4、両雄の咆哮

 葵と深海、二人の男の勝負はただ一手で決まる。


 襲い来る、触腕四本と深海の二本の腕、全てのタイミングが違う。

 そして、自らが狭めた回避の範囲が、葵の首を締めている。

 刃が目前まで迫る。だが葵は、微動だにしない。


「お前らが人形を選ぶってなら、俺がお前らを引き裂く!」


 四方から逃げ場を失くす。多くの節が自在に動き、避けられたとしても追うだろう。


 周囲の鉄球は円を描きながら嵐のように回転している。これだけの速度を伴っている鉄球が急な方向転換をするのは物理的に不可能だと、深海は思っていた。


「打て」


 だが、背後に、テンタクルの根元に、衝撃が走る。


「ホームランだ……!」


 後ろからの声、葵から目を離すわけにはいかない。

 深海と向かい合う葵には、深海の背後で紅潮した『したり顔』の詩音がバットで鉄球を打ったのが分かる。

 ここに来ての、斯くも鮮やかな騙し打ちマランドラージェン

 触腕の節に鉄球が挟まり、動きが緩やかになる。


「言ったろ、武器を抜いたら。お前は俺のだって」


 バキッ、バキッ、バキッ、バキッと、四回の音が重奏となる。

 蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。蹴る。地面を、その丈夫な触腕を、蹴り飛ばして、彼は天高く打ち上がり、空を飛び越える。夜が迫る空に瞬き始めた宵の明星にすら、手が届きそうなほどに。


 その足は高く掲げられ、宙を翻る。その目線の先には鉄球の暗幕を乗り越えて見える、ビルの屋上。


「ごちゃごちゃ言ってたやがったが……俺は、アリスを、夢芽を、諦めてねぇ!」


 ずっと離れたくなかった。死んだなんて嘘だと言いたかった。もう二度と繋がれない、繋げない自分の左手を、何度切り落とそうとしたことか。

 海を睨み、花を添えて、共に水底に沈もうとしても。

 それだけは反対の腕を手錠で繋ぐ共犯者が、それを許してくれなかった。


「だから、道を開けろ!」


 葵のオーバーヘッドで繰り出される、スレッジハンマーよりも重たい一撃。

 かつて見た画面の中のヒーローを真似て、ぶっ倒れるまで武道場で練習した半分の必殺技。


 脚が深海しんかいへ続く水面を叩き、波紋を浮かべる。この波濤の音が海底まで届くように。それを阻む一切の障害を粉砕する。

 防ぐ腕が軋む、踏ん張る膝が地面に付く、バキっと体内から何かが折れたような音が聞こえた気がする。腕が弾かれ、続くもう一本の脚が、なお耐えようとする身体を地面に叩きつけた。


 勝負の終わりを告げるように、土砂降りの雨のような音がなる。鉄球群が皆一様に静止し、バラバラと地面に落ちているのだ。

 そして、次第に雨は晴れる。


「安心しろ。もうアイツの手を離したりしない。そのために絶対に捕まえる」


 霞み揺れる視界の中で、決意を抱く大きな背中を見る。


 男は知っていた。糸に繋がれていた自分は所詮、疑似餌でしかないことを、それでも、繋がった糸は本物で横になったら、モノ言わぬ冷たい身体になっていたらと、壁に背を預け不安に怯えながら日が沈むのを待つ、あの小さな背中を守りたかった。

 外道と蔑まれようとも、残酷で苦しい選択を押し付けてでも、その機械仕掛けの命の動力を絶やしたくなかった。

 偽物の書面上だったとしても、アリスは、弟だったから。

 だからこそ、彼の背中を信じられる。自分では守れなかった、届かなかった弟の小さな腕を、引き上げてくれると。


「アリス……は、もう長くない……」


 無様にも地を這い、こんなことを託すことしかできない自分を、惨めに思いながらも、薄れゆく意識の中で深海は伝える。


「今回の暗殺任務……アリスは、組織との契約を……破った……心臓の……動力源の供給を止められている……」

「……っ!? おい、どういうことだそれ!?」


 今しがた自分で熨した深海の身体を起こし、次の言葉を催促する。


「揺らすな、葵! 意識を失われても困る」


 駆け寄る詩音が深海から葵を引き離し、器用に添木などして応急処置を行う。当然、しっかりと拘束はしている。


「痛みはあるだろうけど、我慢しなさい。その分、意識も持つでしょ」


 もはや戦う意思がないと判断し、二人は、深海の話を聞く。

 心なしか呼吸も整い、落ち着いて深海も話す。


「アイツの身体機械は、もし敵に捕まっても、口封じが出来るように、数日でエネルギーの残量が尽きるように設計されている」

「待てよ、アリスは国会議員のなんとかってのを狙撃したんだろ」

「ちゃんと殺しはしたさ。だが、任務は『暗殺』人知れず始末する予定だった。それをアリスは、お前たちを誘き寄せるためだけに、わざと人目の付く往来で撃った。それが、組織に対する裏切り行為と判断された」

 

 その物言いに、詩音が殴りかかろうとするのを、葵の腕が制止するが、吐き出される糾弾は止められない。


「何よそれ! そんなの全部アンタらの都合じゃない! 結局、あの子自身の命を人質にとって、犯罪を強要してたってことでしょ!」


 激怒する詩音の言い分は、まったくの正論だ。返す言葉もない。


「……なら、なんで、アリスの個人的な復讐にお前は付き合ってたんだ。もうお払い箱だったんだろ」

「それは……」


 葵に問われ、言い淀む。正直に話しても、信用がない。

 良くて鼻で笑われ、最悪、殺される。


「俺が、アイツの世話係だったから、最後まで責任を持って回収するためだ」


 ピクっと詩音の耳が反応する。


「葵」


 詩音が何かを伝えようとする前に、葵がしゃがみ込み……深海の肩を担ぎ上げる。


「上に連れてくぞ、コイツ」

「は?」


 深海の口から疑問符が漏れた。


「アタシは持たないわよ。重たそう」


 詩音も反対しない。というより、セリフを取られたと言った風だった。


「お前に頼む気はねぇよ。おら深海、自分の体重位自分で支えることくらい出きんだろ?」

「待て待てお前ら! 何を……?」

「ごちゃごちゃうるせぇな……抵抗しねぇなら、お巡りさんに従え」

「警察の尋問に嘘吐いてんじゃないわよ。御託並べるくらいなら、最初から素直に話なさい」


 詩音が先導し、アリスとユメがいるビルの中へ向おうとする。


「お前が言ったんだろ。最後まで責任を持つって? だったら、アイツらが決めた結末を、ちゃんと見届けろよ」


 重てぇ、と文句を言いながら、深海を引きずり葵もビルの中へ進む。


「礼は言わないからな」

「要らねぇし聞きたくもねぇ。黙って指示に従ってろ」

「また、いきなり攻撃されても困るからな、大人しく従いますよ、雨森刑事」

「いいから黙ってろ」


 憑き物が落ちたような顔で、彼はその肩に身を預ける。


「ちゃんと立てや……」


 目指す場所は最上階、サンシャイン水族館。

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