第3話


 数日後。仕事を終え帰宅し、執務室のデスクに向かっていると執事のセバスチャンが現れ、いつもの近況を報告し始めた。


「ここ数日、グリーン伯爵令嬢はどこにも外出されず、夜会にも参加しておりません。来客もございませんでした」

「そうか」


「ご令嬢は、来週行われるスティン侯爵家での夜会に出席の返事を出されたようでございます」

「スティン家に? それはちょうど良い。宰相と一緒に参加させられることになっていた」


 フロイドは少しばかり頬を緩め、わずかに喜んでみせた。


「それと、本日ご令嬢からこちらが届けられました」


 セバスチャンはトレイに乗せた包みを丁寧にフロイドの目の前に置いた。


「彼女から?」

「はい。執事長殿が直々にお持ちになられ、お嬢様がお礼を申していたと、くれぐれもよろしくお伝えするようにとの事でございました」

「そうか」


「もう一つ、明後日は休日でございますが、いかがなさいますか?」

「ああ、いつものように頼む」

「かしこまりました」



 セバスチャンがトレイを持ち部屋を辞した後、一人残ったフロイドは目の前に置かれた包みをじっと見つめる。

 綺麗な青い包装紙に包まれ、銀色のリボンが巻き付けられたそれは、フロイドの好奇心を刺激するには十分だった。

 フランチェスカの髪を思わせる銀色のリボンを指に取り、少しずつ形作られた結びを解いていく。包みを手に乗せてみると思いのほか軽い。

 きっと、先日の夜会でのハンカチーフの礼だろうか?と、当たりを付けてみる。

 そっと開いた中には、思った通りハンカチーフが綺麗に折りたたまれて入っていた。この前使った物と同じ白いハンカチーフ。だが、一つ違うことがある。

 それは、フロイドの「F」の文字が刺繍してあったのだ。

 フロイドの髪と瞳に近い、暗めの紺色の糸で刺してある自らの名。

 それはとても精密に刺されたもので、飾り模様を組み込んだ物だった。

 これを一針一針、自分を思い刺しているのかと思うと、フロイドは言い表すことの出来ない感情が込み上げてくるのだった。

 

 一人きりになった部屋でフロイドはハンカチーフをそっと鼻にあて、その匂いを嗅ぐ。ふんわりと薔薇の香りが微かに鼻をくすぐる。この匂いは?いつもフロイドがフランチェスカに贈る薔薇の香りに似ている。

 あの薔薇は彼女に贈る前、特注で作らせた香水を一滴垂らしてある。

 フロイドがフランチェスカを想い、特別に作らせた一品。その技法は誰にも明かさないことを前提に、大枚をはたいて作らせた物だ。

 この香りを嗅ぐことができるのはこの世でたったふたり。


 フロイドとフランチェスカだけ。


 その事実がどれだけフロイドの心を満たしていくことか。

 ふたりだけが知っている。それだけで彼の独占欲は満たされ、言い表せない感情で満たされていくようだ。

 誰にも知られてはいない、自分だけの秘密。

 たとえそれをフランチェスカ自身、気が付いていなくても構わない。

フロイドがわかっていればそれでいい。

誰も知らないフランチェスカの一片を、自分だけが知っている。

 偏執的なまでに想い、焦がれているフランチェスカのわずかでも知れることが、フロイドにとっての最大の喜びであり幸福。


 フロイドは鍵付きの引き出しを開けると、中から宝石箱を取り出した。

 少し大きめに出来たそれは、黒塗りで重厚感のある品。蓋の上面には銀で出来た精密な細工で飾り付けられている。

 フランチェスカの瞳色である漆黒と、美しいまでに輝く銀髪を模して造らせた一点物だ。その蓋を開けると、中には手紙が数枚入っている。

 この前の夜会のように、フランチェスカが他の令嬢達に攻め立てられているところを助けたのはこれが初めてではない。

 その度に律義な彼女はお礼の手紙をしたため、送ってくれている。その手紙を大切に保存しているのだ。


 そして、宝石箱に新たなコレクションが増えることになった。

 フロイドはフランチェスカが送ってくれたハンカチーフを油紙に包むと、手紙の上にそっとのせた。そのままゆっくりと蓋を閉めると、再び鍵付きの引き出しに戻し入れられる。彼女との想いでの品が増えていく。フロイドは幸福感に満たされていた。





 

 翌日、仕事を終えたフロイドは自邸に帰ることなく、まっすぐにある場所へと向かった。馬車が止められると、玄関の外にセバスチャンが待ち構えていた。


「お帰りなさいませ」

「ああ」


 セバスチャンの案内で最上階、一番奥の部屋へと進んで行く。


 ここは王都で一番の高級娼館。

 少し外れに位置するこの場所は高台に位置し、王都が見渡せる。

 蝋燭の炎で明るく照らされていた部屋は、セバスチャンが端から順に消していき、最後の一つを中央のテーブルの上に置いた。

 テーブルの上にはいつものように軽い食事とワインが置かれ、フロイドの夜着は綺麗に畳まれて寝台の上に置いてある。


「それでは、明日の朝お迎えに参ります」

「ああ、頼む」


 頭を下げながら、高級娼館らしい重厚で趣のある扉を閉めセバスチャンが去ると、フロイドは窓際に近づきベルベットで出来たカーテンをわずかに開け、遠くを見つめた。そこには王都の街並みが映り、家々の明かりがぼんやりと映し出されている。

 窓のそばに置かれた椅子に腰かけると、隣国から大枚をはたいて取り寄せた、まだこの国では珍しい望遠鏡を覗き込んだ。

 レンズ越しに映るフロイドの視線の先には、グリーン伯爵家の邸があった。

 フロイドは望遠鏡のレンズの照準を微調整しながら、獲物を狙うようにゆっくりと焦点を合わせていく。


 伯爵家の二階にフランチェスカの部屋がある。

 薄いレースのカーテンが引かれた窓には明かりが灯されていない。今日は少し早い時間だった為に、彼女はまだ晩餐の時間かもしれないなと思い、彼もまた中央のテーブルまで戻ると軽食に手を伸ばした。

 セバスチャンはいつも片手で食べられるよう、サンドイッチやフォークを刺すだけでいいような物を用意してくれている。

 今日はサンドイッチの他に、若鳥の香草焼きをひと口大に切った物と、付け合わせの野菜。それに手で摘まめるチョコレートと焼き菓子が並べられていた。

 フロイドはサンドイッチを皿ごと持つと、再び窓際の椅子に腰を落とした。

 片手でサンドイッチを食べながら、視線はレンズを除き続けている。

 

 こんな生活が、もう一年近く続いている。

 フロイド自身はフランチェスカの倍ほどの年齢を迎えようとしている。決して若いとは言えない年齢ではあるが、その容姿は衰えることを知らず、彼の姿は若い頃の端麗なままだ。本来なら若い令嬢達からその美しさゆえ受けも良く、縁談の話しもあっておかしくはないはずなのだが、彼に限っては浮いた噂ひとつ流れたことは無い。

 彼にとって美しく着飾った令嬢達と、その辺の石ころは同義。

 フランチェスカ以外は誰であろうと、全て同じなのだ。



 そうして、フロイドの長い夜は更けていく。



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