影法師

1. 影法師一つ

 ざざん……ざざん……。

 灰色に曇った空に、その色を混ぜ合わせたかのような濁った緑の大海原。寄せては返す白い波を山生まれ山育ちの影丸は呆然と眺めていた。

 春の夜に『桜の主』が身罷って、四十九日。喪に服し主の菩提を弔った影丸は

『なんだ、我らが使こうてやろうと思ったのに』

 文句を言う主の若い眷属に暇(いとま)を告げて、山を降りた。

『私が消えたら、娘にこれを渡しておくれ』

 その花びらを胸に山を越え、川を越え、もう小雪がちらつく季節になって、ようやく西の海に着いたのだ。

「あれが大陸行きの船、でござるか……」

 小舟の行き交う浜から、沖の白い大きな帆を揚げた貿易船を見る。

『お父上、行って参ります』

 半島の国の建国百周年の祝祭の贈り物として、『桜の主』の山を領地に持つ領主に掘り起こされ、山を下った『桜の姫君』。そのたおやかな麗顔を思い返し、背に背負った干飯の入った袋を担ぎ直す。

「主の最後の命、必ず、影の命に変えても叶えるでござる」

 貿易船に乗せる荷物を乗せた船の影にするりと入り込む。

 空が陰り、また雪が舞う。影丸を乗せた船は荒い波を滑るように進んでいった。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 今日は七日に一回の聖ユグリング教が決めた光の休息日。待ちに待った休みの日に、私は寺院の朝の鐘が鳴る前に起きた。

 聖騎士の軍服ではない、シャツにズボンという普段着に着替え、赤い髪を結ってまとめると、上から頭巾を被る。

 そして、早速、オークウッド本草店の台所や調合室、店先で使っている水瓶を洗って、交換し、井戸から新しい水を汲んで入れた。

「おはよう、ミリーちゃん」

「おはよう、おばさん」

 次にガスのお母さんと食事当番の人達と一緒に朝食の準備。朝ご飯が終わったら洗濯当番の人達とお洗濯。

 更に台所に戻って、おばさんと一緒に三日分のパンの生地をこね……と尽きることのない勇者の力を使いまくって、お手伝いをしまくった私は

「休日は、ちゃんと休みなよ!」

 忙しく店先と調合室を行き来しているガスに

「休日だから働きたいの!」

 言い返して、市場にお使いに出掛けた。

 ナタリー嬢の事件以来、私はまた聖獣神殿アルスバトル分室で、過去の資料を読むか、訓練所で訓練するか、のヒマな日々を送っている。むしろ休日は働いている方が楽しいのだ。

 市場や市場近くの食料店で、おばさんから渡されたメモの通りに、塩や砂糖、バターやチーズ等を買い付け、お店に運んでもらう手配をする。買い物を終えて、少し散歩して帰ろうと問屋街に足を踏み入れた。

 この辺りはシルベールの南にある港から運河を使って、多くの荷物が運ばれてくる。倉庫が建ち並び、人夫達が荷を運び入れたり、荷馬車に乗せたりしていた。

 彼等の運ぶ荷物には東方貿易や南方貿易の珍しいものもあり、私のようにそれを見物している人もいる。

 藁で編まれた俵をガスに似た黒い髪に黒い目の小柄な人達が運んでいく。忙しく働く人の間を独り歩きながら、私はさっきの市場の人達を思い出し小さく息をついた。

 市場には、私が公女で勇者だと知る前からよく行っている。

 あの『ミリーちゃん!』と私を呼んで、からかいつつも、おまけしてくれるおじさんも、『偉いね~』とお使いの度にご褒美のキャンディーやクッキーをくれるおばさんも、私がそうだと知ったらどうなるんだろう……? 

 騎士団の人達は知ってから、ぎこちなく接するようになった。セシルは双子の兄と解ってから『目立つな』しか言わなくなったし、伯父様と伯母様……お父様とお母様はなんとなく私の方から距離を置いちゃたし……。

 賑やかな通りに私の影法師が一つだけ、ぽつんと落ちている。

 ヒュー……。

 音を立てて、運河から冷たい風が吹き上げた。

「……帰ろう」

 今日はこのまま、お店のお手伝いをして忙しくして過ごそう。

 赤煉瓦の倉庫の角を曲がり『姫様通り』に繋がる細道に入る。両側が高い建物のせいで光の差さない薄暗い道を行くと、ふにゃ……何かを踏んだ。

 足下を見る。灰色の石畳の道に赤ん坊くらいの大きさの、黒い人型のモノが転がっていた。

「何だろ?」

 足を退けて、それの両脇に手を入れ持ち上げる。

「誰かの人形かな……?」

 人形にしては、前も後ろも真っ黒で、目も鼻も口もないんだけど……。

「…………」

 ぐったりとした、それの手がぴくりと動く。

「え!?」

 思わず落としてしまう。それはぺとんと石畳に座るような形で着地すると、またそのまま、こてんと仰向けになった。

「…………」

 聞き慣れない言葉が響く。

「え? 何?」

 もう一度、抱き上げる。私の耳に

 ぐぅぅぅぅ~。

 大きなお腹の音が聞こえた。

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