第25話 不死鳥の出汁からあげ 前編
「……どうして喧嘩しちゃったかなあ……」
つぶやいた声が、異世界の空に溶けていった。
爽やかな朝。今日も今日とておねえちゃんを完全無視して家を出てきた私は、訓練場に向かいながらひとり後悔の念にかられている。
「別におねえちゃんを傷付けたいわけじゃないのに。なんでこう素直になれないんだろう」
こぼしたため息が白く染まった。
異世界の朝は冷える。心まで凍り付いてしまいそうだ。
「……でも、おねえちゃんも悪いし」
ふるふると首を横に振った。
「違うね。悪いのは、あのちびっこのせいだ!」
思い出すだけで腹が立つ。
攫われたおねえちゃんが魔女の家から連れ帰ってきた(?)少女、リリィ。
一見するとただ可愛らしいだけだが、ときおりドキッとするほど蠱惑的な表情をする。
猫耳しっぽ持ち。ゴシックなドレス……。笑うと犬歯がのぞく。
あざとい。超超超超超っ!! あざとい子だ。
あの子ってば、必要以上におねえちゃんにくっつくんだよ。
ぎゅうってこれ見よがしに抱きついて。ちらっと私を見るんだ。
『……にゃあん』
そんでもって、嘲るみたいに笑う。
なんだあれ。なんなんだあれっ!
――ただの女の子じゃないね。小悪魔だ……!!
確信を持って言える。
じゃなきゃ、こんなに反発したりしない。リリィがおねえちゃんを〝姉〟と呼んだ時、そりゃあびっくりしたけどさ。
おねえちゃん、優しいからね。小さい子が懐くなんて、昔からよくあった。
……それでも、血が繋がっているのは私だけだし?
別に妹の座が揺らぐわけじゃない。
だから、これまでこんなに嫉妬したりはしなかった。
なのに――どうしてだろう?
リリィがおねえちゃんといるって思うだけで――。
「心がチリつく」
ぽつり。つぶやきと共に白い息が空気に溶ける。
私の中のなにか――言葉じゃ言い表せないセンサー的なものが、リリィに反応している気がして仕方がない。
アイツはヤバイ。早くおねえちゃんから離さないと――。
ただの直感だった。なんの根拠もない。だからこそ、懸命に少女の世話をしているおねえちゃんを止められないし、心の内に抱えた不安を説明できず、イライラを募らせている。
「マモリ・キザキッ!!」
「……うるさいのがきた」
うんざりして声がした方を振り返る。
仁王立ちのフランシスがいた。ギルまでいる。
「おはよ。人の名前を叫ぶ前に、挨拶をするべきじゃないの」
「ぬっ!? それはそうだな。おはようッ! マモリ・キザキッッ!!」
「おはようございます。まもり様」
「やればできるじゃん。今日は討伐だっけ。がんばろうね」
ヒラヒラ手を振って、きびすを返した。
ここ最近、魔物の出現が増えてきている。先ごろは、難民キャンプの近くまで出没したらしい。
原因は不明だが、西方の森に魔物が大量発生しているようだ。
今日は、騎士団の連中と狩りにでかける予定だった。
「マモリ・キザキッッ!」
三度、フロレンスが私の名を呼んだ。
「なに?」
「元気がないぞ。腹が減ったのか」
「……朝ごはんなら食べたよ」
それだけ? なんなのよ。
仏頂面のまま歩き出す。
私に追いついたフロレンスは、「嘘をつけ!」となんだか偉そうに胸を張った。
「私に嘘は通じないぞ。まるで生気がないではないか。どうせ、寝坊でもして食いっぱぐれたんだろう。なにか分けてやろうか。弁当があったはずだ――」
「いらないってば。お腹も空いてない。私をなんだと思ってるのよ!」
思わず声を荒げて叫ぶ。フロレンスはあっけらかんと言った。
「歴代の誰よりも食いしんぼうな勇者だ! 姉の飯をしっかり食わないと機嫌が悪いし、弱くなる。穂花が攫われた時のお前は散々だったろう。もう忘れたのか」
ニヤリと不敵に笑って、拳で私の腕を叩く。
「討伐の陣頭指揮を摂る身としては、旗印の勇者が不甲斐ないと困るのだ。……なんの問題を抱えているかはしらないが、さっさといつも通りになってもらわんと困る」
それで、万全な状態で自分と勝負しろと、いつも通りの高笑いをした。
キョトンする。ギルが申し訳なさげに頭を下げた。
「う、うちの団長がすみません。えっと、勇者のおふたりが喧嘩したと聞いて、すごく心配しているみたいで。早く仲直りしてほしいと。つまりはそういうことだと思います。団員たちも、ここ最近のお二人の様子を心配してまして。いつだって仲がいいのがおふたりですから。だから、早く仲直りしてくれと……。わかりづらい団長ですみません……」
何度も何度も頭を下げる。
――あれ。ただの姉妹喧嘩なのに、みんなに心配をかけちゃってる?
呆気に取られて、思考が停止した。ペコペコ謝っているギルを見ているうちに、なんだか笑いがこみあげてくる。
「……ふ、ふふふっ!」
「ま、まもり様?」
「ぬっ! マモリ・キザキッッ! ちょっとは元気が出たか!」
「違うよ。あんまり君たちが面白いから笑っちゃっただけ! そうだよね、私たちってば勇者だった。そりゃあ心配させちゃうよね――」
みんながみんな私を気遣ってくれている。
なのに、ひとりで拗ねてるのって馬鹿みたいだ。
今回の喧嘩を終わらせるのは簡単だ。ようは私の気持ち次第。
だって、そもそもおねえちゃんは悪くないんだし!
「そういえば、姉勇者がジェイク様と晩酌を共にしたそうだな」
「え? そうなの? 知らなかった」
「なんでお前が知らないんだ。ジオニス様もご一緒されたそうだぞ。うらやましい。どれだけ崇高な話題が持たれたんだろうな……」
……酔っ払いだらけの集まりなんて、下世話な話が多いと思うけど?
なんだか夢見ているフロレンスに笑ってしまった。
――そっか。おねえちゃん、ストレス発散したのか。
おねえちゃんが思いっきりお酒を飲む時は、気分を切り替えたい時だ。それくらいは知っていた。伊達に十七年も一緒に暮らしていない。
……うん。いい加減、喧嘩を終わらせようとしているんだな。
たぶん、自分から折れようとしてくれているのだろう。
大人として、姉として――妹である私の負担にならないように、ちょっぴり我慢を重ねて。
「……それでいいのかな」
思わずため息をこぼした。
――深く考えなくとも、駄目に決まってる。私だって、いつまでも子どもじゃないんだし。自分から動かなくちゃ。
しみじみ思って空を見上げた。
神殿の上空をなにかが飛んでいる。
青白い炎をまとった鳥だ。
不死鳥――生き物の魂を炎に変え、己の糧にすることで、永遠に近い時間を生きられるという。異世界では大勢の人死にが出る前兆と言われ、不吉の象徴だった。
「フロレンス。西の森に不死鳥っているかな?」
「お? おお。いると思うがな。デカイ巣が見つかっていたはずだ」
「あれ、美味しいかなあ」
「私に訊くなよ……」
「そりゃそうだ。よしっ!」
笑顔になってフロレンスに向き合う。
「今日の討伐ではアレをいっぱい狩ることにする! そんでもって、おねえちゃんへの手土産にするんだ!!」
力いっぱい宣言する。
フロレンスが苦く笑った。
「ちゃんとこちらの指示に従ってくれよ。他の団員もいるんだから」
「もっちろん! この頃の訓練の成果も試したいしね~!」
くるんと回ってニカッと笑えば、フロレンスとギルがいくぶんホッとした様子を見せた。
――よっし。気分が持ち直してきた。
おねえちゃんと仲直りするためにも! 今日もがんばろう!
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