21 さいせん箱の中身

 ――からん。からん。


 きれいな音が聞こえる。

 重みのある、けれどもどこか軽やかな音。


「やらせて」


 声がする。なつかしくて、寂しくて、胸がしめつけられる声。


「ねえ、お父さん。わたしにもやらせて」


 そう言ったわたしを、大きな腕が持ち上げた。地面から離れた足をばたつかせ、わたしはうれしそうに体を震わせる。

 小さな両手で、太い縄を握る。お父さんに抱えられたまま、わたしは腕をいっぱいに動かして鈴を鳴らした。

 ――から、からん。

 お父さんの鳴らしたのとは、ずいぶん違う音に聞こえた。自分がまだ子供だから、鈴も子供用の音しか出せないのかもしれない。

「エマは、何をお願いしたんだ?」

「お願い? お願いって、誰に?」

「そうか、知らなかったのか。ここは、神様と話せる場所なんだ」

「じゃあ、もう一回やる。お願い、する」

 お父さんは、もう一度お賽銭を投げるところから始めてくれた。

 ――お父さんも、お母さんも、モルモットのシロも、みんなずっといっしょにいられますように。

「お父さんは何をお願いしたの?」

「エマが健やかに育ちますようにって」

「すこやかって?」

「元気よく、楽しく、ということだよ」

 お父さんがそう言ったとき、お母さんが戻ってきた。

「何を話していたの?」

「ないしょだよ。ね、お父さん」

 お父さんは、眉を下げるようにして微笑んだ。

 その後、おみくじをすることになった。縦長の箱を振ると、木の棒が出てきた。それを見て、神社のお姉さんが後ろの引き出しから紙を取り出して渡してくれる。

「エマすごい、大吉じゃない。お父さんだけ末吉ね」

 お母さんのおみくじにも、わたしの紙と同じ文字が書いてあった。大吉、というのが一番いいものであるらしいことはわかった。けれども、下にたくさん書いてある文字は、なんだか難しくてよくわからない。

「これ、なんて書いてあるの?」

「たくさん勉強すれば、いいことがあるって書いてあるのよ」

 お母さんがそう言って笑った。お父さんは、にこにことしながらわたしのおみくじを眺めている。

「よし。エマにもわかるように、あとでエマ用のおみくじを作ってあげよう」

「それ、いいわね。エマ、よかったじゃない」

「うん!」

 わたしは、お父さんのズボンの脚に抱きついた。

「お父さん、ありがとう」


 ――からん。からん。


 ゆっくりと、まぶたが開いた。

 耳に、何かなつかしい音の響きが残っているような気がした。

 夢、だろうか。一体、何の夢だったんだろう。

 いや。そんなことより、ここ、どこ?

「エマ!」

 叫ぶような声に、あたりを見回す。 

 見覚えがある場所。わたしの部屋だ。そしてここは、ベッドの中。

「エマ、よかった! なんともないか?」

 視界に飛び込んできたのは、小鬼だった。不安と安心のはざまのような表情で、眉間をぴくぴくと震わせている。

「あれ、わたし……」

 おぼろげに、記憶がよみがえってくる。高瀬さんと黎開学園高校に行って、イズミさんと中庭に下りて。そして、そこで……悪霊に、されかけた。

「わたし、生きてるの?」

 布団をめくり、ベッドに横たえた体を確認する。今朝着がえた服に包まれた体のどこにも、異常があるようには見えない。

「ああ、おまいさんは無事だ。ヤシロと長日部が助けてくれたんだ。おいらは仕事に追われていて気づくのが遅くなった。すまなかったな、エマ」

 わたしはゆっくりと起き上がり、部屋の中を見回した。端っこに浮かぶヤシロさんと、ベッドのそばに座る長日部君の姿を見つける。

「長日部君……」

 わたしのつぶやきに、長日部君は優しい笑みを返してくれた。

「束原さん。無事でよかった」

「どうして、ここに……って、その前に!」

 長日部君の顔を見た途端、胸の中にしまわれていた思いが突沸するように飛び出した。

「昨日はわたし、突然帰っちゃって、ごめんなさい!」

 半身を起こしたまま、がばっと頭を下げる。

『なんだ? 昨日? やっぱり、何かあったのか?』

 ヤシロさんのとぼけたような声が聞こえる。

「いや、いいんだ。突然変なことを言い出して、こっちこそごめん」

 長日部君の言葉に、顔を上げる。恥ずかしそうに目をそらす彼を、ヤシロさんが真横からじっと眺めている。

 かと思うと、ヤシロさんはキッと私に目を向けた。

『まったく、大変だったんだぜ。おまえが勝手な行動取ったおかげで、ほんとに危ないところだった』

「あっ、そうだ。助けてくれたって言ってたけど、いったいどうやって? どうしてわたしの居場所がわかったの?」

「説明するよ。始まりは、ヤシロが僕の家に来たことだった」

 そう言うと、長日部君は真剣な表情で話し始めた。

 長日部君が部屋で勉強していると、ノートにミミズのような文字が浮かび上がってきたそうだ。驚いて見ていると、やがて文字は「エマ」という形になった。ヤシロか、と問いかけても、もちろん返事は聞こえない。するとさらに、「キケン」という文字が追加された。

 長日部君は、わたしのもとへ向かおうと家を飛び出した。

 そのとき、一本の糸の異変に気づいたのだと言う。

「それってもしかして、わたしの糸?」

「そう。消えかけていた。焦ったよ、あのときは」

 長日部君は、同時にもうひとつのことに気づいた。糸の延びる先が、わたしの家の方角ではない。

「方向はわかっても、実際に束原さんがいる場所までどれだけの距離があるのかわからない。僕は近くにヤシロがいることに賭けて、束原さんのいる方角を伝えた。空から束原さんを捜してもらうことにしたんだ。僕も自転車で糸をたどって、後からヤシロと合流した、というわけ」

『で、高校の中庭から妙な匂いがただよってるのを見つけてな』

「それが幽霊にだけ感じとれる、悪霊の匂いだったってわけだ」

 小鬼が、ヤシロさんの言葉に説明を加える。

「でも、あそこは異空間になってたはず。どうやって中に?」

『忘れたのか、おれは幽霊だぞ。着いたときは普通の中庭だったが、イズミの奴が油断したのか、一瞬空気が揺れてな。黒い隙間ができたから、すかさずそこから入ったってわけよ。おれが幽霊だからできたスゴ技だな』

 そうか。普通の人間は無理でも、幽霊のヤシロさんには入れる場所だったのだ。

「でも、わたし悪霊に食べられかけて……」

『そうそう。悪霊に囲まれて、気絶してたんだ。でもそのおかげで、あのときのおまえの体は空になってたんだよ。だからおれがエマの体に入って、気合で悪霊を吹き飛ばしたんだ』

「き、気合いで? そんなことできるの?」

 小鬼がうなずいた。

「前にも言ったかもしれないが、悪霊は負の感情のカタマリだ。やる気だの勇気だの愛だの、まあ正の感情とでもいうかね、そういうもので力が弱まるんだよ。人間が立ち向かうのは難しいが、同じく幽霊であるヤシロだからなせた業だな。正直、こいつにそれだけの力があったってのも驚きだが」

『うるせえな。実際倒したんだからすごいだろ? そんで、イズミのほうには側頭部に拳を食らわせたんだ。エマの小さい拳でもあいつは吹っ飛んだぞ。後で見たら、手の中に水晶が握られてた。それが効いたのかもしれないな』

「あの水晶、あのとき空からでもわかるくらい光ってたぞ。エマの力だな」

 小鬼が言うと、長日部君もうなずいた。

「束原さんが水晶を持っていてくれて、本当によかったよ」

 水晶……そうか、最後まで握っていたんだ。長日部君のくれた水晶が、力を発揮してくれたってことだ。

 それにしても、拳を食らわせた、だって?

 わたしは思わず自分の手を見る。つるりとしていて傷は一つもなく、きれいなものだった。これも水晶の力なんだろうか。

『とりあえずイズミをやっつけて異空間から抜け出したのはいいけど、悪霊がついてきちまってな』

 ヤシロさんが続ける。

『仲間を集めて巨大化し始めたとき、小鬼と長日部が来たんだよ』

「異空間から悪霊が大量に出てきて、それをセンサーが感知したんだ。おいらが悪霊処理班を率いて急行しなかったら、みんな危なかったんだぞ。おいらに感謝してくれよ」

 小鬼が自慢げに言った。

「で、驚くことにそいつらは、近頃おいらの上司が探していた巨大悪霊集団だったんだ。ヤシロのことの他にも、余罪がある。イズミがやつらを動かして、悪さをしてたってわけだ。イズミは自分の嫌いな人間やライバル、気に食わない奴らを、悪霊を使って脅かして、精神的に追いつめてたんだ」

「巨大悪霊集団って……前に神社で小鬼が言いかけてた、あの?」

「え、おいら、言ったことあったか? 口をすべらせたかな」

 わたしの問いかけに、小鬼がぺろりと舌を出す。

『おれはイズミに操られた悪霊に殺されたってことだったらしいな。あのイズミってやつ、ほんととんでもない野郎だ』

「イズミが危険な存在だって、言っておけばよかったよ」

 長日部君が、ヤシロさんの言葉にかぶせて言った。

「ヤシロが喫茶店から消えたとき、窓の外にイズミの姿が見えたんだ。すぐにいなくなってしまったけど、やっぱりあのときからイズミの行動は怪しかった。それを束原さんに伝えられていれば、今回のことは避けられたかもしれない」

 なるほど。喫茶店にいたときに長日部君が窓の外を見ていたのは、そういうことだったのか。

 あのとき感じた妙な気配も、もしかしたらイズミさんのものだったのかもしれない。

「確かに危険だったが、結果的には大収穫だったんだよ」

 小鬼が後を継いで言った。

「あの悪霊集団は、どれだけ探してもなぜか根城が見つからず、捕まえることができなかったんだ。イズミが異空間に隠したうえに、何重にも結界を張ってたせいだったんだがな。これは盲点だった。あんな能力者がいるなんて、おいらたちにも想定外だったんだ。ちなみにあの悪霊たちについては、きちんと浄化させて成仏させるよう、担当者が処理中だ」

「悪霊はわかったけど、イズミさんは? あの人は、どうなったの?」

 わたしの問いかけに、小鬼はぴくりと眉を動かした。

「やつについては、また後日報告する」

 そう言うと、堅く口を閉じてしまった。

 お咎めなし、ということはないのだろう。ヤシロさんの死は、彼が引き起こしたものだったのだから。

 しばし、沈黙が流れる。わたしは、三人の顔を見回して言った。

「改めて、みんな。助けてくれて、ありがとう。迷惑かけて、ごめんなさい」

『結果がすべてだろ。生きててよかったよ』

 ヤシロさんが言った。

『それに、礼ならコレに言ったほうがいいかもしれねえぞ』

 そうしてふわりと浮かび上がると、カラーボックスの前へと移動した。

「コレって……」

 ヤシロさんの指した先にあるものを見て、はっとする。

 さいせん箱形の貯金箱。

 どくんと、胸がうずいた。なんだろう。今、何かを思い出しかけたような。

「どうして、貯金箱にお礼を?」

『そもそもの始まりは、こいつが床に落ちたことなんだ』

「ヤシロは、この部屋で念力とやらの練習をしていたらしい。そのとき急に、その貯金箱が落ちたんだそうだ」

 小鬼が神妙な顔つきで言う。

『思わず拾い上げたとき、突然胸騒ぎがした。エマが危ない。なんだか知らないけど、そう感じ取ったんだよ。それで長日部の家に行って、念力で伝えたんだ』

「地震が起きたわけでもないのに、突然落ちるなんて不思議だ。そもそも、どうしてヤシロはそれに触ることができたんだ?」

 長日部君が首をひねる。

「そう、だよね。ねえ小鬼、調査中だって言ってたよね? 何かわかったの?」

「結論としては、なんらかの霊力が宿っていたから、ということになるらしい」

「霊力?」

「たまにあるんだよ。強い思いがモノに宿って、霊的な力を放つ物質になるってことが。つまりヤシロは、その貯金箱そのものじゃなく、そこに宿る霊力に触れていたってことだ。幽霊は、霊力なら触ることができる。霊力を持ち上げれば、その霊力の宿る貯金箱も一緒に持ち上がるって寸法だ」

「なるほど、興味深い」

 小鬼の言葉に、長日部君が静かにうなずく。

「だが、思いとは? 束原さん、その貯金箱に何か思い入れが?」

「エマ、もうわかってるんじゃないか? その貯金箱の霊力――思いの、正体に」

 小鬼に言われ、わたしはベッドから降りた。カラーボックスに歩みより、貯金箱をそっと持ち上げる。

(お父さんが、ヤシロさんに知らせてくれたの?)

 意識を失う直前、聞こえた音。あれは、鈴の音だった。

 思い出した。三歳のときの、家族旅行。鳴らしたいとせがんだわたしをお父さんが抱き上げた、あの神社で聞いた音。

『おれさ。それもう、触れねえんだ』

 いつの間にかそばに来ていたヤシロさんが、穏やかな声で言った。

『落ちた時、持ち上げてそこに戻したのが最後。さっきもう一度触ろうとしたけど、無理だった』

「それって……」

「おそらくは、霊力の元となった思いが、自身の役目を終えたと判断したんだ」

 小鬼の言葉が、ひゅっと胸に刺さった。

(役目を、終えた?)

 机の上に貯金箱を置き、引き出しを開ける。やはり、何もない。

 も追う一度ひっぱり、引き出しを完全に出そうとする。そのとき、中で何かがひっかかる音がした。

 指を入れて取り出してみると、それは折りたたまれた小さな紙だった。

「おみくじ?」

 長日部君が、後ろからそっとのぞきこんでくる。

「手作りみたいだな」

 小鬼の言葉で、わたしの手が震え出す。

 表面に黒いインクで書かれた、「おみくじ」の文字。これは、お父さんの字だ。

 ゆっくりと、広げていく。くるくると折りたたまれたそれは、やがて短冊形の細長い紙となった。


【だいきち】 ともだち:たくさんできる

       かぞく:エマがだいすき 

       ねがいごと:ゆめをもてば、きっとかなう


「お父さん」

 両手で、濡れた頬を覆う。

 鈴の音と、おみくじの箱。ふだんよりおしゃれをしたお母さんと、さいせん箱の前に立つお父さんの横顔。

 思い出した。お父さんは、口数は少なかったけれどいつもニコニコしていた。優しかった。わたしは、お父さんのことが大好きで、お父さんもわたしのことが大好きだった。

 とつぜんいなくなってしまった、とまどい。悲しみ。寂しさ。

 それがだんだんと、怒りといらだちに変わっていってしまった。

 触れたくても、触れられない。手を伸ばしても、どうにもならない。わたしを見てと叫んでも、届かない。

 そんな現実が、ただただ、苦しかった。目をそらしたかった。蓋をして、なかったことにしてしまいたかった。

 その思いが、幼い頃の記憶を、このおみくじごと貯金箱に閉じ込めてしまっていたんだ。

 長日部君が、そっと背中に手を添えてくれる。その手のあたたかさに、お父さんの大きな腕と、優しい笑顔を思い出す。

「お父さん。ありがとう」

 からん、と鈴の音が聞こえた気がした。

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