6、二人の囚人、二人の契約

 これは十年間の話。


「…………」

「………………」


 彼女がいなくなった教室は酷く静かだった。

 誰も野球をしようと言い出さないし、パルクールしようとか言い出さないし、花火を買いに行けないからと言って花火を作ろうとも、ましてや、バンドをやろうと言い出すことはない。

 ただただ、日々の授業が進み、示し合わせるでもなく、彼女が目覚めない病室へ二人の足が向く。

 ただ、沈黙が部屋中を圧迫する。

 ただ、いつか訪れる変化を求め、変わらぬ日々を送る。いつか訪れる光を求め、祈るように目を反らす。

 生気のない彼らの顔はさながら、囚人のようであった。


「………………」

「……………………」

「…………………………ねぇ」


 病院で、口火を切ったのは、詩音からだった。


「なに?」

「前に賭けをしたの、覚えてる?」

「賭け?」


 久々の会話ということもあってか、葵はピンと来ていない。


「去年、バンド始めたころの」 


 それを手助けするように詩音がそう言うと、はっとした葵は振るえながら詩音の両肩に手を置く。


「やめてくれ」


 続く言葉を想像してしまった。


「もし――」

「やめろって言ってんだろ!」


 掴んだ肩を強く握り、懇願する。叫んだ葵の顔は助けをこいねがっている様で、必死に垂らされているかもしれない蜘蛛の糸を手探っている様だった。


「次に何するのか……決定権はアタシたちにある」


 詩音は……いるはずもない蜘蛛を探すのは、もうやめていた。


「……縁起でもないこと言ってんじゃねぇよ。まだ、俺達が勝ったって」

「例え、ユメの目が覚めても! もう、昔と同じようにはいられない、アンタも分かってんでしょ、だってもうあの子は……この子に楽器は弾けないわ……」


 静かに眠るユメを見やる、彼女にあるべき右の腕、山ほど弦を抑えて何回も切った指先、その軌跡するも残すことを許されなかった。


「それでも……!」

「……元々、あの子が色んな事をやり始めたのは、アタシたちのためでしょ?」

「っ!」

「アタシたちに許されなかった普通の学校生活を、あの子は必死に考えて実現しようとしてくれた、部活ごっこだったかもしれない、放課後ごっこだったかもしれない! けど……アタシたちが諦めていた普通の日常を守ってくれていたのは、ごっこ遊びなんかじゃない!」


 掴まれた肩を振り払う。強い瞳には似合わない涙をにじませている。

 望んでも手に入らないと諦めていた『普通』を、出来ることをかき集めて作り上げてくれていた。そんなこと言われずとも分かっている。


「それを当たり前みたいに思って、甘えていたのはアタシたちじゃない!」

「分かってるよそんなことくらい……」

「だから、賭けの報酬。これはアタシたちでユメの日常を守る次やることを決める――」


 詩音は目尻を赤く腫らしながら小指を差し出す。


「契約よ」

「……」


 葵は無言で小指を結ぶ。


「裏切ったら殺すから」

「構わない、殺してくれても。これはそういう契約だから」

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