翌朝。レンスイは再び廃墟へ行く。ガマランタの住処へと。

「いいところにやってきた。私についてきてほしい」

 先生は本を持ちながら、扉を開けて外へ出る。せっかく絵本を読もうとしたのに、いったい何の用事だろう。

「これを預かっていてほしい」

 厚みのある本だった。薄茶のカバーが剥げていて、相当使いこまれている。受け取ると、重かった。先生が大事にしている本。抱えこむ。

「さあ、行こう」

 ガマランタは印を結んで、種珠に光を溜めこんだ。先生の術ははじめて見る。用心深く、めったに手の内を見せない彼が、僕の前では披露する。嬉しくなる。ガマランタは手刀を構えて、空間へと切り入れる。黒い傷が空中に浮かび、両手で裂け目を大きくする。二人が入れるくらいへと。身をくぐらせて、消えていく。レンスイは戸惑いながらも、先生と同じようにした。黒い裂け目へ飛びこんだ。

 出た場所は、薄暗い。縞模様の土の壁。以前の景色とまるで違う。ここはいったいどこだろう。

「花……?」

 陽光が細くきらめいた。雑然とした花畑。伸び伸びと自由に咲いている。こういう景色は嫌いじゃない。

「こっちだ」

 呼ぶ声がして、振り向いた。先生だ。歩いている。レンスイは慌てて追いかける。日陰のさらなる深淵へ。洞穴だ。黒い巨体が目前に。

「なっ、なんだ?」

 立ち止まる。敵かと思って身構えた。違っていた。生物らしい気配がない。それは動いていなかった。

 種珠の光に当てられて、金属だけは見えている。

 ガマランタは懐かしむように、その表面を撫でている。

「それは、いったい何ですか?」

「ルーツが遺した兵器だよ。龍馬リューバと私は呼んでいる」

「兵器とは」

 耳に慣れない言葉だった。リーヴスに似ているかもしれない。もっともスケールは大きいが。

「殺すための機械だよ。進化戦争の遺物だろう。ルーツは罰を受け入れる前に、この場所へと隠したのだ」

 罰とは種珠を埋めこむこと。リーヴスに進化することだ。進化戦争は遥か昔に人類が抵抗した歴史。森羅万象の御使い=大樹はこのときに出現したものだ。

 そう教えられている。

「先生はこれを僕に見せて、どうしようというのでしょう」

「動かすのさ。君にはその力がある。水流を血のように通わせ、龍馬リューバを起動させるのだ」

「僕が?」

 本を落としそうになる。手から離れる直前に、腕でしっかり持ち上げる。

「先生は、僕に反逆してこいと?」

「動かせと言っているだけだ。どう使うかは、君次第」

「なるほどね」

 そういうところが我が師らしい。恐れているが、したたかだ。先生が僕を選んだのは、僕の域と性格が条件に見合っているからだ。

「だったら僕も、この玩具で遊ぼうか」

「それがいい」

 先生はさも愉快そうに、目尻にシワを寄せている。僕から本を取り戻すと、ページを両手で開かせる。

 そこには龍馬リューバの絵があった。二本足。棒立ちだ。正面と背中の二つの絵。ページの端には文字がある。レンスイでも読める文字。

「『もちづきまこ』、どうして!」

 レンスイが気に入る絵本作家。柔らかいタッチの絵を描くけれど、このようなものも描けるらしい。よく見ると、共通しているかもしれない。色使いや線などは。

「これはあの絵本作家がデザインしたものらしい。戦争という局面においても、ルーツは美を追求した。美しさもまた文明だ。進化戦争の象徴だろう」

「彼女はあの時代にいた? 進化戦争に参加した?」

 そうだとしたら戦争に敗れて、リーヴスになっているはずだ。家族を忘れ、絵を忘れ、戦うだけの獣になる。絵本のようなお話は、引き裂かれてバラバラだ。

「許せない」

 やっぱり世界は間違った。森羅万象は僕の敵。

 先生は、龍馬リューバの胸部を指さした。

「ここが君の操縦席。ハッチを開けて入るんだ」

 レンスイは高くジャンプした。黒い巨人の胸部へと。取っ手を掴んでこじ開ける。土埃が舞い上がる。顎の外骨格を動かし、フェイスガードを形成する。素顔を隠すリーヴスのマスクは防塵機能も備えている。どんな劣悪な環境にも耐えられるようにするためだ。

 操縦席へと潜りこむ。座り心地は悪くない。さて、どうやって動かそう。先生が言うには僕の術で浸透させればいいとのこと。これほどの巨体をそう簡単に動かせてしまえるものなのか。

 そして術を使う手段は、正当ではない手順だろう。ルーツは術を使えない。代わりに機械が存在し、複雑に組まれているはずだ。その知恵で。文明を奪われた僕らには、本来の手順など知らない。皮肉にも、種珠の力を借りなければ指一本も動かせない。

 ここにも絶望だけしかない。もし術を使ったら、森羅万象の支配下だ。龍馬リューバさえ。人類は完全に負けになる。それだけは避けたいけれど、リーヴスには不可能だ。

「いや、そんなことはない。僕らはルーツの末裔だ!」

 できるはず。やるしかない。水の術を使わずとも。仇討ち。人類の。絵本作家の彼女を思うと、胸が締めつけられるから。

 取り戻そう。尊厳を。僕らは人間だったんだ。獣じゃない。離さない。見えないほどの細い糸を手繰り寄せていくように。操縦席のボタンやレバーを、レンスイはいじり倒していく。動け、動け、動いてくれ!


   *


「君の執念に感服だ。術まで封印するとはな」

「そうでもしないと、あれに勝てないと思ったから。僕は解放を望んでいる。家族が欲しい。恋がしたい」

 野草の上に転がりながら、シロツメクサを抜いている。花の根本に弦を巻きつけ、紐のように編んでいる。植物いじりはレンスイの手癖のようなものだった。

 龍馬リューバを動かせなかったことを、ガマランタは咎めない。代わりに本を差し出した。

「君が持っているといい。龍馬リューバを理解することだ」

 その言葉の意味するところを、レンスイは既に知っていた。文字を執念で読むことだ。ガマランタがするように。解読を。

「それがルーツに近づく道。僕が人類に戻る道。わかったよ。やってやる」

 紐状に編んだシロツメクサを、最後は輪にして完成だ。よくできた。花冠。絵本に出てきた女の子も、母親に花を贈っていた。もしかしたら大切な人に贈るといいのかもしれない。今度、ザクロムに会うようなら、彼にアドバイスしてあげよう。僕にはまだ、家族になりたい大切な人はいないけど。

 強いていうなら、龍馬リューバかな。彼女が関わっていた兵器。巨人の頭に花束を。

「君は面白いやつだ。その花は、三つ葉だな」

 ガマランタは葉を摘んだ。無造作に。森羅万象の怒りを恐れる彼にしては珍しい。

 シロツメクサの葉っぱだった。一つの茎に三つの葉。

「私を思って、約束、復讐」

 先生は小さくつぶやいた。僕のほうへと差し向ける。

「本の栞にするといい。君には期待しているよ」

 三つ葉を本の上に置く。指を組んで、空間を手刀で切り裂いた。帰る時間。

「また来るよ。もっと勉強してからね」

 洞穴に眠る兵器に向けて、誓いの言葉を投げかける。

 彼女に思いを馳せながら。

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