5、ブレイクスルー・デイブレイク

「え……え……?」


 ユメの理解が追いつかない。

 それはまるで鏡、古い写真のように、目の前に存在している。

 自分より髪が長く、耳にピアスを開けている。それ以外に違いは見つからない。


「ははっ、凄い凄い! 本当に動揺してる風に見えるよ!」


 まるで悪戯が成功した子供のように手を叩いて夢芽――アリスは笑う。


「違う……私が二人いるはずがない……!」

「本当に……そう思ってる?」


 アリスは自分の右手の手袋を外す。


「……っ!」


 顔と同じ血の気を感じさせない白い肌が露わになる。その薬指には、本来ユメについていた指環がついている。


「これ……覚えてる?」


 あの日、飛行機から投げ出されたあの日、紛失したはずの右腕。


「嘘、嘘! ありえない! だって見つからなかったって」

「……フフっ、良い反応してくれるね。まるで僕みたいだ……僕なら取り乱すし、信じない……」


 慈しむようにに笑い、その顔を見せろと虐げるかのように、ユメの顔を持ち上げる。


「私は! あんたじゃない!」


 その手を払いのける、その声に色が乗る。


「クソ生意気……じゃあ、これはどう?」


 アリスは、ユメと同じ顔で、ユメにない表情で、コートのジッパーを下ろす。

 隠れていた首元にはネックレスが掛かっている。そこにあるのは、彼から渡された海中に消えたはずの――針金細工の指輪だった。


「……これを、あおいから受け取ったのは、僕だ」

「それは……」


 世界に一つしかない、たった一つの、香澄夢芽の宝物。


「なんで、あおいに付けてもらったはずのこれが、左手を残したキミが持ってなかったか、覚えてる?」

「覚えてるわけない……! だって飛行機に乗ってからの記憶が」

「なんでないんだろうね?」

「え?」


 飛行機から落ちて、そのせいで脳にもダメージがあって、それで前後の記憶が……と必死にまとめるが、その記憶の探索は、気付きたくない事実を拾い上げていく。


「キミは、あおいとしおちゃんと出会う前のこと覚えてる?」

「やめて……」


 符合する。符合してしまう。


「キミは、夢の中で、何処から僕らの記憶を遡ってた?」

「やめて!」


 あるはずの幼少期、夢の中で整理していた記憶はどこか俯瞰した地点から……。


「キミが、落としたの本当に右腕だけ?」


 自分が夢で追っていた記憶が、自分の中にあると思っていた記憶が、酷く虚ろに見える。


「ねぇ『テセウスの船』って知ってる?」


 唐突にも思える問い掛け。


「有名な逆説パラドックスの一つだよ、テセウスという人物が持つ船があって。修復の為に交換していって、全部のパーツが入れ替わったとき……その船は、果たして『テセウスの船』と呼べるのか」

「……何が言いたいの?」


 分かっている。自分の口から言ってしまえば、決定的な何かが崩壊する。

 耳元で、アリスは呟く。


「僕はね、『香澄夢芽』の右腕と頭部なんだよ」

「……っ、わたしは……私は」

「解剖して、調べてみる?」


 『香澄夢芽』と名乗るユメは、左腕と心臓を含む胴体を。

 『深海愛里寿』になったアリスは、右腕と頭部を。


「十年前のあの日、『香澄夢芽僕ら』は死んでるんだ」

 

 一人の香澄夢芽から、物理的に、切り離された。


「政府の捜索隊に拾われたキミは、失った頭部と右腕を機械で補った。けど、記憶領域を失っている以上はただの人形だから、学校中のカメラを使って、香澄夢芽の記憶を再現した」

「違う、私が失ったのは右腕だけ」

「僕は非公式な組織に拾われて、脳を生かすために心臓や足、左腕を機械で補填された」

「そんなことない……」

「それを一番疑ってるのは、キミだろ?」


 自分はおそらく、野球をしようと言い出さないし、パルクールしようとか言い出さないし、花火を買いに行けないからと言って花火を作ろうとも、ましてや、バンドをやろうとなど言い出さない。


「キミは本当に『香澄夢芽』?」


 膝をつく。

 一度でも、自分の言葉で否定できたら、結果は変わっていただろうか。


 涙はこぼれない。そんな機能はユメには……香澄夢芽の肉体を機能させるためのユニット、『スパイダーネット』には搭載されていない。


「差し詰め」


 いつの間にか、空の暗闇を白んだ青が食い始めていた。



「――テセウスの夢芽だね」


 

 アリスは眩しそうに右の掌を空に掲げている。


「悲しい? まあ、けど……別に僕にとって、キミが夢芽であろうがなかろうか、そんなことはどうでもいいんだ」


 ユメに向き直り、彼女の肩を抱く。


「僕は、僕が受け取るはずだった、あおいの優しさを、しおちゃんの思いやりを、三人で過ごすはずだった時間を……その全部を奪った『お前』がどうしても許せないんだよ」

 『流星』と静かに呼ぶ。ゴンと、金属同士がぶつかる音。もはや懐かしさすら感じる衝撃が右腕に迸る。

 作られた右腕自分が砕ける。

 サンシャインの屋上、地上226.3mから、落下する。


 不思議と、

      当然と、何も感じない。

               落ちながら、存在しない右腕越しに空を見る。


「普段から、もっと慣らしておけばよかった」


 置き去りのプラネット、粉砕された右腕。

 ああ……もうすぐ、夜が明けてしまう


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