第3話

「だいぶ時間が押してるわ。急いで支度するわよ」


 部屋を出た途端、マーリが放った言葉だ。そしてその言葉の通りに、目まぐるしい勢いで湯浴みをさせられ、黒い踊り子達によって香油を全身に塗られ、薄手の衣服を着させられ、ほんのりと化粧も施された。女性とはいえ他人に体中を触られ、好き勝手に着付けられ、恥ずかしくて堪らなかった。けれど、そのたびにサリム達を思いだして我慢した。


「準備は終わったようね。なんというか、意外とそれらしく見えるわ」


 マーリが驚いた様子で言う。だが、それらしく見えたところで意味があるのだろうか。


「マーリ様は、私に何をさせたいのですか?」


 やっと黒い踊り子達の手から解放され、ライラは聞きたくないけれど聞かなくてはならない質問をした。


「そうね、その話をしましょうか。ライラが協力的だったから説明の時間が取れたわ」


 マーリは椅子に座ると、向かい側に着席を促した。ライラは言われるがままに座る。


「まず、第七王子の状況を説明しておくわ。噂には聞いていると思うけれど、政争から離れていたおかげで時期王位が転がり込んできた人よ。つまり、他の王子達が血みどろの王位争いをしてお互いつぶし合っているときに王宮内にいなかった。だからね、王位を狙う気がないとされていた第七王子は王宮の権力者たちと繋がりがないの」


 変なしがらみがなくて良さそうなものだがと思う。しかし、マーリの口調からするとそう簡単な話ではなさそうだ。


「権力者と繋がりがないっていうのは、強力な後ろ盾がないのと同義よ。正当な血筋で生き残っている男子という理由だけで次期国王になる強運の持ち主だけど、その分、王子の真の味方はまだ少ないわ。みんな上辺だけ敬って、王子をどう傀儡にするか考えてる」


 傀儡って……王子にはそんなに味方が少ないのだろうか。


「第七王子は真っさらすぎるの。誰の色も付いてない分、逆にどの権力者にもチャンスがある。そんなときに父である現国王から、ハーレムを作れという命が下った。そりゃ権力者達は色めきだつわ。自分の娘が王子の妃になったら、一気に他の権力者を出し抜いて、王子と繋がりが持てるものね」

 そんな状況だからこそ、王子はハーレムに来なかったのだろう。シンもちらっとそんなようなことを言っていた気がする。


「けれどね、王子は困ったことにハーレムの女性達には無関心。心に決めた娘がいるといって、ハーレムには一度もちゃんと来てない。これは由々しき事態だわ。王子の心にその娘がいる限り、ハーレムにいる権力者の娘達は永遠に選ばれない。かといって、その娘を殺してしまったら王子が余計にへそを曲げてしまうかもしれない。それじゃあ困るのよ。その状況を打開するために、ライラ、あなたの出番なのよ」


 ライラはマーリを見つめた。この理論はバドラやアブーシが言っていたのと同じだ。ただ違うのは、バドラは権力云々ではなく、王家の純血を守りたいと言っていた事くらいか。


 だが、マーリも恋の秘薬のことを知っている? いやでも、下手に口を開いて自爆するようなことは出来ないなと慎重にかまえる。


「バドラ様達が、あなたに何を作らせようとしていたか知ってるわ。恋心を消せるなんて、ものすごくちょうど良い薬じゃない。素晴らしいわ」


 マーリが楽しそうに言った。ライラとしては逆にちっとも楽しくない。やはり秘薬のことが知られていたのかと悔しく思うのみだ。


「秘薬を作って、王子様に飲ませろということですか?」

「まぁ、結論から言えばそうね」


 バドラ達から逃げても、結局同じことを要求されている。そのことが無性に虚しい。

 サリムが言っていたとおりだ。この薬に関わると危険だと。この薬さえなければ村を追われることも、ましてや王家の問題に巻き込まれることもなかった。


「ライラ、あなたはこれから王子に会う。そこで秘薬を混ぜたお茶を飲ませなさい。それができたら、すぐ弟君に解毒剤を渡すわ。そして、王子のしつこい恋心がちゃんと消えて、ハーレムに来るようになったら彼らを村に帰してあげる。どうかしら、この条件」


 確かに何でもすると言った。そして弟達が助かるなら、自分はどうなったっていいと思っている。それは本当だ。


 ただ、王子に薬を飲ませるなんて、しかも、恋心を勝手に消すだなんて、ライラが命をかけて償ったところで償いきれない話だ。大それたことに手を染めようとしていることを、痛いほど理解していた。だから少しだけ悪あがきをする。


「マーリ様、肝心の秘薬なのですが、たぶん作れないと思います。自分の体力を糧にして作るので、体調が万全でないと無理なんです」

「そうなのね。確かに、ライラはまだ全快ってほどじゃないわね」


 マーリは慌てることもなく、ニコリと笑った。

 秘薬が作れないと言っているのに、どうして慌てないのだ。マーリが慌てないことに、ライラは慌てた。


「ま、マーリ様? 秘薬が作れないということは、その、王子様とお会いしても、飲ませることは不可能ということで……」

「ライラ、大丈夫なのよ。会えば分かるから。じゃあ、そろそろ行きましょうか。私の仕えている方を紹介するわ」


 マーリは悠然と微笑んでいる。なんで大丈夫と言えるのだろうか。意味が分からない。それでも、今はマーリに着いていくしかなかった。


 準備に使用していた部屋から移動し、見慣れた場所に戻ってきた。何もなかったかのように、ライラもマーリも手形を見せてハーレムへ入る。ちなみに、黒い踊り子達はいつの間にやら姿を消していたが、ハーレムに入るとしれっと女官の衣服になって戻ってきた。そして、どんどんとハーレムの奥へと進んでいく。もう分かった。あの方しか考えられない。ライラを騙していたのだ。最初からこの為にライラに近づいてきたに違いない。


「ここよ」


 マーリが立ち止まり、扉をノックする。


 やはりライラの思った通りだ。何度か尋ねたことのある部屋で間違いなかった。あと何回、信じられない思いをすればいいのだろうか。あと何回、騙されたのだと気付けばいいのだろうか。せめて、これが最期であって欲しいと強く願った。

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