第8話

 

 更に3か月が過ぎた。

 一向に彼らが元の世界に帰る気配はなく、悩んだ末、私は大学に復学することにした。


 今現在お金に困っている訳ではないけれど、彼らがここ残るにしても、一人になるにしても、安定した職は必要だよね。そのためには、とりあえず大学は卒業した方がいいという結論を出した。

 この数か月で彼らもかなりこの世界のことを理解出来る様になり、心配事が減ったのも理由の一つ。

 近所の範囲であれば彼らだけで活動しても支障ないだろうと判断して、一人一人にプリペイド式のスマホを買ってあげた。あと中古のタブレットを一人ずつ買ってあげて、勉強するないし楽しむないし、自由にしてもらうことにした。

 私って寛大じゃない??

 見られるサイトを制限して支払いが必要なものは私の承認がないと出来ないように設定して、この年にして4人の子どもを抱える母になった気分だ。

 最近ではコンビニやスーパーなら、彼らだけで行ってもらうこともある。彼らが行くとなんかおまけ貰ってくることも多々あるんだよね。

 やっぱりイケメンは正義なんだな……。



 さて。

 となれば残る問題は私自身の進路なのだけれど、年の半分以上休学していて当然単位も足りず、もう一回3年生をやり直すことになった。

 ある意味いきなり就活にならなくてホッとしたけれど、勉強していたことはもちろん、学校での人間関係も含めて綺麗さっぱり。もう綺麗さっぱり忘れていた。

 仲の良かった数人の友人は覚えていたけれど、それ以外の微妙な深度の付き合いの人たちは頭の片隅にも残っておらず、なけなしのコミュニケーションスキルを駆使して適当に躱すことに全集中だ。

 でも両親を急に亡くしたということは割と知られていたため、そのショックなのだと考えられているのか、みんな優しい。

 こんなに色んな人の優しさに触れたのは、かれこれ17年振りなので逆に戸惑ってしまう。

 うーん、考えれば考えるほどクローディアの時はハードモードだったんだな。

 悪役令嬢つらたん。


 心配してくれている友人たちには申し訳ないけれど、進級出来なかったことで学年が分かれ、接することが少なくなったのは、私としてはホッとしている。

 この体は大学を離れて半年ちょっとかもしれないけれど、精神的には17年以上離れていたことになる。その間本当に色々なことがあったし、私の中で彼らはあまり近い存在ではなくなってしまったのだ。

 それにそれまで通りの関係を続けていたら、いつかシリルたちのことがバレてしまうだろうし、そうなったらなんと説明していいか分からない。

 いや普通に無理だわ。

 怪しいヒモいっぱい抱えてる女って思われる……!


 そんな訳で、元々人付き合いが上手い方ではないことも相まって、自然といつもの4人以外の人とは、必要最小限の付き合いしかなくなってしまったのだった。





「はぁーーーただいまーーー」

「おかえり姉さん。ご飯出来てるよ」


 黙々と大学の授業をこなし、アパートの大家部屋の扉を開けて息を吐く。

 するとエプロン姿のシリルが顔を出した。

 なんとシリル、大学に復帰する私の代わりに、家事全般を担ってくれているのだ。

 最初は何も出来なかったシリルだけど、徐々に覚えてくれて今では簡単な料理も作れるようになった。

 やだイケメン……! めっちゃ助かる!!

 持つべきものはイケメンな義弟だわ。

 うちの弟は世界一!!



「遅かったな。大学とやらは忙しいのか?」


 トラヴィスがソファーに寝転びスマホをいじっていた手を止めて、顔を向けた。

 王太子とは思えないリラックスモード。

 何なら下はスウェットだし。

 最早それが板に付いている。

 人の慣れって恐ろしいな。



「ちょっと教授に呼ばれて話してたから。ウォルトは……うん。いつも通りだね」


 部屋の奥を覗くと、テレビの前で正座しながら画面に齧り付いて見ているウォルトが居た。私が帰って来たことにも気付いていないようだ。

 見ているのは……そう、アイドルのライブ映像。


 髪を切って色を染めたウォルトは、色々と吹っ切れたのか、これまでよりも随分明るくなった。

 元々のはっきりものを言う所は変わらないけれど、前ほどの腹黒さは感じないし、むしろユーモラスなノリを感じる。

 かつてのあれは、彼なりの武装だったのかな、なんて思っている。



 それはいいのだけれど……。

 何と彼は、たまたまテレビで見かけた女性アイドルグループに強い衝撃を受けたようで、今ではすっかりハマって歴としたドルヲタになってしまったのだ。

 この間など、何と私に「ライブに行かせて下さい!」と土下座までしてきた。

 彼らにはまだお金を稼ぐ手段もないものだから、費用は全額私負担だ。けれどあまりにも必死に頼むものだから、思わずつい許可してしまった。

 でも帰ってきてからも何度も涙を流しながら感動を伝えてきたから、まあ良かったかなと思っている。

 そう何度も行かせる訳には行かないけどね。


 けども、それはそれとして。

 元の面影どこ行ったん??


 いや、アイドルが絡まなければ割と元のウォルトなのだ。けれどアイドルが絡むともう。もうね。

 噂に聞くドルヲタがペンライトを持って踊るあのパフォーマンスを、部屋で練習していることも知っている。

 だってウォルトの下の部屋だから。

 あのドタドタやっている音は間違いなくアレだ。

 たまに盛り上がっちゃったのか大声で合いの手を入れていて「うるさい!」とニコラスに怒られている。


 人って変わろうと思えば変われるんだね。

 人は常に変化するものなのだと、しみじみ痛感しているよ……。




「あれ? ニコラスは?」


 そういえばニコラスだけが見当たらない。

 各自の部屋があるにも関わらず、これまで寝る時以外は何となくみんな大家部屋に集まるのが習慣化していた。

 それなのに、居ないとは珍しい。


「なんか部屋で音楽聴いてるって。姉さんに買ってもらったヘッドフォン、とっても気に入ったみたいだね」


 ニコラスはこの世界の音楽にもの凄く驚いたみたいで、本当に色々な曲を聞くのが好きだ。

 ジャズやボサノバの様なあっちの世界にはない音楽や様々な国の伝統的な音楽もそうだし、近年多い無ジャンルというか型にはまらない音楽も、ニコラスにとってはとてつもない衝撃で、激しい感銘を受けた様子。

 今はサブスクで音楽が聴き放題だから、一人の時はよく音楽を聴いているみたい。

 でも夜は満足いく音量が出せないからと、つい最近ヘッドフォンを買ってあげたのだ。

 なのでどうやら今、ニコラスは音楽に没頭しているに違いない。



「そっか。じゃあ荷物置いてくるついでに、呼んでくるね」


 そう言って一度部屋を出て、自室へと向かう。

 荷物と上着を置いて、ニコラスの部屋の前まで行くと、中からニコラスの歌声が聞こえた。多分ヘッドフォンで音楽を聴きながら歌っているのだろう。

 ヘッドフォンしてるとうっかり大きな声で歌っちゃってたりすることあるよね。

 まさにそんな感じ。



 ……っていうか。


 え?

 上手くない……?



 あの筋骨隆々な姿からは想像のつかない甘い歌声ですね!?

 ビブラートや裏声もバッチリですね!?

 まさかニコラスにこんな才能があったとは!!



 衝撃を受けていると、私のお腹がぐうと鳴った。

 いかんいかん。

 我がイケメンな義弟の作ったご飯が冷める前に行かなければと理性を取り戻し、部屋のチャイムを押した。

 すると中からガタガタっと音が聞こえて、やがてドアが開いてそろりとニコラスが顔を出した。


「あ……蘭か……。ええと、何だ?」

「ご飯だって。シリルが作ってくれて待ってるよ」

「お! そうかそうか! ははは今行くぞ!」


 ほんのり頬を赤らめてわざと大声で喋りながらニコラスは大家部屋へと向かって歩き出す。

 さては、照れてるなこの子は。

 恥じらいボーイだな?? ふふふ。


 私はニコラスと大家部屋へと向かいながら考える。

 ふむ。

 今度みんなでカラオケに行ってみようかな?

 まだ行ったことなかったし。


 何だか私は楽しくなってウキウキし始めたのだった。







「え……やば…………」


 私は思わず語彙を失っていた。

 今目の前で起こっていることが信じられない。

 上手いとは思ったけれど、まさかニコラスの歌が、ここまで上手かったなんて……!



 シリルのご飯を堪能した私は、食後みんなにカラオケに行こう! と誘った。

『カラオケ……?』『空の桶がどうしたんです?』とベタな勘違いでシリルとウォルトはピンと来ていなかったけれど、トラヴィスとニコラスは表情からして分かったようだ。


『あの、たまに街中に出ている看板のやつだな。確か、歌を歌う所だろう?』


 トラヴィスがそう言うと『聞くのではなく? 自分で歌うんですか?』『え? お金払うの? 習う訳でもなく歌を歌うだけなのに?』と2人はいまいち乗り気ではなかったけれど。

 私は行くと言ったら行く! と強引にカラオケ行きを決定した。

 てっきりニコラスは『行ってみたかったんだ!! やった!!』とか言うかと思ったけれど、案外にニコラスは何も言わなかった。

 もしやみんなの前で歌うのは嫌だったかな?と思ったけど、その表情は見るからに嬉しそうにしていたから、そうでもないらしい。

 私自身も久々に歌いたい気分だし、ワクワクして翌日を迎えた。



 まずは機械の使い方を説明し、私が歌ってみせる。

 乗り気ではなかったシリルも、俄然興味を示し出した。


「わぁ姉さん歌が上手いね! あっちじゃ歌と言えば声楽かコーラスだけど、確かにこれなら誰でも歌えて楽しいかも!」

「無縁坂47は!? 無縁坂47の歌はあるのですか!!? えっえっこれは映像付き!? れみたんが出てくると言うことですか!!!?」


 推しのアイドルグループの歌を物凄い勢いで調べるウォルトを尻目に、トラヴィスも機械をいじりながら興味深げに眺めている。


「俺たちはこの世界の歌をあまり知らないが……。だが映画の主題歌もたくさん入っているな」


 実はトラヴィス、物凄く映画を見ることが好きなのだ。

 今じゃ映画マニアと言っても過言ではない。

 音楽同様サブスクで様々な映画を見ることが出来るから、多い日だと一日3本は映画を見ているらしい。

 もしかしたら既に、私よりたくさん映画を見ているかもしれない。

『こんなにも面白い演劇があるなど、思いもしなかった』そうだ。

 確かに向こうの世界の演劇って、オペラだったりストレートプレイだったりする訳だけど、こう映画やドラマの演技とはまた別物だったりする訳で。

 それはそれで面白いんだけど、どうやらトラヴィスは映画の方がお好みだったようだ。

 ジャンルを問わず色々と見ているようで、映画の主題歌なら覚えているものも多いみたい。

 トラヴィスは鼻歌を歌いながら、歌えそうな曲を選んで入れていた。




「どうしたのニコラス? 歌わないの?」


 ウォルトが振り付きで推しのアイドルグループの歌を熱唱し、トラヴィスはその勢いにドン引きし、シリルは親切にもタンバリンを鳴らして上げている横で、ニコラスが何だかモジモジしていて曲を入れる様子がないため、私は声を掛けた。


「あ……いや。俺なんかが歌ってもいいものかどうか……と思ってな」


 おや。

 いつものニコラスらしくない、弱気な態度。

 歌うことは好きで間違いないと思うのだけど、どうしたのやら。



「俺は、子どもの頃から騎士になるものだと思って、歌なんて一切歌ったことないんだ。『騎士のすることじゃない』と思ってたし」


 ニコラスは由緒正しい騎士の家系であるセロシア伯爵家に生まれて、多分これまで騎士になること以外は一切考えてこなかったんだろう。

 剣の才能もバッチリあったしね。


「でも、本当はしてみたかった?」


 今のニコラスの言い方を考えれば、きっとそう。


「…………自分でも、知らなかったけどな」

「そっか」


 本人は意図してなかったみたいだけど、「歌を歌う」ということは“らしくない“と、わざと自分の中から追い出してたんだね。

 そういうのって、ちょっと分かる気がする。

 型に無理矢理自分を押し込めて、そうしていることに自分でも気がついてない。

 この世界の現代でもあることなのに、向こうの世界の貴族たちは、余計にそうなんじゃないかな。



「じゃあ、思いっきり歌ってみなよ。今、ニコラスは騎士でもセロシア伯爵子息でもなくて、ただのニコラスだよ。何でもやってみたいならやってみればいいんだよ!ほら、ウォルトなんてめちゃめちゃ楽しそうじゃん!」


 相変わらずウォルトは推しグループの歌を熱唱しており、しかもシリルを巻き込んで歌わせている。

 トラヴィスは巻き込まれたくないのか一切無視してドリンクメニューを眺めている。

 シリル優しすぎだろう。

 お姉ちゃんはちょっと心配になるよ。

 でも、ウォルトの顔はとてもキラキラしていて、本当に楽しそうだ。



「ささ、ニコラスも曲を入れよう!」


 そう言って私はニコラスに機械を押し付けた。

 ニコラスは、少し逡巡した後、おずおずと機械を操作して、昨日部屋で歌っていた曲を入れた。

 私は何だか嬉しくなって、歌い終わったウォルトたちに熱烈な拍手を送った。

 シリルが少し恥ずかしそうにしていて、ちょっと罪悪感。

 全然聞いてなかったけどついノリで、とは言えませんでしたね。





 そして。


 いざニコラスの歌が始まると、それまでガヤガヤしていたトラヴィスたちまで静かになって、ニコラスの歌に聴き入っている。


「え……やば……」


 上手い……上手すぎる!!!


 昨日部屋の前で聞いた時も上手かったけど、きちんと同じ部屋でマイクを通して聞くとめちゃめちゃ上手い。

 ていうか、何だろう、すごく切ないバラードを甘い歌声で歌い上げていて、聴いていて心地良い。

 まさかここまで上手いとは思わなかった。

 正直なところ、もう素人レベルじゃない。

 彼は本当は歌手になるべくして生まれたのではないかと思うほど、本当に素敵な歌声だった。


 あ、やばい。

 なんか分からんけど涙が出てきた。



 最後の一音が鳴り、曲が終わる。

 すると一瞬、部屋の中がシーンとなった。


「あー……えっと……」


 ニコラスが頭を掻きながら視線を逸らす。

 何だか気まずそうだ。


「ニ……ニコラス……! あんた天才だよ!! もう今すぐプロになれるよ!!!」

「ニコラス、まさかお前にこんな才能があったとは!」

「剣しか振れない体力馬鹿かと思っていましたが、今のは本当に素晴らしかったですよ!」

「ううう悔しいけど、今のはカッコ良かったなぁ〜」


 うわーっと一気にみんなに言われて、ニコラスは目を白黒させている。


「どうどう? 楽しかった??」


 私はニコラスの顔を覗き込み、ついニヤニヤしながら聞いてしまった。

 だって、答えは明白だから。


「……ああ! めっちゃ楽しかった!!」


 ニコラスはニカっと笑って、元気よく答えた。

 その笑顔は、美味しいものを食べている時よりもずっと、心から輝いて見えた。

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