§2 勇者

1.準公爵家の令嬢様

 「新月参会」――月の始めに、聖典教会大聖堂で行われる。広く門戸を開いて一般信徒が祈りを捧げに訪れる日だ。この日は教皇が自らの言葉で説法を行う。その内容によって王政が左右されることさえあると言われる重要な機会だった。



「……人々のため勇敢に戦い、そして命を落とした勇者バルグリフとその一党に、深く哀悼の意を表するものである」



 聖典教会の教皇はその日、はっきりと勇者の死を告げた。おれは報告していないから、どういう経緯で教会がそれを確認したかはわからない。ただ、そのころにはもう、バルグリフの死は世間でも噂になり始めていた。


 そしてもうひとつ――この時、教皇は世間の噂を肯定した。



「大魔王の残党が勇者を狙ったものではない。勇者は大魔王の仇ではないと教会は考えている」



 勇者バルグリフは大魔王を倒してはいない――それを教皇が明言することになった形だ。おれはその場にいなかったから、大聖堂の広い広場を埋める一般客たちがどれだけどよめいたのかは知らない。ただ、その後は迷宮団地城ダンジョン・マンションの裏酒場に至るまで、その話題でもちきりとなっていた。



「大魔王の報復ではないかという民の不安を、和らげる狙いもあったのでしょう」



 窓際に立って外を見る華奢な少女が言った。灰色の装束は地味だが、仕立てのよいものだ。その上になびく華やかな榛色ヘーゼルの髪とよく調和して美しい。



「しかし、教皇がその話に権威付けをしてしまったことは大きいですね。グスマン公爵は引っ込みがつかなくなる」



 装飾の凝った椅子に座り、ティーカップを手にしたエルロイが言った。おれはと言えば、同じ装飾の凝った椅子に腰かけて目の前のティーセットを眺めていた。



「荒れるでしょうね、王都は」



 エルロイが付け加える。少女は振り向いて悲し気に首を振った。エルロイがさらに付け加える。



「……続けてよろしいのですね、ディエリー?」


「ええ……誰かが真実を知っていなければなりません。それは歴史にとって大きな武器となるはずですから」



 少女は顔をあげ、毅然とした表情で答えた。


 この少女がディエリー・パルゼイ子爵令嬢――エルロイの仕える”主”だという。小柄で華奢で、色が白く――それに不釣り合いなほど大きな瞳と、力強い眉が、貴族の令嬢という先入観を突破して印象的な少女だった。



「協力していただけると聞いて心強く思います、グリーパーさん」



 少女はおれたちと同じテーブルにつきながら、そう言っておれに微笑みかけた。おれはなんとなく目を逸らす。



「誰に認められずとも真実を守り通し、歴史の中に伝えていく……それこそ我がパルゼイ家が代々使命とする”真問官”の役目なのです」



 ディエリーは自分のティーカップを手に取り、また置いた。猫舌なのだとか。


 おれはエルロイとディエリーを見比べ、言う。



「パルゼイ子爵が”準公爵”なんて言われるのも、その役目があるからってわけだ」


「ええ。この王国が生まれる前からある役目だと聞いています」



 ディエリーはエルロイをちらりと見る。



「そしてその役目は、上帝神族アルコンとの契約により保証される。王でさえも手を出せないのはそのためです。もちろん、役目に背けば契約した上帝神族アルコンにより粛清がくだされることでしょう」



 あんた一体何歳なんだ、とエルロイに向かい言おうとして、おれはやめる。だがエルロイはおれの考えを見透かしたように、



「僕は二代目なんですけどね」



 と付け加えた。



「……上帝神族アルコンってのが人間とそういう契約をするのはよくあることなの?」


「稀によくある、らしいですね。他にも似たような契約を結び、人間を陰で助けている者はいるようです」


「自分たちより下等な人間に対して、どうしてわざわざそんなことを?」


「少なくとも僕は下等だなんて思っていませんよ。ディエリーも君も、対等な友人です」



 エルロイはそう言って茶をひと口すする。



「……上帝神族アルコンと言ってもそれぞれですし、社会や組織があるわけでもない。それぞれの理由でそれぞれに世界と関わっているのは人間と同じです」



 ふうん、と鼻を鳴らし、おれも茶をすする。ボルックスの店で出される野趣あふれる香りとはまったく違う、洗練されたものだ。



「……あのバケモノ女もどこかの人間と契約しているのかな?」


「可能性はありますが、そうでない可能性もある。例えば、魔王ゼロス自身が上帝神族アルコンで、その仇を討とうとしてる、とかね」


「魔王も?」


「当然あり得ることでしょう。あの強大な力が上帝神族アルコンのものだとした方が論理的だ……もっとも」



 エルロイはカップを置く。



「この仮説はナンセンスですけどね。上帝神族アルコンから」


「……え?」


上帝神族アルコンは支配者となってはならない……それがルールです。本能と言ってもいい」



 エルロイはそう言って茶をすすった。ティーカップを置き、言葉を付け足す。



「この世界に上帝神族アルコンが現れた時からそう定められていたと言われています。鶏が空を飛べないのと同じように、僕らは支配ができない。鶏の肉体はそういう作りになっているし、僕らの精神はそういう作りになっているんだ」


「精神の作り、ね……」


上帝神族アルコンは物質界よりも精霊界に近い存在ですから」



 エルロイは微笑を浮かべ、金髪を揺らした。



「だから人間の政治にも関わらないし、上帝神族アルコンの力を使って地上を支配する人間もいないんですよ」


「……とはいえ、上帝神族アルコンにもいろんなやつがいるんじゃないの? 直接支配するんじゃなく、破壊だけを目的とする理由があれば大魔王にはなれる」


論理的に正しいレクタ・ロジカ。つまりこれからそれを探るわけだ」



 おれとエルロイのやり取りを聞いていたディエリーが、不意にくすっと笑った。



「なに?」


「ごめんなさい。二人の息がぴったりなもので、つい」



 おれはその時、変な顔をしていたと思う。ディエリーはそれを見てまた笑った。



「優れた助手がいるおかげで、エルロイもやりやすいみたい」


「じょ、助手!?」


「あ、ちがいましたか? てっきり……」


「さて、そろそろ行動しましょうか、ラッド助手」



 慇懃な調子で横から言うのにおれは抗議しようとしたが、先にエルロイが言葉を継いだ。



「正確な論理を構築するのには、まず情報を集めることからだ。聖典教会に行くんでしょう?」


「……上帝神族アルコンってのはみんなそう理屈っぽいのかい?」


「僕に言わせると君は感性で物事を捉え過ぎですね」


魔術師ウィザードってのは感性の領域なんだよ」



 おれはエルロイに続いて椅子から立ち上がる。部屋を出る間際、背後でディエリーが「やっぱり息がぴったりだ」と言ったのをおれは聞き逃さなかった。


 * * *


 聖典教会で枢機卿に面会を求め、おれは改めて仕事を引き受けることを伝えた(同行していたエルロイに、他の神官が妙な目を向けていたが気にしないことにしよう)。枢機卿は頷き、いくつかの情報を教えてくれた。


 ドーソンは独り者で、司祭格で審問官、枢機卿の息子という身分にも関わらず大聖堂で他の神官と共同生活をしていたことなどだ。



「教会の他に交友関係は?」


「なかった、とは言い切れませんけど……あの方、ほとんど外出もしませんでしたから」



 枢機卿の横に立った若い神官が首を傾げる。



「カタブツで真面目で、枢機卿の子であることを鼻にもかけない司祭様か……」



 それが浮かび上がって来たドーソンの人物像。おれはどことなく違和感を覚えていたが、この時はまだそれは確信となっていなかった。



「まあ、そういうやつほど、裏でなにをしてるかわからないもんだしなァ」



 おれがそう言うと、若い神官はムッとした顔になった。横からエルロイが口を出す。



「その辺は君の得意分野でしょう、ラッド?」


「……まあ、当たってみるよ」



 屑拾いラグ・ピッカーの情報網は広い。例えばドーソンが教会の外で繋がりを持っていたとすれば、ゴブリン・キックなどの酒場を通じてその情報が入手できるかもしれない。



「それともうひとつ。ドーソンがおれに開錠を頼んだあの小箱は一体なんなんだ?」


「小箱?」



 若い神官は問い返した。おれは枢機卿の方の顔も確認する。



「知らないの?」


「なんのことか……」



 てっきり教会の重要な物品を収めたものだとかそういうアレかと思っていたんだけど。



「おれが作った魔晶石は、その小箱の魔法鍵ウィザード・ロックを解除するための術式だ。ドーソンはなぜそれを持ったまま死んでいたんだ?」


「ふむ、それもまた謎のひとつじゃが……今の段階ではなんとも言えぬな」



 枢機卿が髭を撫でる。横で聞いていたエルロイが枢機卿に向き直った。



「もう一度、我々の任務ミッションを確認させていただきますが、猊下……大魔王ゼロスを倒した真の勇者を見つけること、でよろしいですか?」


「ああ、その通りじゃ」



 鷹揚に頷く枢機卿に、エルロイは言葉を継ぐ。



「その小箱も含め……ドーソン氏の件は、副次的なものに過ぎないと?」


「……残念だが、倅については自殺であることは間違いなさそうなのでな」



 枢機卿が答える。



「なにかに関わっていることは疑いない。それは真の勇者を捜す中で明らかになるだろうて」


「では、次は勇者の足取りを追ってみましょうか、ラッド」


「……と、いうと?」



 俺が聞き返すと、エルロイは首を振る。



「血の巡りが悪い助手だ」


「だから助手じゃねえって」


「血の巡りが悪いことは否定しないんですか?」


「いいから説明しろよ」



 エルロイは笑い、言う。



「勇者が魔王の城まで辿り着き、魔王を倒したという英雄譚……その足取りを追い、どこまでが真実かを確かめるんですよ。そうすれば自ずと見えてくるものがあるでしょう」



 それを聞いていた枢機卿がうむ、と頷いた。



「馬車を出そう。それと、護衛もつけさせてもらう」


「監視、ではなく?」


「ほっほっほっ、そう受け取ってくれても構わんがな」



 枢機卿の顔は笑っていたが、目は真剣だった。



「こうなった以上、グスマンも黙ってはおるまい。せめてもの用心と、巻き込んだことへの誠意じゃよ」


「……ありがたく受け取ります」



 エルロイは言って席を立った。



「……人を拉致しておいて誠意もないよなあ」



 やれやれ、とおれは思いながら、エルロイの後を追った。一度、振り返って枢機卿と神官たちを見たが、なにやらひそひそと話し合っているようだった。まあ、おれたちには関係のないことだ。

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