トリニティオーケストラ!!!

九澄羊

第1話 嵐の訪れ

まだ昼を少し過ぎたくらいなのに、もう空の向こうが暗い。

―――嵐が来る。

ざわざわと揺れる木々の枝葉、忙しなく飛んでいく鳥たち。

私の蜂蜜色の長い髪も強い風に吹かれて揺れる。


「きゃっ」


荒々しく通り過ぎていった風に煽られて、ひるがえりそうになったスカートの端を慌てて押さえた。

流石にそろそろ帰った方がいいかもしれない。

今日の採取、まだ始めたばかりだけど、雨が降りだしたらせっかく集めた素材が濡れちゃうもんね。

片腕に提げたカゴの中には、摘んだばかりの草花、木の実、小瓶に採った樹液や、土から覗いていたのを掘り出した小振りな結晶。

カゴの蓋を閉めて、下生えをサクサク踏みながら歩き出す。

頭の上に広がる緑の天蓋は、さっきから近付く雨雲の気配を伝えるようにざわついている。

『早く帰りなさい』って急かされているみたい。


「ハル!」

「わぁッ」


いきなり声をかけられたから、驚いてビクッと震えながら立ち止まった。

慌てて振り返ると、こっちへ向かって駆けてくる姿の、赤いキラキラした目と目が合う。


「やっぱりいた! もうっ、こんな日にまで森に入るなんて!」

「お、驚かさないでよ」

「驚いたのはこっちよ!」


幼なじみのティーネだ。

チャームポイントは遠くの音までよく聞こえるスラッと長い耳。

ウサギ系統の獣人で、亜種。真っ白フワフワな体の毛は光が当たるとうっすら銀色に輝いて綺麗、それにギュッて抱き着いた時の感触が最高。

亜種の獣人は獣と人の姿を持っていて、人寄りの姿になったティーネはサラサラした銀色の長い髪に赤い目、そしてやっぱり白くてすらっと長い耳と可愛い尻尾をお尻に生やした女の子の姿になる。

どっちの姿でも私より少しだけ背が高い。あ、耳の長さ抜きでね。


「嵐が近付いているから、今日は採集に行かないでって昨日も言ったでしょ!」

「は、はぁい」


こんな調子で、私は日頃からティーネに世話を焼かれてばかりいる。

弟がいるからお姉さん気質なんだよね。


「一応様子を見に来てみたらこれだもの、母さんも心配していたし」

「エヘヘ」

「笑って誤魔化してもダメよ、それに今はリューもロゼもいないんだから」


リューとロゼっていうのは、私の兄さん。今は用事があって出かけている。

こんなタイミングで嵐が来るなんてと思うけれど、空の機嫌はこっちの都合なんてお構いなしだもんね。


「備えはしてあるの?」

「うん、問題ナシだよ、朝から頑張って修繕したし、水や食料の備蓄もちゃんとある!」


屋根や窓を板で打ち付けておいたし、飛びそうなものは納屋にしまって鍵をかけた。大体三日分くらいの水と食料も確保してある。

何より大切な工房は、一番しっかりと補修しておいた。保管庫の水漏れ対策だってバッチリだ。


「はぁ、そういうところはちゃんとしているのよねぇ」


大丈夫だって言ったのに、何故かティーネは溜息を吐く。

あれ、ダメ? 何がいけなかったんだろう。

私達の傍をじっとりと湿気を孕んだ重い風が勢いよく吹き抜けていった。


「ここで話し込んでいる場合じゃなかったわ、帰りましょう、雨が降りだす前に」

「そうだね」


手を掴まれるとフワフワしてあったかい。

わざわざ森まで探しに来てくれるなんて、やっぱりティーネは優しいなあ。自慢の幼なじみだよ。

私だけじゃなくて、リューやロゼのことまでいつも気に掛けてくれる。


ここはとても小さな村だ。


連なる大きな山の麓、緑深い大森林に抱かれた隠れ里みたいな村で、住人は数十人程度。

ここでの暮らしは基本自給自足、共用の大きな畑や牧場があって、そこで取れた資源を皆で分け合い、お互いに助け合って生活している。

私が生まれる前、王都で暮らしていた母さんは、研究と子供の情操教育のために、この村へ引っ越してきたんだって。

医術の心得があったから、村医として村の皆に頼りにされていた。

この村にはずっと医者がいなかったから、それはもう有難かったって今でも村長さんが話してくれる。

母さんが村に来るまでは、薬や手当でどうにもならない病気や怪我は、森を越えた向こうにある町から医者を呼んでこないといけなかったからね。


でも、その母さんは、今ここにいない。

一年前、使者を名乗る人が家に来て、一緒に王都へ向かったきり、いまだに帰ってこない。

たまに手紙が届いて、忙しいけど元気にしていることだけは伝えてくれるけれど、具体的にどこにいて、何をしているのか書かれていたことはない。帰りがいつになるのかさえ分からない。

本音を言えば寂しいよ、凄く。いつだって心配している。

でもそれは兄さんたちだってきっと同じだろうし、私の傍には二人だけじゃなく、ティーネや村の皆がいてくれる。強がりはバレているだろうけどね。

母さんは約束を破ったことはない。

だからきっといつか帰ってくる。その日を信じて、母さんの工房を守りながら待つことだけが、今の私にできることだ。


「ハル?」


一緒に歩くティーネが振り返って首を傾げる。


「どうかした?」

「ううん」


フワフワの手をぎゅっと握り返しながらエヘヘッて笑う。

少し物思いに耽っちゃった。

こんな時に兄さんたちがいなくて、心細くなっているのかな。


「もう」


ティーネは笑って、また前を向いて歩きながら「そういえば」と話を切り出してきた。


「ハル、明日誕生日よね」

「えッ」


え? と呟いてまたこっちを見たティーネは、今度は呆れた顔して「まさか忘れていたの?」なんて言う。そんなわけないじゃない!


「わ、忘れないよ、自分の誕生日だよ?」

「そうよね、毎年リューがケーキを焼いて、ロゼが歌ってお祝いしてくれる日だものね」

「うん」

「だから今回の村長さんからのお願い、ものすごーく渋ったって聞いているわ」

「アハハ、ほら、ロゼもだけど、リューは過保護だから」

「可愛い妹だもの、それは当然よ」

「うぐ」


本人にそれを言うかな。

なんだか急にちょっと恥ずかしくて顔が熱い。勘弁して欲しいよ。

出掛ける前、リューが私を抱き締めながら「ごめん」って繰り返して離そうとしなくて、最終的にロゼに無理矢理引き離されてそのまま出かけていったんだよね。

出来る限り早く帰るって叫んでいたけれど、今頃どうしているのやら。


「でも、村長さん謝ってくれたし、今朝も来て心配してくれたよ」

「まさか嵐が来るなんて思っていなかったでしょうしね」

「うちに避難しなさいって言われた」

「断ったんでしょ?」

「うん」


お見通しだね。

溜息を吐くティーネにもちょっと申し訳ない。

自分の家に避難しないかって声をかけてくれたのはティーネの方が先だった。それが昨日の話。

だけど断った。

リューもロゼもいない今、母さんの工房は私が守らないと。


「まあ仕方ないわね、でもこんな日に、しかも明日は誕生日なのに一人だなんて」

「それは平気、大丈夫だよ」

「でも―――そうだ、私がハルの家に泊まろうかしら?」

「そっ、それはダメ!」


おばさんたちが心配するだろうし、そういうことなら家に来なさいって強制連行されちゃうよ。


「どうして? 私、来年で十六よ」

「今はまだ十五でしょ」

「そうね、明日から暫くは同い歳ね」


明日は私の生まれてから十五回目の誕生日。

世間的には、十六歳になったら一人前と認められて大人の仲間入りをするから、子供扱いされるのはあと一年。

私より半年くらい先に生まれたティーネは普段お姉さんだけど、明日からは同い年だもんね。


「そうだよ、同じ十五だよ」

「だけどハルが私より年下ってことに変わりはないけどね」

「もうっ」


ムッとなる私に、ティーネは笑って「そういうところが年下なのよ」なんて言いながら手を繋いだまま走り出した。

空から雫がパラパラと降り始める。

雨だ、雨雲が広がり始めたんだ。風も強い、急がないとびしょ濡れになっちゃう。


「ハル、足元、気を付けて!」

「うん!」


一緒に走って森を抜けて、私の家の方へ向かう。


「ティーネ!」

「何? ハル!」

「もういいよ、あとは一人で帰れるから、ティーネも家に帰って!」

「でも!」

「濡れたら風邪ひいちゃうよ、私より体を乾かすの大変でしょ!」


ちょっと間があって、ティーネは「そうね」と答えて、私の手を離すと体の向きをくるっと変えた。


「ハル、嵐が過ぎるまでしっかり戸締りして過ごすのよ! あと夜更かししないこと! いいわね?」

「はぁーいッ」

「気を付けて!」


すっかり陽も翳って、昼なのに薄暗い風景の中をティーネは走っていく。

私もカゴを抱えなおして全速力で家を目指す。

結構服が濡れちゃった、帰ったら着替えて体を温めないと。

―――その前に、採取した素材の確認をして、分類してから保管しないとね。


遠くに我が家が見えてきた。

少しホッとする。よし、あと少し!

吹き荒れる雨と風の中を、ぬかるむ足元の泥を跳ね飛ばしながら転ばないように走った。

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