近代広告概論:5

 今週もまた週末の「近代広告概論」を受けていた。

 先週の予選、ユナイテッドES東京は見事勝利を収め、予選トップでの通過を果たした。残念ながら幸樹が試合に出ることはなかったが、予選トップでの本戦出場に素直に喜んだ。本戦では少しでも幸樹の出番があることを願う。

 早く講義を終えてクラブ棟に向かいたい。二週間前から進めていたジャパンリーグ用のポスター納品が今日までなのである。本戦が始まると各予選を勝ち抜いた十六チームのポスターが会場に並べられる。

 他チームとどう差別化するかが難しいところだが、「予選トップ通過!」という文字が入れられるのは、ひとつ評価ポイントだろう。

「さて、今日もね、広告炎上事例を紹介して終わりにしようかね。でも今日は二つクイズを出そう。まずひとつめは動画で見せよう」

 いつもは一問だけなのに今日は普段と違った。教授は大型モニタに動画を流した。

 その動画はだいぶ古い時代のものに感じた。平成のものだろうか。

 母親とその娘らしき子どもが軽快なリズムに乗せて踊っている。彼女たちは「作ってあげよう! タンメン、フォーユー!」と言い、画面の方に指を指した。すると美味しそうなタンメンがアップに映される。今度は、タンメンの置かれたテーブルの前で二人が自身を指さしながら「私、作る人」と言う。すると今度は男性――おそらく父親だろう――のショットに切り替わり、同じくタンメンを前に、彼女たちと同じように自身を指さしながら「僕、食べる人」と言った。最後に三人でタンメンを食べているシーンになり、「香り美味しいホーム食品タンメン醤油味」と商品名が映し出された。

「さて、何が炎上したか分かるかな?」

 シンキングタイムが始まり、幸樹は考え始めた。

 まず注目したのが母親と娘の踊りだ。腰を振りながら踊っている様子が性的目線で見られるという理由で炎上したのだろうか。しかしそこまで性的な踊りでもない。では「作ってあげよう」という半ば上から目線の発言が炎上したのではないか。それとも画面に向かって指を指した行為に対して、マナーが悪いと炎上したのだろうか。

 いやどれも違う。女性が「私、作る人」、男性が「僕、食べる人」と言ったこの台詞が炎上したのだ。おそらくこれは女性だけが料理をしているということが炎上理由だろう。

 一定期間のシンキングタイムが終わると教授は説明を始めた。

「これは1975年、昭和50年に放送されたホーム食品のテレビCMです。男女差別、ジェンダーにおいて日本で初めて炎上した広告事例と言われています」

 平成だと思っていたが、もっと古い昭和の事例だった。今からもう65年以上前である。

「料理は女性の仕事というような印象を与えかねないとし、性別役割分担の固定化に繋がるとして『アクションを起こす女たちの会』という団体から抗議を受け、テレビCM放送から二ヶ月で放送中止となりました」

 この当時はSNSというものは存在していないため、団体による抗議が週刊誌やテレビを通じて広まったようである。

 社会の反応としては冷ややかなもので、「いささか被害妄想が強すぎる」、「そのような目線では見てないし、このままでいい」と言う反応が概ねだったようだ。

 しかしホーム食品は検討を重ねた結果、テレビCMを中止した。

 日本において、セクシズム、つまり性差別をなくし、不当な扱いや不利益を解消し、男女両方に平等な権利であることを訴えるフェミニズムの活動や、ジェンダーに関する認識を広める契機になった事例なのだという。

「さて。今日はもうひとつ。これはどうだろう」

 教授が映したものは献血を促すポスターだった。これは高校の授業でも習ったことがあるものだった。このあたりの年代を境に、広告表現が変化していったと習った。

 今から二十数年前のものだ。そこには胸が強調されたナース姿のマンガ原作のアニメキャラクーである「篠崎ちゃん」が「献血したことないンスか? はい、注射しますヨ~」と言いながら注射器を持っていた。

 今の時代ももちろんマンガやアニメは盛んだし、そういった描写のものや、もっと露出の激しい物も普通にある。幸樹もよく読んでいるし、雨桐もこの前クラブ棟で読んでいた。

 クリエイティブ面では表現の自由だし、そこに悪意もない。

 ただ、「公共の場所」といった側面では、今の時代の価値観とは大きく異なっていた。

 今、公共の場所――つまり、パブリック空間でマンガやアニメのキャラクターが出ることは一切ないのだ。マンガやアニメといったコンテンツ自体が限られた場所でしか見ることが出来ない。

「当時、このポスターは『環境型セクハラだ』、『女性の身体を性的に見ている』と言われる一方、『表現を規制するのか』、『性的に見ようとしているからそう見えるだけだ。なんら問題ない』などと、様々な投稿がなされ『篠崎ちゃん論争』と言われました」

 教授によると、この広告を筆頭に、この時代にはジェンダー、フェミニズム、性差別といった面で様々な広告が炎上したそうだ。

 例えば、この広告の数年前には、「十七歳の海女あま」という設定の二次元キャラクターが岩手県久慈市の公認キャラクターとしてPR活動を行っていたが、キャラクター描写が性的で女性蔑視に当たり、海人あまに関して誤解を生むとして炎上し、最終的には公式キャラクーを外された。

 他にも、環境省が「温室効果ガスの削減」のPRに起用した二次元の女性キャラクターは、環境問題を若い女性に責任を押しつけた上、描かれたキャラクターも女性の性的消費であるとされ炎上。東京の鉄道会社が起用した女性二次元キャラクターは、頬を赤らめていたり、スカートに身体のラインが分かるような影が描かれていたりしたとして炎上。千葉県警が起用したご当地Vチューバーでは、女子高校生の制服姿にもかかわらず肌の露出が多いとして炎上。さらにNHKが科学番組に起用したバーチャルアイドルも肌の露出が多いことや男性の解説に対する聞き役に回ることから性的役割分担の固定化だと炎上。また、このような公共性の強い団体のPRだけでなく、マンガの新刊を新聞広告として出したものも炎上した。マンガの主人公が女子高生で制服姿なのだが、胸が大きく強調されており、それが性的消費だと炎上。さらに大阪駅でバニーガールや水着姿の女性キャラクターが描かれたゲーム広告出された際も、性的広告だと炎上。

 このように例を挙げると切りがない。

 教授はさらに説明を続けた。

 広告の炎上はなにも二次元キャラクターに限ったことではないらしく、三次元でも育児に奮闘する母親を描いたおむつメーカーの広告には「ワンオペの美化」、「性差別」と炎上し、母親が洗濯し、洗浄力をアピールした洗濯洗剤メーカーの広告が出れば、「女性の仕事強要」と炎上し、居酒屋で男女が飲みながら会話しているビールメーカーの広告が出れば「男性の理想」、「会話内容が卑猥だ」と炎上、お母さんが食堂を営んでいる商品パッケージを出したメーカーも「食事を作るのはお母さんだけじゃない」と炎上。

 さらに女性側の描き方だけが炎上するわけではなく、男性側も多数炎上している。例えば、一見裸に見えるような肌の色に近い下着のみを着てダンスを踊る人気男性アイドルグループの演出には性的搾取だと炎上。また、ある男性アイドルグループの公式グッズとして発売されたぬいぐるみの衣装を脱がすと、〝モノ〟が付いていたとして炎上。またある雑誌では男性アイドルが上半身裸で登場し、「環境セクハラ」だとか「気持ち悪い」と炎上。

 この時代、ジェンダー視点がない広告はすぐに炎上したそうだ。

 そして差別表現が生まれないようにと各自治体が広告物の制作物に当たってのガイドラインを作成した。

 それによると「目を引くためだけに『笑顔の女性』を登場させたり、体の一部を強調することは、意味がないばかりなく、『性の商品化』につながります」と注意喚起するものや、もう少し細かいガイドラインだと「描かれている広告の男女の数をバランスよくすること」、「女性は髪が長く、男性は背が高いといった表現上のイメージを固定せずに多様性を重視して描くこと」、「家族構成もさまざまなのでワンパターンではなく描くこと」などと事細かにルール化され始めたのもこの時代からだそうだ。

 この時代を境にパブリック空間での広告手法が大きく変わったのだった。

 幸樹が今作っているジャパンリーグ出場のポスターを見てもそう感じる。

「さて。今日はここまで」

 教授がそう言うと講堂が騒がしくなった。幸樹は講堂を出てクラブ棟に向かう。

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