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 早起きな鳥たちが日の出を告げ、夜の獣たちが寝蔵ねぐらへと帰る頃。ワタシは山頂を目指し、歩いていた。そこには”聖棺せいかん”が納められている。ワタシは今日、その聖棺の守護者となった。


 いや、なっちゃったと言ったほうがいいかも。

 だって、元々なりたかったわけじゃないんだもの。こんなこと言うとバチ当たりかもしれないけど。


 本来守護者になるはずだったのは、ワタシじゃなかった。別の子が守護者に決まっていたんだけれど、彼女にちょっと不幸があって……急遽、守護者を代わってもらわなくちゃならなくなったの。

 そこで昨夜、首長に呼ばれたワタシは、代わりの守護者に選ばれたことを聞かされた。

 そして気づけば、ワタシはこんな朝早くから山道をひとり歩いているわけ。先代に替わり新たに守護者に選ばれたものは、聖棺の中で眠るという”英雄”にごあいさつをしなければならない。その儀式のためなんだそうだ。


 今更だけど、ワタシが守護者になるなんて思わなかったな。

 ううん。ワタシは、ワタシが何者になるのか、それ自体考えついてなかったんだ。


 昔だったら、時の首長が「汝、あれそれになるべし」って決めていたんだろうけど。いつしかそれは、本当に大切な役割にしか行われなくなった。山の麓に町ができてからは、伝統的な暮らしを離れてそこで住む仲間も多くなった。自分の生き方は自分で決めるように変わってきたんだ。


 ワタシも今年で元服を迎え、名を授かった。自分が何者になるのか、選ぶ時が来ていた。この山でお母さんと一緒に暮らすか。それとも山を降りて町で仕事を探す? 町での暮らしはきっと刺激的だろう。あるいは……”巡り風”になって旅に出て、広い世界を知るか。どれも捨てがたくて決めかねたままに、聖棺の守護者になってしまった。


 聖棺の守護者は誰でもなれるようなものじゃない。一族の使命を全うするにふさわしい者であると、首長たちに認められなければならない。逆に言えば、守護者は一族に認められた立派な人物であるということ。その名は後世にも伝え継がれることになる。そんな名誉を娘が得たとなると、お母さんはもちろん、旅に出ているお父さんが帰ってきたときにはさぞ喜んでくれるだろう。


 でもワタシは……守護者になることには気乗りしなかった。理由は二つある。

 ひとつは、ワタシより守護者に相応しく、その座に近い人を知っていたから。

 さっきの話だけれど、ワタシは代わりに選ばれた守護者だ。本来なるはずだったのは、首長の娘であり、ワタシの幼馴染でもある子。張り合う気持ちがあったわけじゃないけど、その子の賢さはワタシもよく知っていて、次の守護者はこの子になるだろうことは疑いもしなかった。


 もうひとつは、自身の信仰心に疑問があったから。

 ワタシたちの部族は遥か昔の昔の、祖先の代から英雄の眠る聖棺を、この霊峰れいほうを守ってきた。部族の仲間ならみんな知っていることなんだけれど……もう、その信仰が形だけになりつつあることは、ワタシの目で見てもなんとなくわかってしまう。

 だって、そうでしょ? 世界が今の形になるより前の時代の人間が、今も聖棺の中で生きて眠ってる。そしていつか目をます。そんなことってありえないじゃない? 眠っていればいつまでも生きていられるなんて。それに未だ目を覚まさないってことは、聖棺の中で死んでしまっているんじゃないの? 首長や前任の守護者でさえ、英雄が目を覚ますなんて期待してないんじゃないか。

 でも、この疑問には今日、ひとまず決着がつきそう。守護者は儀式を一人で執り行う。その時に、聖棺の中をこっそりと見てしまえばいい。聖棺を開いてはならない、なんて掟は聞かされてないからね。


 そんなわけで、守護者になる自分というのは全く想像していなかった。先が読めないのが人生とは、本当によく言ったものだと思う。

 ただ、良いこともあって。英雄と聖棺の秘密を知れることと、守護者の衣を着られたのは嬉しいかな。複雑な赤い刺繍が白地を彩っていて、とってもキレイ。お母さんが言っていた『衣装が着たくて守護者を目指す女の子も少なくない』という冗談も、あながち嘘じゃないかもしれない。


 山を巻く風がひゅうとワタシを追い越して、守護者の衣をなびかせる。伝統的な製法で作られたその服は生地が厚く、早朝の山でも寒さを感じない。山頂で務めをする守護者のために作られただけあって、さすがの防寒性能だ。

 気づけば随分高くまで登ってきた。少し視線をかたわらに向ければ、広い大地が見渡せる。さらに下を向けば麓の町が。もしかしたらワタシが住むことになったかもしれない町。やけに遠く見えた。

 朝日の方を見やれば、連なる山々の向こうには砂漠。さらに向こうには海。その水平線の向こうにも、世界はまだ続いてる。

 英雄の昔話の出だしではこうだ。


「まだこの山が平らで、あの砂漠に水が満ち、あの海に街があったほどの、遠い遠い昔……」


 一体、何歳なんだろう、英雄は。どんな夢を見ながら眠っているのだろう。英雄と比べたら、どんな寝坊助だってゆるされちゃうよ。


 ワタシたちが何を守り、伝えてきたのか。その答えはもうすぐだ。



 山頂にたどり着いたワタシを待っていたのは、暗く底の見えない洞窟への入り口だった。英雄の聖棺は地下に納められているのだ。

 脇には守護者のためであろう、松明たいまつと着火用の魔法石が置いてある。その事実が、聖棺の在り処がこの奥であることを示していた。


「ここに入らないといけないんだよね……」


 ワタシは独り言つ。松明より先に、不安に火が点いてしまって。

 大丈夫、前の守護者だって、ちゃんと夜には帰ってきてたんだから。


 ワタシは油の染みた松明に魔法石を打って火を灯す。穴の中を照らしてみると、思ったより傾斜がある。かなり深くまで続いていそうだ。でも、地面に足がかりになるよう丸太が埋められているのを見つけて、少しほっとした。人の手が入っているなら、いくらか安全だろう。そんなことない?


 ワタシは意を決して、地下へと歩みだした。


 幸いにして迷うような分かれ道もなく、ワタシはどんどんと地下へ下っていく。だんだんと空気が微温ぬるくなってきて、どことなく息苦しい。


「英雄は……こんな辛気しんき臭い場所が寝床でいいのかな」


 悪態ついて、段差をぴょんと飛び降りる。


 コォォォォン……!


 突如として鼓膜が貫かれる。その音がワタシの靴底から響いたものとは気づかず、しばらく鳥肌立てて竦み上がってしまった。

 足裏の感触が、土と埋木から凹凸のない奇妙なものに変わっていた。驚いて足元を照らす。見たこともない床材が敷き詰められている。まるで鉄の板をこれでもかと磨き上げたような……いや、まさにそのような物が。周りをよく見れば、壁も、天井に至るまで同じ材料で覆われていることに気づく。いやいや、それよりも。


「……山の中にこんなに広い空間があったなんて。ここが、聖棺の間?」


 いつの間にか広間に出ていた。もしかしてここは、既に巨大な聖棺の中なのではないか? そんな考えすら頭をよぎった。

 いっぺんに未知が押し寄せてきて、ワタシの心臓は強く打ち始める。


 空間の奥に、外光が射している場所がある。きっと、あそこが英雄の眠る場所、聖棺のある所なんだ。

 いよいよ英雄の秘密にふれる。それは、ワタシたち一族の秘密そのものなのだ。知りたい。好奇心が胸を掻き回す。自然と足は走り出していた。


 駆け寄ったワタシは、しばらくぽかんとそれを見つめていた。


「なに……これ。これが、聖棺?」


 でも、他にそれらしいものもないのだから、これが聖棺で間違いないはずだ。なんとたとえたら伝わるだろう。白くて、表面がツルッとして光沢がある……。大人が入るほど大きな卵……くらいがワタシでは限界だ。

 ワタシは儀式などそっちのけで聖棺の観察を続けた。卵の中でなら、かえるまで幾百年生きていても有り得ない話ではない……のだろうか。あるいはさなぎのように? どちらにしろ、普通の人間ではない生態をしていることになるけれど。

 上部に、透明な硝子がらすのようなものを見つけた。聖棺を四角く切り取って、覗き窓がつけられている。中が見えるようになっているみたい。


 ワタシは唾を呑んだ。覗き窓を確認するのを、少し怖ろしくすら感じている。中にいるのは骸骨がいこつか、カラカラのミイラか。あるいは何もない、虚空か。まさか、本当に生きた人間が入ってるの……?


「……大丈夫。窓がついてるってことは、見ていいってことなんだから」


 表面が滑る聖棺を、ワタシはなんとかよじ登る。とんでもないことをしているかもしれないけれど、咎める人はここにはいない。ワタシは聖棺の中を、見てしまった。


「…………」


 声も出なかった。窓越しに現れたのは、若いオトコの人の顔だった。目を閉じて、本当に眠っているらしい。これが、ワタシたち一族が目覚めを待って守り続ける、英雄の顔。


『解凍シークエンスを開始します。機器開閉部から手を放してください』


 突然だった。聖棺が、喋りだした。


「わぁっ!」


 驚いた拍子に聖棺から滑り落ちてお尻を打ってしまう。その痛みなんて微塵みじんも感じないほどワタシの頭は混乱し、心臓は音が聞こえるほど強く鳴っていた。


「なにっ、なんなの!?」


 聖棺の間に声を響かせるが、答える者はいない。代わりに、聖棺が唸り、青白く光り始めた。まるで、禁忌きんきに触れた者を罰しようとするかのように。


「ひぃぃっ! ごめんなさい、ごめんなさい!」


 ワタシは必死で聖棺に、英雄に何度も謝った。だって知らなかったんだもの、そんな掟、聞かされてないんだもの。


 しかし無情にも聖棺の唸り声は止まなかった。それどころか大きくなっていく。


「ああ……お父さん、お母さん、ご先祖さま、ごめんなさい……」


 ワタシはここで、禁忌を冒した守護者という不名誉な最期を迎えるのだ


「ごめんなさい……エイジオ……」


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