごくいい夢だったぁあ」


 悔しそうなうめき声をあげたように喋るダルカに対して、不満げなイードゥが

「何見てたんだよ」と乱暴な口調できく。


「パン屋さんになれた夢だった」


 いいところだったのに〜、と言いながらもう一度寝る体勢になった時に先生が振り返った。


「フォンダ。お前、起きてたんじゃなかったか」

「あー、そういえばそうでしたね。ま、いいでしょ」

「あのなぁ」


 自分の授業を真面目に聞いてもらえなくて不満そうな先生が続きの言葉を言おうとしたところで、


ジリリリリリリリリ


とけたたましくベルが鳴った。

 残念ながら、学校の鐘はダルカの肩を持つことを選んだようで、クラスメイトたちはタブレット片手にそそくさと教室から出ていく。早く昼食を食べたいのだろう。


「よっし! 昼休み! 飯食べようぜ!」


 先ほどの寝ぼけた雰囲気から一転して、ダルカもタブレットを持って席から立った。少年も立ち上がると同時に、あの手紙を思い出す。


「三人は先に食べてて」

「?…あー、あれか」

「うん、ありがとう」


 とりあえず笑顔を繕って、ふらふら教室から出ながら少年は友人たちに伝える。物分かりのいいウヴとイードゥがまだ何もわかっていないダルカを連れて売店の方に向かった。


「なんかわかんないけどがんばれー!」


 元気に言うダルカの声に、少年の作り笑いはほころびて、本物に変わった。



 グラウンドに出て、ランチタイムで賑わうピクニックベンチが集まる場所を通り過ぎて、ちょっと日陰の多いベンチが4つほど並んでいるところを目指す。


(この学校で、ベンチって言ったらここだけ、だよね)


 静かに風に呼応して、木の枝や葉が揺らめく。ゆっくりと降り積もる木漏れ日が、木の下の1つのベンチを照らしていた。教会での風景によく似たそれに、少年は下唇を噛むが、ベンチに腰を下ろす。ぎい、とベンチが軋んだ。


(まあ、うん。僕に嘘つく必要あんまないし。きっと、きっと来るはずだ)


 願うように思うかたわら、少年の脳内のもう一人の彼はそんな思考を嘲笑った。落ちぶれた片割れを、さんざバカにする。


 グラウンドでボール遊びや鬼ごっこをしている下の年齢の様子を眺めながら、少年は待つ。そよそよと風が通り抜けた。普段ならはっきり聞こえる、元気で大きな声が、今は遠くからぼんやりとしている気がした。


(昼ごはん、買っておけばよかったかなぁ)


 今さら三人と一緒に売店で騒いでから来ることを選ばなかったことを後悔しながら、少年はまだ待つ。


 適当に足をぶらぶらさせていると、昼食を食べている女子数人の視線がチラチラこちらに向いていることに少年は気づいた。


「そういえば、ここって告白スポットだって前イードゥとダルカが言ってたな…」


 ぼんやりと呟かれたそれは、空気中でぽろぽろと分解して消えた。少年の星色の目が、木漏れ日から逃げようと日陰へと逸れた。


 手持ち無沙汰を解消したくて、ポケットの中に突っ込んでおいた手紙を取り出す。便箋を開くと、木漏れ日でまだらな黄色の模様ができた。もう一度、手紙の内容を目で追って読んでみる。


「…ノラへ。急にごめんね。話したいことがあるんだ。だから、今日の昼休み、グランドにあるベンチに来て欲しい。嫌ならいいんだ。君に決めて欲しからさ。…ニゲラより」


 後ろから急に聞こえた声に肩を跳ねさせて、少年は声の聞こえてきた方向に振り向いた。少年が小さく息を吸った。


 そこに立っていたのは。


「…………ニゲラ…」


 少年がそう呟いたのを聞いたか否か、ベンチの後ろに立つニゲラが優しく笑う。二週間ぶりに見た藍色の目は、相変わらず優しかった。


「今、やっとぼくってことに気づいたんだね」

「え?」


 少年の隣に座りながら、ニゲラは言う。ふわりと薄い空色の七分袖が舞った。


「これ、見覚えない?」


 そういってニゲラが少年に見せてきたのは、銀のフレームの綺麗なメガネ。木漏れ日が反射して、キラキラと光る。


「あ、あの子がつけてた…」


「その『あの子』がぼくだよ。…あはは、憑き物が落ちた顔みたい」


 確かに、少年は両目を開いて、口を小さく開けていた。その表情にニゲラは歯を見せてイタズラっぽく笑った。


「…ずっとみてたの」

「うん」

「ひどくない⁉︎ ちょっと教えてくれたって…」

「でも、ほら『約束』があるから」

「だけど、僕は、もう!」


「秘密基地に来ないとか、言わないで」


 ひどく硬い鋭い声で、少年の言葉をさえぎる。そんなニゲラに、少年は固まった。木漏れ日が止まった気がした。遠くの音が完璧に遮断される。もう女子生徒の探るような視線も意識の外に放り出されていた。


「そうだ、呼び出した理由」


 なんでもなかったかのように、ニゲラは話の舵を力一杯切った。世界の音が一気に戻る。


「ああ、うん」

「でも、その前に、自己紹介じゃないかな」


 そう言うと、ニゲラは立ち上がり、少年の前に立って右手を差し出した。木漏れ日が動き出して、目の前の藍色の彼に降り注いだ。


「初めまして。僕はネイド。ネイド・ゲージェ。よろしくね、








                         ユーファ・メドナくん」

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