腕を失くした璃々栖 ~吾輩は猫に非ず~

明治サブ/角川スニーカー文庫

壱「出逢ひ~許嫁は三つも年下~」

 神戸には、悪魔デビルになった悪魔祓師ヱクソシストがいるらしい――。

 千代子ちよこが神戸への緊急呼集命令を受けたころ、横浜鎮台ちんだいはそのウワサでもちきりだった。





   ❖   ❖   ❖   ❖



明治三十六一九〇三年十一月某日、夜❖

❖兵庫県神戸市 南京町のとあるあばら家❖



「女悪魔祓師ヱクソシスト。お前、処女か?」


「なッ――!?」


 図星を指され、若干十六歳の新人少尉しょうい壱文字いちもんじ千代子ちよこは赤くなった。


「質問しているのはこっちです! 密売ルートは!? 売りさばいた先は!? 洗いざらい喋りなさい!」


「へへへ」


 千代子の細腕に組み伏せられている売人は、不敵に笑うばかり。


「女だからってめてかかると――」


 腕の一本でも折ってやろうか、と腕に霊力ヱ―テルを込めた千代子に対し、


「少尉」


 背後から、男性の声。


「落ち着け。そんな安っぽい挑発に乗せられるんじゃない」


 顔を上げれば、千代子と同じ軍服――濃紺の肋骨ろっこつ服、紫帯の軍袴ズボン、編み上げの革靴、星章の入った第二種軍帽、そして悪魔祓師ヱクソシストの証たる紫色のストールを身に着けた男性が、南部なんぶ式自動拳銃を油断なく構えながら、こちらを見下ろしてきている。


「すみません、大尉殿」


 ここは、密売品の中でもの一番に危険な品を扱う売人の、潜伏先。

 千代子と大尉は、先日の大事件・・・・・・によって崩壊・再構築中の【神戸港結界】の網をかいくぐって持ち込まれた密売品の、摘発任務のまっ最中なのだ。


「時間がない。今は最低限必要なことだけ聞き出せればいい」


「ははっ。――それで?」


 千代子は霊力ヱ―テル膂力りょりょくを増幅させながら、売人を押さえつける。


「アンタ、コイツの中身を何処どこのどいつに売り渡したの?」


『コイツ』――床に転がる木箱には、どす黒いヱ―テルの残滓ざんしまとわりついている。


「はぁッ、はぁぁッ――お前やっぱり処女だろう、なァ!?」


 売人の男が、折れそうなほどに首をよじって、こちらを見上げてくる。

 その目は血走っていて、口の端からは泡とよだれが漏れ出ている。

 気が付けば、腐臭が部屋に充満している。


「処女はいい。処女のヱ―テルからは、甘くてンだ匂イがスルかラヨォォオオオッ!!」


 途端とたん、売人が信じられないほどの膂力を発揮し、千代子の体を吹き飛ばす!


「きゃぁッ!」


「喰ッテヤルゥゥゥウウウッ!!」


「少尉! 通常弾だ。足を狙え」


「ごほっ――はい!」


 壁に背を打ち付けた千代子は、息を整えながら南部式自動拳銃を抜く。

 そのときにはもう、大尉が売人の脚に数発の銃撃を加えていた。

 が、売人はまったくひるまず、大尉に対して獣のように腕を振り下ろす。


「ぐあッ!」


 電灯の下で、大尉の腕から鮮血が舞う。

 見れば売人の爪が、鬼か悪魔のように長く鋭くなっている。


「コイツ――半屍鬼グールッ!?」


 千代子も売人の脚を撃つ。

 が、売人はまるで痛みを感じていないかのようで、千代子の方に突進してくる。


「少尉、天使弾ヱンジェルバレット込めーッ!」


「は、はい!」


 大尉が売人に突進し、売人――悪霊デーモンりつかれた人間たる半屍鬼グールの動きを止めている間に、千代子は腰の弾薬盒だんやくごうから対西洋妖魔特殊実包『天使弾ヱンジェルバレット』を取り出して南部式に装填する。

 南部式の丸く特徴的な遊底を引っ張れば、薬室内の通常弾が排出され、天使弾ヱンジェルバレットが送り込まれる。


「てーッ!」


「――【AMEN】ッ!!」


 撃った。

 途端、千代子の体内から何かが抜け出したような、体重が減ったような喪失感。

 その失ったモノ――千代子の丹田たんでんに蓄えられていたヱ―テルが白い光となって弾頭を包み込み、売人に襲いかかる!


「グギィィヤァアアアアァアアアアッ!!」


 右脚大腿部の肉をごっそりと奪い取られた売人が、のたうち回る。

 無理に立ち上がろうとした売人の手が棚に引っかかり、大量の書類がぶちまけられる。


「【オン・アラハシャノウ――文殊慧眼もんじゅけいがん】!」


 両目を白いヱ―テル光で輝かせた大尉が、


「少尉、頭部を狙え!」


「そ、そんな! 助けられませんか!?」


「……残念だが手遅れだ。阿片アヘンで体がボロボロで、悪霊デーモンなしじゃもう持たない」


「――――……」


 大尉が今しがた使った真言密教術は、相手のアストラル体の状態やその他さまざまな情報を看破する術式だ。

 千代子は覚悟を決める。


「【御身おんみの手のうちに】」


 千代子は右手の二本指で剣印を作り、額に当て、


「【御国みくにと】」


 二本指をへそへ、


「【力と】」


 左肩へ、


「【栄えあり】」


 右肩へ当てる。

 今や南部式自動拳銃は、煌々こうこうと光り輝いている。

 千代子は売人に近づき、慎重に狙いを定め、


「【永遠に尽きることなく――斯く在り給ふA M E N】ッ!!」


 撃った。

 その日、千代子は生まれて初めて人間を殺した。





   ❖   ❖   ❖   ❖





 目の前には、頭部を滅茶苦茶に破壊された死体が転がっている。


「はぁっ、はぁっ……うっ」


 撃った。殺した。自分が――。

 千代子は震える手で南部式を収め、口元を抑える。

 ポケットから一枚の写真を取り出し、額に当てた。

 すっ――と、気持ちが楽になっていく。


「家族の写真か?」


 手早く自身の傷の処置をしながら、大尉が聞いてくる。

 千代子は、肋骨服とワイシャツを脱いだ大尉の右腕にを認めたが、そのことについては触れなかった。

 触れて良いか判断できなかったし、十字架や魔法陣、曼陀羅まんだらなどを体に刻み、術式の効果を上げている術師は多いからである。

 代わりに、大尉の質問に答える。


「いえ、許嫁いいなずけの写真です。ったことはないのですが」


「ほほぉ、貴官のような怪力女に許嫁が?」


「か、怪力なのは大尉殿も同じでしょう!?」


 治療を終えた大尉が、ヱ―テルをまとわせた手刀をズボッと床に突き刺し、メキメキと床板をめくり上げる。

 すると、隠し収納庫が現れた。


「貴官、気に入らない男がいると睾丸キンタマを蹴りつぶすという、げに恐ろしき習性を持っているそうじゃないか。くれぐれも気をつけるように、と人事に言われたぞ」


「じょ、上官相手にそんな無礼を働いたりはしませんよ!」


 真っ赤になる千代子。


「今まで蹴り上げた相手だって、便宜の代わりに枕を強要してくるようなゲス野郎ばかりでしたし」


「それにしたって怖すぎる。どれ、将来貴官に睾丸をつぶされる哀れな許嫁とはどのような顔なんだ?」


 大尉が写真を覗き込んできて、


「んんん? 随分と幼いように見えるが」


「三つ年下なんです。飛び級で士官学校を卒業し、第七旅団りょだんに入隊して――今はここ、神戸鎮台ちんだいにいるらしいんですけど」


「ほぅ。名は?」


「――皆無かいなくん」


「カイナ? 変わった名だな。だがこの顔、見覚えが……姓は?」


阿ノ玖多羅あのくたらです」


阿ノ玖多羅あのくたら皆無かいな!? あの、皆無かいな少佐殿か!? 皆無かいな少佐殿の、許嫁。あー……」


 大尉が天を仰ぐ。


「ご存じなんですか?」


「あーいや、これは、こればっかりは私の口から言うのははばかれるというか……まぁそのうちお会いできるだろうし、そのときに直接聞いた方がいいだろう、うん」


「はぁ。――あっ、それよりその傷、大丈夫なんですか? 早く鎮台ちんだいにお戻りになられた方が――」


「見た目が派手なだけだ。ほら、落ち着いたなら、お前も手を動かせ」


「で、ですが」


 大尉が床板はがしに戻る。


 ズボッ

   メキメキメキ


  ズボッ

    メキメキメキ


   ズボッ

     メキメキメキ


 あっという間に合計四つの隠し収納庫が見つかる。

 大尉が書類の束を床の上に出していく。


 大尉の所作に、千代子は舌を巻く。

 実にさりげないヱ―テル操作も凄いが、何より凄いのが隠し収納庫をどんぴしゃりで見つけた察知能力。


(無詠唱【文殊慧眼もんじゅけいがん】の使い手は、息をするように索敵や空間察知をすると聞くけれど)


 この域に達した尉官など、片手で数えられる程度しかいない。

 先ほどは完全詠唱でもって【文殊慧眼もんじゅけいがん】を使った大尉であったが、あれは誤診断で射殺命令を出さないように、念を押したのだろう。


 これほどの使い手たる大尉に自分如きが意見するのは失礼であろうし、不敬であろう――そう思ったが、新人と言えども一人前の将校として懸念点はしっかりと上申じょうしんすべきだと思い直し、


「大尉殿は傷口に半屍鬼グールのヱ―テルを浴びておられます。もし感染していたら――」


「貴官は私の防疫能力に疑問があるのか?」


「は、いえ」


 やはり、不敬と受け取られたか。

 しかし、大尉が一転、諭すような口調になり、


「もう、日没からだいぶ時間が経過してしまっている。くだんの購入者が悪霊デーモンきになってしまう前に保護する必要がある。そうだろう?」


「はい」


 そうとまで言われてしまえば、従うほかない。

 しぶしぶ手を動かす千代子であったが、すぐに、


「あっ! ありました、裏帳簿!」


「でかした!」





   ❖   ❖   ❖   ❖



❖数十分後❖

❖神戸北野異人館街 異人商人の屋敷❖



 道中立ち寄った派出所の参肆さんよん式無線機で、千代子たち――大日本帝国陸軍・第ぜろ師団しだん・第七旅団りょだん員の根城たる神戸鎮台ちんだいに応援要請を送り、その足で国鉄三宮駅の北、神戸北野異人館街へと向かった。


「こんな時間に、何事ですかな?」


 ――そうして、今。

 千代子と大尉は、密輸品を購入した者――神戸で武器商を営む異人と対面している。


「夜分遅くに申し訳ありません。少々、お尋ねしたいことがございまして」


 慇懃いんぎんな態度で、大尉が異人――四十絡みの欧羅巴ヨーロッパ人男性。独逸ドイツ語を話しているから、独逸ドイツ人なのだろう――に事情聴取をしている。

 大日本帝国陸軍は普魯西プロヰセン――後の独逸ドヰツに学んだため、陸軍将校は独逸ドヰツ語に強いのだ。


 見たところ、異人は健康そうな見た目をしている。

 まだ、悪霊デーモンに憑りつかれてはいないようである。


(良かった)


「私は貴国に砲弾を融通している。こんな不当な捜査を受ける筋合いはないのだがね」


 異人商人が、大尉に文句を垂れている。

 その様子は小憎らしいが、それでも民間人が犠牲にならずに済んだことに、ほっとする千代子である。

 だが、


(何だろう……このニオイ)


 ツンと鼻にくる臭いと、それを隠そうとしている香水の匂い。


(異人のクセに、お風呂に入っていないのかしら? これほどの洋館なら、瓦斯ガス式のお風呂だって置いてそうなものだけど)


「まぁまぁ、そう仰らず。すぐに済ませますので」


 取りなすような大尉の声を聴きながら、千代子はさりげなく部屋を見渡す。

 八畳ほどの洋風の応接間である。

 入口側の壁際に、使用人らしき男女が三。

 壁には輸入品であろう絵画や剥製が飾られていて、如何にも金をかけていそうに見える。

 中でもひと際存在感を放っているのが――。


くだんの、マスケット銃)


 悪霊デーモンが憑りついているとおぼしきマスケット銃が、壁に立て掛けられている。


(【文殊慧眼もんじゅけいがん】で調べたい……うぅっ、私も大尉殿みたいに無詠唱で使えたら。――あっ)


 千代子は、ピリッと静電気のようなものを肌に感じた。

 士官学校退魔兵科で何度も受けた訓練により、この感覚は覚えている――退魔結界が発動したのだ。

 応援部隊が、この屋敷を包囲したのである。

 千代子が腰の南部式に手を伸ばし、隣の大尉を見上げようとした、





 ――そのとき。





「時に、悪魔祓師ヱクソシストのお嬢さん」


 異人商人が不敵に笑った。


?」


「はァ!?」


 思わずソファから尻を上げてしまう千代子である。


(売人といい異人といい、本当、男ってのはどうしてこう――)


 千代子は自分の若さにも、顔と肌と髪の美しさにも自信がある。

 が、それらは何も、こんな薄汚い男の見世物になるために磨いているわけではない。


(そう、相手がいるとすれば、それは――)


 千代子は、胸ポケットにしまってある写真に思いを馳せる。

 一度も会ったことのない、三つ年下の許嫁いいなずけの写真だ。





 ……………………どさり





 不意に、隣で大尉が倒れた。

 見ると、大尉がテーブルに突っ伏して倒れている――

 花瓶が薄っすらと光っている。この光は――


(ヱ―テル光!?)


「処女はいい」


 異人がいつの間にか――本当にいつの間にかソファを離れ、マスケット銃のそばに立っている。


「この銃は、所羅門ソロモン七十二柱が八位、百獣公爵馬羅鳩バルバトス所縁ゆかりの品だ」


(分かっていて購入した――ッ!? 売人に騙されたんじゃない! コイツ、悪魔崇拝者かッ!!)


 悪魔崇拝者が悪魔遺物アーティファクトを手にした――射殺許可すら下りる状況である。

 が、千代子は南部式を撃てずにいた。

 男女の使用人に、体を押さえつけられているからだ。


「舐めないでよッ!? ――シィィッ!」


 腹式呼吸で丹田に力を込め、ヱ―テルを膂力りょりょくに変える。

 が、使用人たちの力は強く、振りほどけない。

 さらに三人目までもが千代子に覆いかぶさってくる。


「グォォオオオ……」

「ァアアァアアオアオオオオ……」


(コイツら全員、半屍鬼グールかッ!)


 血の混じった泡を吹き出す三体の半屍鬼グールが、千代子の四肢を拘束する。

 千代子は南部式を奪い取られ、テーブルの上に仰向けにさせられる。

 右腕と左腕を、それぞれ女の半屍鬼グールに、両足を男の半屍鬼グールに。

 その姿はまるで、祭壇に捧げられた生贄いけにえである。


半屍鬼グール三人分と拮抗きっこうするとは、大したヱ―テル総量だ。顔も、極東の猿にしては整っている。何より若いのがいい」


 両目を真っ赤に染め上げ、額から山羊のようなねじれ角を生やした異人が千代子の隣に立つ。

 ひどい臭いがする。

 香水などでは到底隠し切れないこれは、


(腐臭! コイツも半屍鬼グール――いな、もはやてい悪魔デビル!)


「きっと血肉も綺麗だろう。さァ、早く見せテくレ」


 千代子の肋骨ろっこつ服――豊満な胸が押し上げている肋骨紐を、異人がその手に持ったナイフで切り裂いていく。

 千代子は前をはだけさせられ、ワイシャツを引き裂かれる。


「せっかクの、処女の心臓ダ。馬羅鳩バルバトスサマの猟銃で、綺麗きれいに咲かせテヤろウ」


 異人の姿を取った悪魔デビルが、これ見よがしにマスケット銃へ火薬と鉛玉を込め始める。


(何か、何か手はない!? 何か――ッ!)


 千代子は、焦る。

 どれだけ力とヱ―テルを込めても、三人の半屍鬼グールたちに押さえ込まれた手足はびくともしない。

 視線をさまよわせる。


「大尉殿! 大尉! 目を覚ましてください!!」


 気を失った大尉は、ぴくりとも動かない。


「助けて! 誰か! ねぇ、聴いてるんでしょ!?」


 窓の向こう――敷地の向こうで待機しているであろう友軍に向けて、叫ぶ。

 ……奥の手は、ないわけではない。

 が、アレの成功率は一割にも満たないのだ。


「誰か、ねぇ、お願い――ッ!!」


悪魔祓師ヱクソシストくせに、神に祈らないのか?」


 弾丸を込め終わった悪魔デビルが、テーブルの上に登ってくる。


「あ、嗚呼ああぁ……」


 今や千代子は、無残にもはだけさせられた胸――その心臓に、マスケット銃の銃口を突き付けられる。


「恨むなら、お前にろくな力を与えなかった神を恨め」


 そうして悪魔デビルが、銃口を引いた。





(――――――――――――嗚呼ああ、死ぬ)





 千代子は、百倍にも千倍にも一万倍にも引き延ばされた知覚世界の中で、悪魔デビルの指先を凝視する。


(このままでは、死んでしまうッ!!)


 今際いまわきわに立った自我が、驚嘆すべき集中力が、千代子に無限の時間を与える。

 引き金は、今や引かれてしまった。

 が、フリントロック式のマスケット銃は、引き金が引かれてから――つまり火打石フリント火蓋ひぶたを叩いてから実際に弾丸が射出されるまでに、約一秒のタイムラグがある。


(【色不異空しきふいくう空不異色くうふいしき色即是空しきそくぜくう空即是色くうそくぜしき――虚空庫こくうこ】ッ!!)


 ありったけの祈りを込めて、千代子は脳内詠唱を試みる。

【虚空庫】は亜空間に収納した物品を召喚する真言密教術。

 この世の宇宙、ひとつ目の文字たる『』を表す大日だいにち如来にょらいの力を使った真言密教術の一つである。

 壱文字いちもんじ家の長女たる千代子は大日だいにち如来にょらいに愛されている。

 が、そんな千代子でも、発声による詠唱で以て成功率一割。

 脳内詠唱で成功したことなど、ただの一度もなかった。


(神様、仏様――ッ!!)


『神』や『仏』を術式の触媒しょくばいとしか考えてこなかった千代子の、生まれて初めての渾身の祈りに対し――


(あッ――)


 果たして己の右手の中に、二丁目の南部式拳銃が現れた!

 装填されているのは、千代子が日頃からヱ―テルを込めている天使弾ヱンジェルバレット


(うわぁぁああぁああああぁああああああッ!!)


 千代子は遮二無二しゃにむに、引き金を引く。

 一発、二発、三発、四発。

 自身を一切かえりみずに放った銃弾は猛烈なヱ―テル光と衝撃を発し、半屍鬼グールに押さえられていた右腕を滅茶苦茶に暴れさせる。

 同時に千代子は、無我夢中で全身をひねる。

 果たして右腕が半屍鬼グールの拘束を振りほどき、そして、





 ――タァーンッ!!





 すぐ耳元で、マスケットによる銃声。

 テーブルに穴が空く。

 南部式の一発が悪魔デビルの脚に当たり、悪魔デビルが体勢を崩したお陰で、マスケット銃の狙いが外れたのだ。


 異人の悪魔デビルがテーブルから落ちる。


 千代子は自由になった右手の南部式で、男の半屍鬼グールを狙おうと――


「ぎゃあッ!」


 あまりの痛みに、千代子は悲鳴を上げる。

 肩が、動かない。


(外れてるッ!?)


 天使弾ヱンジェルバレットによる大威力射撃の弊害である。


くそったれ――)


 千代子は遮二無二しゃにむに、両足をバタバタと暴れさせる。

 わずかに、動いた。


(これは――ッ!?)


 希望を込めた目で男の半屍鬼グールを見てみれば、左肩に肉が引きちぎれたような負傷。


(さっきの乱射が!?)


 思わぬ幸運を神に感謝しつつ、千代子は必死に右足を動かす。

 果たして、膂力りょりょくが弱まった敵の左腕から、己の右足がすっぽ抜けた。


「【AMEN】ッ!!」


 千代子は渾身のヱ―テルを込めて、編み上げブーツの靴底で男の顔を蹴りつける。

 靴底に仕込まれた鉄の十字架が退魔の力を発し、男の顔面に十字の刻印を焼き付ける。


「グォォァアアアアッ!?」


 男の半屍鬼グールが両手を離した。


「はぁああッ!」


 千代子は左腕を拘束する女半屍鬼グールを、右の回し蹴りで吹き飛ばす。


「――良しッ!」


 これで、両足と左腕が自由になった。

 千代子は素早く左手で南部式銃を保持し、テーブルの上で飛び起きる。

 起き上がりつつある右女半屍鬼グール、崩れ落ちつつある男半屍鬼グール、そして床に倒れつつあった左女半屍鬼グールの頭部をそれぞれ正確に狙い、破壊した。

 もはや、相手の命を心配していられるような段階ではない。


 ここまでで、七発。


「貴様ぁあぁアアァアアアッ!!」


 異人商人だった悪魔デビルが、テーブルから飛び降りたばかりの千代子に襲いかかってくる。

 千代子は左手を肋骨に密着させた近接戦闘用の射撃姿勢で、悪魔デビルの頭部を狙い撃つ。

 が、悪魔デビルが人間のことわりを超えた速度で頭部をひねり、弾丸を避ける。

 千代子は自ら悪魔デビルに肉薄し、


「――【AMEN】ッ!!」


 相手が避けきれない距離で、引き金を引く。





 ――が、





「…………え?」


 弾丸は、出てこなかった。


(弾切れ――ッ!?)


 試製南部式自動拳銃は最大で、弾倉に八発、薬室に一発の計九発を装填することができる。

 が、安全装置を持たない南部式は、保管中は薬室から薬莢を抜いておくのが通常の運用である。

 第七旅団りょだん操典そうてんもそうなっており、当然、優等生たる千代子もその通りにしていた。

 ただ、作戦行動中に限り、千代子は薬室にもう一発を装填していた。

 そうすることで死なずに済んだ、という体験談を多数聞いてのことであり、ある種の願掛けでもある。

 だから無意識のうちに、九発を前提として弾を数えていた。

 が――


(そんな大事なことを失念するなんて――ッ!)


「ウガァアアアアッ!!」


 悪魔デビルが滅茶苦茶に両腕を振り回してくる。

 そのツメは鋭くとがっており、薄っすらとヱ―テル光を帯びている。

 慌てて飛び退いたが、敵のツメに腰の弾薬盒だんやくごうを引き裂かれ、ごうの中身が飛び散る。


「糞ぉッ!」


 弾はなく、装填すべき弾倉も床に散らばってしまった。

 息をつくヒマもなく、悪魔デビルが襲い掛かってくる。

 悠長に実包を拾い、装填しているヒマなどない。

 だから千代子は、


「――【AMEN】ッ!!」


 ありったけのヱ―テルを込めた南部式拳銃を、

 直視できないほど強く輝くヱ―テル光が悪魔デビルの目を焼く。

 悪魔デビルが顔をそむける。

 南部式が悪魔デビルの額に当たり、


 ジュッ


 と、音を立てた。


「ギャァァアァアアアアアアッ!!」


 悪魔デビルの額に、真っ赤に焼けただれた十字の刻印が刻まれる。

 悪魔デビルが顔を押さえてよろめくその隙に、千代子は左肩で大尉を抱えて部屋を飛び出す。


「ゥゥオォオオォオオオオオ……」


「ァアァアァアアアァア……」


 窓の外から、不気味なうめき声。

 ぎょっとして一階の窓の外を見やれば、何体もの半屍鬼グールが外にいて、窓にまとわりついている。


「ヒッ――…」


 そのうちの数体が窓を破り、廊下に入ってきた。


嗚呼ああぁ……ッ!!」


 千代子は目に付いたドアの中に駆け込む。

 後ろ手に鍵を閉め、


「【阿闍世アジャータシャトルの愚・釈迦牟尼如来しゃかむににょらいが説きし十三の観法かんぽう観無量かんむりょうの尊き光・オン・アミリタ・テイ・ゼイ・カラ・ウン――光明】」


 ぽう……と、電灯ほどの明かりが部屋を満たす。

 幸い――本当に幸いにして、部屋の中には誰もいなかった。


「はぁッ、はぁッ……!!」


 外れた右肩が、地獄のような痛みを生産し続けている。

 千代子は大尉を床に横たわらせ、部屋に設置されていたテーブルに対し、垂直に右腕を立てる。


「フーッ、フーッ」


 痛みと恐怖で目に涙を浮かべながら、外れた肩を、


「フッ――」


 押し込んだ。


「あぐッ――」


 涙が出てきた。

 震える右手の平を握り、開く。

 手は、ちゃんと動いた。


 ふと隣を見やれば、大きな姿見。

 応急処置は終了した。

 が、鏡に映るこの姿は何だ。

 天皇陛下から頂いた大切な第二種軍帽を失い、丁寧に編み上げていたはずの髪もすっかりほどけてしまって。

 涙に濡れ、乱れた髪を頬に張り付かせたその顔は、まるで無力な童女のようである。


莫迦ばかな――私は軍人。それも、栄えある第零師団第七旅団の将校よ!?)


 必死に己を鼓舞こぶするが、銃と弾丸の全てを失った己は、もはや無力である。


「そうだ、南部式――…」


 千代子は大尉に飛びつく。

 体をまさぐる……が、


「糞ッ――」


 大尉の南部式もまた、敵に奪われていた。

 千代子は大尉の弾薬盒だんやくごうを腰に帯びる。

 が、肝心の銃がなくては意味がない。

 そのとき、





 ――ダンダンダンダンッ!!





 施錠したドアが、激しく揺らされた。


「ヒッ――」


 半屍鬼グールたちがドアを開こうとしているのだ。


「負ける…もんか……ッ!」


 千代子は立ち上がり、部屋にある家具という家具で入り口をふさぐ。

 小さな背中で、なけなしの体力で家具を押さえる。

 ドアからの衝撃が、背中を通して心臓に響く。

 武器はない。

 味方は、目の前で倒れている大尉ただ一人。

 千代子は今一度、姿見を見る。

 すべてに裏切られ、あらゆる手段を封じられた無力な女が、両の瞳に涙を溜めてこちらを見返している。


嗚呼ああ……嗚呼ぁ……助けて、誰か助けて……ッ!!)


 ――そのとき、


「う……うぅ……」


 大尉が、ゆらりと起き上った。


「大尉殿ッ!!」


 千代子は歓喜の声を上げる。


 大尉殿。

 二十代半ばにして尉官の頂点たる『大尉』に任命された頼れる上官。

文殊慧眼もんじゅけいがん】の天才たる大尉殿がいれば、この悪魔デビル半屍鬼グールの巣窟から抜け出すための安全な経路を見つけることだって容易いはず――。


「良かった! 気が付いて――」








































「うぅ……ぅぁああ……ォォオオアオアオオオアアアア……」





 希望は一転して、絶望に変わった。

 大尉が、ゆらりゆらりとこちらに歩いてくる。

 その口から出てくるうめき声は、千代子の背中――ドアの向こうから聞こえる声と、同じ。


半屍鬼グール――ッ!!)


 やはり、売人に傷つけられたときに感染していたのだ。

 戦わなければ。――どうやって? 武器もないのに。

 逃げなければ。――何処に? 逃げ場などないというのに。


いや……厭ぁ……」


 涙を流しながら、千代子は首を振る。


 よわい十六。

 とある事情により勘当同然で家を飛び出してきた千代子は、恋も愛も知らずにただひたすら訓練に打ち込んできた。

 その甲斐あって、ようやく退魔師の花形たる悪魔祓師ヱクソシストになれたのが、一ヵ月前のこと。

 そんな無味乾燥な人生の終着駅が――『死』が今、目の前にある。


「ォォオアアオオォォォオオ……」


 大尉だった半屍鬼グールが、迫ってくる。


(せめて、一度でいいから恋がしたかった――…)


 写真でしか見たことのない、三つ年下の許嫁いいなずけの顔が目に浮かんだ。


皆無かいなくん――」


 千代子の首に、半屍鬼グールの両手が絡みつく。





「うぉぉおおぉぉおぉおおおッ!!」





 そのとき、視界の端から第三者が飛び込んできた。

 第三者は、大尉に猛然と体当たりする。

 大尉が倒れる。

 第三者が大尉の頭部を蹴り上げる。

 大尉が動かなくなり、そして、


「大丈夫かッ!?」


 第三者――軍服を着た、背の高い若者が、こちらを向いた。

 軍帽を目深にかぶっているが、ザンギリ頭の下にある二重まぶたの大きな目は、すっと通った鼻筋は、優し気な口元はまぎれもなく――


皆無かいなくんッ!?」


 千代子は、会ったことのなかった許嫁の名を呼んだ。

 阿ノ玖多羅あのくたら皆無かいな

 三つ年下の許嫁いいなずけ

 見慣れた写真に比べ、随分と背が伸びて、顔も大人びている。


「ちょっと、待っていろ」


 その青年・皆無かいなが窓際に駆けていき、カーテンを引きちぎり、半屍鬼グールと化した大尉を後ろ手に拘束する。

 縛った腕をさらに家具にくくりつけ、大尉の自由を完全に奪ってから、大尉の脈を取る皆無かいな


「まだ、助かるかもしれない」


 実にテキパキとした動きである。

 一度は死を覚悟した千代子には、颯爽さっそうと現れた皆無かいなが、まるで西洋のおとぎ話に出てくる白馬の王子様のように見える。


「間に合ったぁ~……」


 その王子様が、千代子の前に立って、胸を撫で下ろした。

 その動作が何とも言えず滑稽かつ可愛らしくて、千代子はもう、どうにかなってしまいそうになる。


「あ、あのッ」


 震える手櫛てぐしで髪を直す千代子は、


「ありがとうございます――きゃっ」


嗚呼ああ、千代子! 生きてれていて、本当に良かった!」


 青年・皆無かいなに強く抱き締められた。


「~~~~ッ!?」


 訓練や指導で男性から殴られる経験は豊富でも、異性と手を繋いだことは一度もなかった千代子である。

 当然、抱擁ほうようされるのも初めてだ。

 柔道の組み手で四肢を極められるときとは違い、何とも心地良い、頭がフワフワするような感覚だ。


(だ、駄目よ千代子! ここは戦場!)


 気を持ち直そうと大きく息を吸い込んだ千代子は、


「くっさ!?」


 卒倒しそうになった。


皆無かいなくん、臭い!」


「ひ、非道ひどい!」


 抱擁を解いた皆無かいなが、の下で情けない表情を作る。


「お前を助け出すために、硝煙しょうえん弾雨だんう、血と死肉の中を汗まみれになりながら走ってきたんだぞ!?」


「あー……」


「と、かく! ここを脱出するために、お前にもいろいろと協力してもらうことになるが……」


 皆無かいなが明後日の方向を見ながら頬をかき、


「まずは、をしてもらえるか?」


「え? ――あっ」


 自身を見下ろし、真っ赤になる千代子。

 元異人商人の悪魔デビルに服を引き裂かれたため、千代子の豊満な胸を覆う洋風乳押さえが丸見えになっている。


「あわっ、あわわわわ……」


 切られた肋骨服の紐を型結びにして、前を隠す。

 それでようやく、人心地ついた。





 ――ダンダンダンダンッ!!





 ……いや。

 ドアを蹴破らんとするほどの衝撃音と、半屍鬼グールたちのうめき声が聞こえてきている。

 状況は、依然として最悪のままなのだ。


「大丈夫だ」


 再び恐怖に包まれそうになった千代子を気遣うように、皆無かいなが優し気な声を掛けてれる。


「この屋敷から脱出できれば、助かる」


 その声はひどくたくましくて、まるで阿片アヘンのように千代子の耳に、胸に、感情アストラルにしみ込んでくる。

 泣きたくなるほどの安心感。

 男勝りで売っていたはずの千代子が、今やすっかり皆無かいなとりこだ。


「だが」


 その皆無かいなが、窓ガラスをコツ、コツ、コツと叩く。

 続いて皆無かいなが窓の鍵を開けようと奮闘するが、開かない。

 最後に皆無かいながカーテンを拳に巻いて力任せに窓を殴るが、窓はびくともしなかった。


「……この通り、我々は今現在、この屋敷内に閉じ込められている」


「えっ!?」


「敵悪魔デビルが展開する、悪魔結界に」


「そ、そんな――」


「けど、大丈夫だ」


 大丈夫。

 また、皆無かいながそう言ってれる。

 千代子は、その言葉に依存する。


「こっちに来てみろ」


 命じられ、千代子は素直に皆無かいなの元へ駆け寄る。

 負けん気の強い千代子は、男に指図されるのを嫌う。

 が、袖章を見るに、相手は少佐。

 自分から見れば、少尉・中尉・大尉・少佐と、三つも上の階級。

 雲の上のような存在だ。

 だから、命令に従うのは当然のことである。

 そして命を救われた千代子にとり、皆無かいなは命令がなくても尽くしたい相手だ。


「窓の外をのぞいてみろ。半屍鬼グールがいるから、こっそりな」


 皆無かいなの吐息が耳元にかかり、千代子は心がふわふわする。

 。恋の魔法であろう。

 


「ほら、アレだ」


 無駄に広大な庭の果てに、禍々しいヱ―テル光を帯びた一本の――


くいだ」


「杭? ――」


「ほら、もう一度よく見てみろ」


 千代子は目をこする。

 ヱ―テルで視界を強化して見てみれば、杭――杭? 千代子は首を傾げる。いや、皆無かいなが杭だというのだから杭なのだろう――の上部には獰猛そうな獅子ししの顔が意匠されている。


「アレが、悪魔結界を発生させているんだ。アレは、結界する対象物を取り囲むように三つ、そして結界の頂点部に一つの計四つの杭から成るタイプだ。つまり、四つの杭を破壊すれば悪魔結界は破壊され、俺たちはこの屋敷から出ることができるようになる」


 千代子は皆無かいなの凛々しい横顔を見ている。

 胸がドギマギする。

 戦場で出逢であった男女は恋仲になりやすいと聞いたことがあるが、これが世にいう『戦場効果』というやつであろうか。

 第七旅団では、危険な任務で背中を預け合った男女が夫婦めおとになる例が多いのだ。


「だからまずはあの杭を狙い撃たねばならないんだが、問題があってな」


(め、夫婦)


 親が勝手に決めた許嫁であった。

 そのことに対する反発もあって、家を飛び出して入隊した千代子である。


 年下の、苦労を知らない坊ちゃんなんぞに私のダンナが務まるものか。

 気に喰わなければぶん殴って婚約破棄させてやる。

 ――そう思いつつも、顔は好みだったので写真を手放せずにいた千代子である。


 が、実際に逢ってみれば、どうだ。

 命懸けで自分を救いに来てくれた男気!

 たくましい腕!


「手元にはこの通り南部式しかない。しかも、俺はお世辞にも射撃が得意とは――千代子?」


(悪くない。いな、良い。ものすごく良い!)


「千代子、壱文字いちもんじ少尉!」


「は、はいッ!?」


 階級で呼ばれ、皆無かいなと紡ぐ甘く温かな夫婦生活の妄想から引き戻される千代子である。


「射撃だ。あの獅子しし頭を吹き飛ばさなきゃならない。が、俺は狙撃が得意じゃない」


「拳銃狙撃ですね!? お任せください!」


 力拳を作ってみせる千代子。


「狙撃は得意なんです」


「よし、任せたぞ」


 皆無かいなから手渡されるのは、使い慣れた試製南部式自動拳銃丙型へいがた

 第七旅団員のための特注品である。


「【オン・アラハシャノウ――文殊慧眼もんじゅけいがん】」


 千代子は両目にヱ―テルを載せ、悪魔結界の杭を見つめる。


(距離六十メートル。無風。今度は私が働く番よ、千代子!)


 窓ガラスで遮られていても風速が分かるのは、術式の強みだ。


「この銃、ゼロインは何メートルで調整しておいでですか?」


 丙型には、世にも珍しい調整アジャスト可能な鉄照準器アイアンサイトが装着されている。

 ヱ―テルを込めることで無類の初速と射程を実現する天使弾ヱンジェルバレットは、その気になれば拳銃で千メートル先を狙うことすら可能にさせる。

 通常の南部式の有効射程が五十メートルであることを思えば、悪魔祓師ヱクソシストたちの射撃能力は異常というほかない。

 だがその射程も、射手による正確な狙いがなければ意味がない。


 銃というのは、照準器サイトのとおり狙って撃てば命中するというものではない。

 飛距離が長ければ長いほど、銃弾が重力に引っ張られて落下するからだ。

 例えば百メートル先を狙う前提で調整した照準器サイトで千メートル先の目標を狙った場合、銃弾は目標のはるか下に着弾するだろう。

 だから、照準器サイトをあらかじめ、想定する交戦距離に調整しておかなければならない。


「十メートルだ。装填しているのは天使弾ヱンジェルバレット


「承知いたしました」


 十メートルといえば、千代子が普段設定しているのと同じ距離。

 千代子は立ち撃ちの姿勢で窓越しに杭を狙う。

 六十メートルといえば、かなりの距離だ。

 杭は爪楊枝ほど、獅子の顔などはゴマ粒ほどに小さく見える。

 千代子は南部式の照星フロントサイト照門リアサイトを一致させ、


「【AMEN】ッ!」


 獅子頭の、わずかに頭上を狙って撃った。

 光を纏った弾丸が窓ガラスを貫通し、獅子頭を破裂させた。

 ィィィイイイイインッ――という悲鳴のようないななきとともに、杭からヱ―テル光が失われる。


「すごいな!」


 皆無かいなが手放しでめてくれる。


「えへへ」


 士官学校では『ヱ―テルお化け』と呼ばれて男どもから恐れられうとまれていた千代子であったが、心を寄せる異性からの賞賛がこんなにも心地良いものだったとは。


「だが、今のでヤツらに、我々がここに潜んでいるのがバレただろう。急いで隣の部屋に行くぞ」


「隣って、どうやって――あっ!?」


 言われてようやく、千代子は気付いた。

 部屋の壁に――本棚の裏に、隠し扉があることに。

 皆無かいなはあの隠し扉からやってきたのだ。


「大尉殿、必ず助けに来ますからね!」


 気絶している大尉に言い残し、千代子は皆無かいなとともに隣の部屋に移る。

 千代子はヱ―テルで膂力りょりょくを増した腕で、本棚を動かして隠し扉を隠し直す。


「次は、アレだ」


 明かりのない部屋で、皆無かいなが手招きしてくる。

 カーテンの隙間から窓の外――皆無かいなが指し示す方を見てみれば、


「え? 何処どこですか?」


 庭の端に、大きな木が植えられている。


「厄介なことに、あの杭はあの木の裏にある」


「何てこと」


「元の部屋に戻ってみるか?」


「いえ」


 耳を澄ませば、隣の部屋から半屍鬼グールたちのうめき声が聞こえる。

 半屍鬼グールは仲間を襲わないので、半屍鬼グール化が進みつつある大尉は無事だろう。

 が、自分たちが戻れば、たちまち半屍鬼グールたちは襲い掛かってくるだろう。


「このまま撃ちましょう」


 千代子は【文殊慧眼もんじゅけいがん】で距離を測ってから、銃を構える。

 腹式呼吸で丹田たんでんに力を込め、先ほどの倍量のヱ―テルを南部式に流し込み、


「【AMEN】ッ!」


 視界の先で、樹木に巨大な穴が空く。

 倒れつつある木のその先では、杭――その上部に意匠されている牛の顔は健在である。


「もいっちょ、【AMEN】ッ!」


 だから千代子は、次発を撃った。

 今度こそ、牛の顔が破裂する。

 先ほどと同じ、断末魔の悲鳴とともに杭からヱ―テル光が失われる。


「尉官とは思えないほどの威力だな!」


「えへへ」


「さて、次の杭はこの屋根の上――丁度、この部屋の直上にある」


「や、屋根の上ですか!?」


「当然、ここからでは狙えない。この屋敷はコの字型をしていて、今いるのは中央棟だ。だから北棟か南棟のどちらかにまで移動すれば屋根の上を狙うことも可能だが……」


 屋敷の中には多数の半屍鬼グールがいる。

 武装はこの南部式一丁のみ。

 弾にも限りがある。

 悠長に屋敷内を散歩しているような余裕はない。


「大丈夫です!」


 だから、千代子は提案した。


「ここから、屋根の上を狙えばいいんですよね?」


「千代子、お前まさか――」


「はい! 曲がる銃弾――【追尾風撃ラファヱル・ショット】が使えます!」


「すごい――本当にすごいな!?」


追尾風撃ラファヱル・ショット】は、四大天使の名を冠した第七旅団奥義の一つ。

 一発撃つだけでも多大なヱ―テルを消耗するので、


「えへへ、一日三発が限度ですが」


「それでもすごいよ。【追尾風撃ラファヱル・ショット】なんて、佐官でも使いこなせる者は少ないというのに」


 中でも最大の攻撃力を誇る【神使火撃ミカヱル・ショット】は、佐官どころかその上、将官ですら使い手が少なく、一発撃つごとに術者の寿命を縮めるのだという。


「あぁ、感心している場合じゃなかったな」


 皆無かいなの両目がヱ―テル光を帯び始め、


「【偉大なる狩人よ・あまねく動物を従えし公爵馬羅鳩バルバトスよ・臣にその目を貸したもう――鷹の目クレアヴォイアンス】」


 千代子は何故か・・・・・・・

 が、今はそんなことを気にしているような状況ではない。


 皆無かいなが明後日の方向へ視線をさ迷わせ、


「――視えた。【オン・アラハシャノウ――文殊慧眼もんじゅけいがん】」


(二つの術式を組み合わせるとは、さすがは皆無かいなくん!)


 許嫁が優秀で、千代子は嬉しい。

 その許嫁が部屋の中央まで歩き、頭上を指差す。


「杭があるのはここの直上。屋根の高さは二十三メートルと十三サンチ。杭の大きさは先の二本と同じ。ワシの顔を持っていて、顔は、俺が今向いているのと同じ向きだ」


 つまり、窓から撃って百八十度弾を曲げれば、杭の顔面を狙えるということだ。


「シィィイイ……」


 千代子は腹式呼吸で意識を集中させ、銃口を窓の外に向ける。


「【五大の風たるヴァーユ・十二天じゅうにてんの一・風の化身けしんたる風天ふうてんよ】」


 銃口の前に、曼陀羅まんだら現像イメージが浮かび上がる。


「【旅人達の守護者・トビトの目を癒せし大天使ラファヱルよ・その行き先を示し給え】」


 続いて、生命樹セフィロト現像イメージが浮かび上がる。

 二つの現像イメージが動き、曼陀羅まんだらの風天と、第八のセフィラ――大天使ラファヱルを表す『栄光ホド』が、銃口の前で合一する。

 日本の地脈からヱ―テルを吸い上げ、それを対西洋妖魔用の攻撃術式に変換する第七旅団の奥義『生命樹セフィロト曼陀羅まんだら』である。


 千代子は術式に、皆無かいなから聞いた緒言しょげんを注入する。

 そして、


「【AMEN】ッ!」


 引き金を引いた。

 放たれた弾丸が光り輝く翼のようなヱ―テル光を身にまとい、窓ガラスを突き破って夜空に舞い上がる。

 銃弾はあらかじめ設定しておいた弾道を辿って急上昇し、さらに曲がって百八十度の軌跡を結ぶ。


「少佐殿、当たりましたか!?」


「当たった。が――クソっ、かすっただけだ」


「次弾、行きます」


「十サンチ右、五サンチ下を狙え」


「【五大の風たるヴァーユ――」


 再度、【追尾風撃ラファヱル・ショット】の詠唱を始める。


「ォォオオアオアオオオアアアア……」

「ァアァアアアアァアアッ!」


 そのとき、隣の部屋から半屍鬼グールたちが雪崩なだれ込んできた!

 隠し扉に気付かれたのだ。


「千代子はそのまま射撃しろ! ――うぉぉおおッ!!」


 肉弾戦の音を聞きながら、千代子は最後まで詠唱する。


「――【AMEN】ッ!!」


 撃った。


(お願い……お願いッ!!)


 果たして――


 ィィィイイイイイン……


 二度聞いたのと同じ、杭が破壊されたときに発せられるのと同じ声が聞こえてきた。


「やった! やりました――きゃぁッ!?」


 振り向けば、部屋は半屍鬼グールあふれかえっていた。


「ここから出るぞ!」


 皆無かいなが十字独鈷杵とっこしょで光の防護結界を発生させ、半屍鬼グールたちを必死に押し返そうとしている。


「俺に続けッ!!」


「はいッ!!」


 皆無かいなが防護結界を盾のように構え、部屋の入口に向けて走り出す。

 半屍鬼グールたちが結界に肌を焼かれながら、左右へ吹き飛ばされていく。

 千代子は皆無かいなの背後にぴったりと付いて行く。

 皆無かいながドアを蹴破る。

 二人して、部屋を出た。


「ヒッ――」


 出るや否や、半屍鬼グールの集団と遭遇する。

 半屍鬼グールたちは拳銃を持っている。


「【AMEN】ッ! 【AMEN】ッ! 【AMEN】ッ!」


 先手必勝とばかりに千代子が射撃すると、半屍鬼グールたちは防護結界を発生させ、何やら統率の取れた動きで物陰へと退いていく。

 耳に届くうめき声とは裏腹に、何やら知性を感じさせる動き。


「千代子、進め! 南棟から最後の一本が狙えるはずだ!」


 半屍鬼グールたちの射撃を防護結界で防ぎながら、皆無かいなが言う。

 皆無かいなを盾にしつつ、千代子は先導する。

 先導とはいっても、ただ闇雲に走るだけだ。

 走っている間にも、窓という窓から半屍鬼グールたちが入ってこようとしている。

 千代子は射撃で牽制しながら逃げ惑う。


「はぁッ、はぁッ……南棟はこっち!?」


 進むべきその先から、半屍鬼グールの集団。

 背後からも、半屍鬼グールの群れが迫ってきている。


「糞ッ――」


 千代子は破れかぶれになって、目についた曲がり角へ飛び込む。


「しまっ――」


 そうして、絶望した。


「袋小路、か」


 皆無かいなが、肩で息をしながら言う。


「ごめんなさい……」


「気にするな。だが」


「ォォオオアオアオオオアアアア……」

「ァアァアアアアァアア……」


「どうしたものか、な。一か八か――」


「何か手が?」


「ここから、最後の一本を狙おう」


「ど、どういうことですか!?」


「俺の【鷹の目クレアヴォイアンス】をお前の銃弾に【付与ヱンチャント】し、さらに俺とお前の意識を共有させる。お前自身の耳目を弾頭に載せて飛ばす。銃弾として飛びながら、その場その場で銃弾を誘導するんだ」


「そ、そんなのできるわけ――」


「できなければ、ここで死ぬ。やるしかない」


 皆無かいなは、『できる』とは言ってれなかった。

 気休めを言わなかった。

 それでかえって、千代子は落ち着いた。

 軍人としての矜持きょうじが刺激された。

 肝が、据わったのだ。


「――分かりました」


 千代子は半屍鬼グールたちが迫りくる廊下に向け、南部式の銃口を向ける。


「【五大の風たるヴァーユ・十二天の一・風の化身けしんたる風天ふうてんよ】」


「詠唱しながら聞け。最後の十字架は屋敷の南端にある。ここから突き当りを右折し、直進して窓ガラスを割って外に出れば、見えるはずだ」


「【旅人達の守護者・トビトの目を癒せし大天使ラファヱルよ・その行き先を示し給え――AMEN】ッ!!」


 引き金を引いた。

 瞬間、千代子の意識はここにいながらにして銃弾の中に吸い込まれた。


 千代子の視界は皆無かいなの背中を飛び越え、迫りくる半屍鬼グールたちの頭上を抜けていく。

 ヱ―テルで満たされた脳が、何十倍にも何百倍にも引き延ばされた思考が、その光景をひどくゆっくりと描写する。

 が、それでも銃弾は銃弾である。

 視界は早くも、正面の壁に激突しそうになる。


(曲がって!!)


 千代子は祈る。

 これは、今日三発目の【追尾風撃ラファヱル・ショット】。

 この一撃を失ってしまえばもう、自分たちが助かる道は失われてしまう。


(お願いッ!!)


 銃弾が壁をえぐり取りながら、九十度右へ曲がる。


(やった――わぁッ!?)


 息をつくヒマなどない。

 銃弾はあっという間に廊下を直進し、ガラス窓に殺到するが、


半屍鬼グールッ!)


 十字独鈷杵とっこしょを手にした半屍鬼グールが、窓の前で防護結界を展開させようとしている。

 そんなことをされてしまっては、自分は――銃弾は結界に阻まれ、叩き落されてしまう。

 だから千代子は、自身が握る南部式にヱ―テルを込めた。


(加速しろぉぉおおッ!!)


 アストラルの糸で南部式と繋がっている銃弾が、さらに加速する。


 ――抜けた。


 銃弾が結界発動前に半屍鬼グールの脇下を通過し、窓ガラスを突き破る。


(やった!!)


 そして、見えた。

 庭の南端に、人面を張り付かせた杭がある。


(行けぇぇえええッ!!)


 千代子の意識を乗せた弾丸は、その人面に激突した。


「はッ――!?」


 千代子は顔を上げる。

 それは、自身が破裂したかのような感覚だった。

 が、見下ろせば、自分の体はちゃんとある。


「やったか!?」


「はい、はい! やりましたッ!!」


「よし――行くぞ! うぉぉぉおおおおおおッ!!」


 皆無かいなが防護結界を盾にして、猛然と通路を突っ切る。

 千代子は皆無かいなにぴったりと付いて行く。

 皆無かいなが、防護結界ごと窓ガラスに突進した。

 果たして――





 ガシャァアァアアアアンッ!!





 派手な音とともに窓ガラスが粉砕し、皆無かいなと千代子は屋敷から飛び出すことに成功した!


「やった! 外! 外ですよ!?」


「静かに」


 防護結界を解除した皆無かいなが、千代子の手を取って草むらに隠れる。

 庭には依然として半屍鬼グールたちが徘徊はいかいしているからだ。


「すぐにここから出ましょう」


 千代子がひそひそ声で言う。


「ああ。だが、その前にすることがある」


「え?」


 皆無かいなに肩をつかまれた。

 皆無かいなの顔が、唇がぐんぐんと近づいてくる。


「か、皆無かいなくん!? 本当に戦場効果!? そ、そりゃ私は全然いやじゃないですけど、さすがに時と場所というものが――やぁっ、ちょっ」


 千代子は思わず、皆無かいなの顔を押し返す。

 目深にかぶっていた皆無かいなの軍帽が、落ちた。





「…………え?」





 千代子は、戸惑う。


 皆無かいなの顔。

 





「【斯く在り給ふA M E N】ッ!!」





 そのとき千代子は、少女のように高く澄んだ声を聴いた。

 続いて、銃声。

 そして。

 そして――――……


























































 皆無かいなの頭部が、破裂した。

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