第3話

 ライラはベルの部屋に来ていた。話があるから部屋に来るように言われていたのだ。先日の件の答えが出たのだろう。


「あれから自分で考えてみたの。もしその薬が本当なら……力を借りたいわ」

「分かりました。では用意――」


 ライラの言葉を遮り、ベルが再び話し出す。


「待って。でもね、私には気持ちを消す薬が本当に作れるなんて、簡単には信じられないの。だから、私の目の前で作って欲しい」


 ベルは表情を変えることなく、ライラを見つめている。


「それは……」


 半信半疑になるのは仕方ない。けれど、作る姿を見たいといわれたのは初めてだった。ただ、他の人がいても月の魔人はちゃんと呼びかけに応えて起きてくれるだろうか。やってみないと分からないなと思った。


「第三者がその場にいて、遺物の魔人がちゃんと力を貸してくれるかは、お約束できません。ですが、見ることで薬の効果を信用していただけるのであれば私は構いません」

「そう。ならば、私の目の前で作ってちょうだい」

「かしこまりました。では、いつがよろしいですか?」

「早いほうがいいわ。出来たら今日」


 そんなに切羽詰まっているのか。いや、決意したからにはきっと早くしたいのだろう。その気持ちは分かる。ライラとしては体調が万全な時に挑みたかったのだが仕方ない。


「でしたら、今夜、月が出たら私の部屋にお越し戴いてもよろしいでしょうか」

「わかった。よろしく頼むわ」


 ベルは少し安堵したかのように、息を吐き出した。




 そして、ベルの部屋を辞したライラは、ハーレムを出るため橋へ向かった。手形を門番に見せハーレムから出た。ライラは廊下をただひたすら歩く。すると中庭が見えてきた。ライラは体が怠いこともあり、中庭のテラスに置かれた椅子に座る。


 良い天気だった。建物の間から、心地よい太陽の光が降りそそいでくる。肌を撫でるように吹く風は、中庭にある泉にゆったりとした波紋を刻んだ。


「癒やされる……」


 ぽつりと呟く。すると、静けさを蹴破るように走る足音が聞こえた。


「ライラ!」


 声に振り向くと、シンが息を切らせて立っていた。今までに見たことないような、ごてごてとした服装をしている。普段は白いシャツに藍色のズボンといった質素な恰好なのに。


「シン様。その格好、どうなさったんですか」


 ライラが疑問を口にしたのに、シンは答えることなくライラの顔をのぞき込んだ。


「なんか疲れた顔してる。大丈夫か?」

「見てすぐ分かる位、疲れてるように見えます? 困ったな、やることがまだあるのに」


 ライラは思わず苦笑いした。


「そんな疲労困憊って顔しといて、まだ働く気か? そこまでしてやることって何だよ」

「……あれ、何だっけ?」


 ライラは必死で思い出そうとするが、何故かやることが思い出せない。


「ライラ? どうしたんだよ」

「いえ、ハーレムを出てするべき用事があったはずなんです。でも、ハーレムから出なきゃいけないことは確かなんですけど、それが何のためなのか……どうしちゃったんだろ」


 思い出せない。そういえば、朝も机の上の水差しのことを覚えていなかったし。


「ライラ……お前さ、昨日の夜、何があったか覚えてるか?」


 シンの声が震えていた。不思議に思って顔を上げると、シンは真っ青になっている。


「昨日の夜は、確か、誰かが部屋に来て……そうだ、イリシア様が尋ねていらっしゃいました。最近私が忙しそうなので、心配して見に来てくださったんです」


 ちゃんと覚えていた事にライラは嬉しくなる。疲れすぎて記憶喪失だなんて、笑えない冗談だ。


「……イリシアが、来ただけか?」


 シンは頭を抱えてしまった。


「そうですが……どうされたんですか。頭痛ですか?」

「あぁ……そうだな、頭が痛くてたまらないよ。なんなんだよ、せっかく、あそこまで元に戻したのに。またやり直しなんてふざけるなよ……くそぉ。俺のせいなのか? 俺が追い詰めたのか?」


 顔を上げたシンは泣きそうな顔をしていた。泣かないように必死で我慢していて、口がひん曲がっている。でも、その不細工な顔を見た途端、ライラの鼓動がはねた。

 シンの言ってる意味は分からない。けれど、シンが悲しんでいるのは分かる。すごくつらそうなのも分かる。ライラの体は自然と動いていた。


「……ライラ?」


 シンの驚いたような声が耳元で聞こえる。ライラはシンを抱きしめていた。ライラの方が背が低いので、縋り付いているような体勢だが。


「泣かないでください」


 シンに泣かれるのは嫌なのだ。

 ライラはシンの頭をゆっくりと撫でた。何故かこうしなければいけない気がしたから。

 すると、ライラの肩にシンが顔を埋めてくる。


「ライラのばか、あほ、おたんこなすぅ」


 シンの悪態は、子供の憎まれ口のようで思わず笑ってしまう。


「笑うな。俺は怒ってるんだからな!」


 全力で言われた。ちょっと笑っただけなのに怒りすぎではないだろうか。でも喧嘩別れするのは嫌だなと思った。次にシンと会えるのは、いつになるのか分からないのだから。


「どうしたら、許してくれるんですか?」

「このまま、俺のところに来てくれたら許す」


 シンがふくれっ面で言う。


「また子供みたいな駄々を。それは残念ながら無理です。私はもうハーレムの住人、第七王子のものですから」

「……ライラは、俺よりも、見たこともない王子の方がいいのか?」

「どちらがいいとか、そういう問題じゃありません。事実を言ったまでです」


 ライラはシンを抱きしめていた手を下ろす。すると、シンもライラから一歩離れた。


「あっそう。ライラの言い分は分かった。ライラがそう来るなら、俺にも考えがあるからな。覚悟しておけよ!」


 捨て台詞を残して去ろうとしたシンだったが、すぐに戻ってきた。


「へっ?」


 ライラから変な声が出てしまう。


「待って、もうちょっと堪能したい」


 そう言って、シンが抱き締めてきたからだ。シンの腕がライラの背中と腰に回り、ぎゅっと密着する。ライラの耳元にはシンの切なげな吐息がかかった。


 予想外のことにライラの頭の中は大混乱だ。自分からするのは良くても、シンからいきなり抱きしめられるのは何か困る。


 だって力強く引き寄せられて、自分が女なんだって思い出すから。懐かしい香りに、涙が出そうになるから。もっと、ぎゅっと抱きしめて欲しいって思ってしまうから。


 もっと? シンに抱きしめて欲しいの? どうして?


「シン! これ以上はダメ」


 渾身の力でシンを突き放した。


「ライラの顔、真っ赤だ」


 突き放されたというのに、シンはにやにやと笑っている。


「そ、そりゃ、いきなり抱きしめられたら、赤くもなるでしょ」

「そっか、うん、まぁいいや。その顔見れただけでも勇気出たから」


 シンは満足そうに微笑むと、今度こそ去って行った。


 残されたライラは呆然と立ちすくむ。そして、途方に暮れるのだった。

 シンは何をするつもりなのだろうか。そして、自分は何をしにハーレムから出てきたのだろうか。

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