第2話


 ライラは、ハーレムでの生活のあれこれをマーリから教えて貰い、薬師として過ごし始めた。といっても、怪我や病気の人がいなければライラにやることはない。常備薬や包帯、湿布用の布など、初日に点検してしまうと暇になってしまった。


「この焼き菓子、美味しいですね」


 ライラは暇すぎて、誘われるままにマーリの部屋でお茶をしていた。


「これね、実家からの差し入れなの……あぁ圧力を感じるわ。屋敷に引きこもって来たんだから、少しは役に立てと責められている気がする。甘いのに、苦くてたまらないわ」


 マーリが口元を押さえた。


「ええと、そこは素直にご実家の心遣いとして、美味しく召し上がればいいと思います」


 どうしたらここまで悪いように考えられるのだろうか。ある意味すごいと思ってしまう。


「ライラは優しいのね。こんな根暗でうじうじしてて何のとりえもなく何の得にもならない私なんかと、こんな風に接してくれるなんて。嬉しくて申し訳ないわ」

「全然、申し訳なく思う必要はありませんから。そこは『ありがとう』でお願いします。私もこうしてゆっくりとお話しできることが嬉しいんです」

「では、ありがとう。ふふ、改めて言うと照れるわ。でもね、実家の圧力は本当だから。この焼き菓子と一緒に手紙も届いたの。『第七王子は頭も切れる御方で、最近は政を少しずつ任されている。先日もキャラバンのルートの治安について、改善案を出して採用された。予想以上に聡明な王子だ。是非とも妃の座を射止めてほしい』と書いてあったわ」


 そんな手紙も付いて来たのか。手紙を送った側はたぶん激励のつもりなのだろうが、マーリの性格を考えたら確かに重荷に感じてしまうだろう。


「もう手紙の内容が私には重すぎて耐えられないわ。こんな無能な私に、そんな優秀な王子様の妃など務まるはずがないし、そもそも選ばれるわけもないし、実を言うと選ばれたくもないの。私は人目に付かない所で、静かにひっそりと隠れるように生きたいのよ」


 マーリは大きなため息をこぼした。


「そんなに思いつめなくても。今は美味しい焼き菓子を食べてるんですから、のんびりお茶しましょう。といいますか、逆に私はこんなにのんびりしていて良いのでしょうか」

「薬師としての仕事がないんだから、のんびりすれば良いと思うけれど」


 どうしてそんなことを聞くのかとでも思っていそうな顔をして、マーリが首を傾げた。


「でも、これじゃあ妃候補の皆様みたいな生活ですよ。私は女官なのに全然働いてない……。やっぱり何か仕事を貰ってきます」


 ライラとしては何もしてないのに食事が出て、部屋も掃除してもらって、洗濯もしてもらえるという毎日が居心地悪いのだ。


「バドラ様に怒られるんじゃない? 他の仕事をする女官がいるんだから、それを取るなって言ってたし」

「確かに、そうですが……」


 ライラは肩を落とす。自分に出来ることはないだろうか。そう考え始め、ハッと思いついた。他の仕事がダメなら薬師として出来ることを考えればいい。待っていてはダメだ。


「マーリ様は、何か健康面で困っていることはありませんか? ちょっと気になるなってくらいのことでいいんです」


 ライラは姿勢を正すと、マーリに質問した。


「えぇ、急に言われても特に気になることは……あ、本当にどんなことでもいいの?」


 突然の質問に、マーリは驚いて狼狽えている。


「はい、もちろん」

「じゃあ一つ。私ね、よく頭痛がするの。でもそんな酷くないし、体質だって思っていたから、仕方ないって思っていたのだけれど。こんなことでよかった?」

「そうです! そういう些細なことでいいんですよ。軽い頭痛とはいえ、頻繁になるのなら改善していくべきです。どのような時に起こりますか?」


 ライラは詳細を聞きだしていく。そして、若い娘によくある偏頭痛だと判断した。この場合に処方する薬は数種類思い浮かぶが、あまり効果の強いものはおすすめできない。速攻で痛みを抑えることが出来る分、胃腸に負担がかかるからだ。そこまで酷くないと言っているし、即効性はなくとも気分を穏やかにし、痛みを和らげるものが良いだろう。

 さっそくマーリのために薬を調合しようと、ハーレム内にある保管庫へと向かった。


「あ、あんた薬師だっけ?」


 気だるげな声に呼び止められた。


「はい、何かご用ですか」


 ライラが振り向くと、金色の髪をかき上げる美女がいた。胸が大きく、谷間が見える服装をしているので、いかがわしい雰囲気が満載だ。


「ちょっと、お酒飲み過ぎちゃってさぁ……二日酔いに効く薬とかない?」

「あるにはありますが……」


 この国では、未婚の女性が酒を飲むことは良くないとされている。だから、ライラは非常に驚いていた。ハーレムにいるということは、つまり、未婚の女性ということになる。


「あの、出歩いて大丈夫なのですか? お酒を飲んでいることは、まわりに知られないようにした方がいいのでは」

「平気よ、そんなの気にしなくても。バドラ様にさえ知られなければね。ていうかさ、もう飲まないとやってられないのよ。知ってる? ここ、王子様のハーレムなのに王子様って一度もここに来ないし、どうやら意中の相手がいるらしいの」


 絡み酒だろうか。ライラの肩に腕を回しくっついてくる。柔らかな胸がライラの腕に当たるほど密着してきた。


「そ、それは初めて聞きました」


 ライラはやんわりと美女を押し戻す。


「驚くでしょ? こっちはさ、家の威信を取り戻せぇって送り出されて来てんの。私としても妃の座を勝ち取って玉の輿だぁ、可愛い女官達にちやほやされて暮らすぞぉって気合い入れて来たのに……肝心の王子様が最初からハーレムに興味ないなんてぇ」


 女性がしくしくと泣き始めた。まだかなり酔っているようだ。


「あぁ泣かないでください。とにかくお部屋へ戻りましょう。どこですか?」


 女性の背を撫でつつ部屋へ向かう。そしてライラは唖然とした。一番奥の部屋だったのだ。つまりハーレムの中で一番高貴な身分の妃候補、恐らく大臣の娘とか、王族の血を引いているとか、そういう人だろう。


「二日酔いの薬を煎じてきますから、お部屋で休んでいてくださいね」

「うん……あんた名前は? 私はイリシアよ」


 イリシアが至近距離でじっと見つめてきた。その圧迫感に思わず腰が引けてしまう。


「申し遅れました。私はライラと申します」

「そう……ライラね。うん、まぁ普通ね。悪くはない」


 悪くはないとはどういうことだろうか。しかし、イリシアはじっとライラを見つめているばかりで、それ以上のことは言わなかった。


 イリシアの様子が気になったが、とりあえずは二日酔いの薬だ。ライラは部屋を辞すと、保管庫へと向かった。保管庫の中を見渡すと、まずはマーリに渡すべき薬が目に入る。だが、これは頭痛がするときに飲む常備薬なので急ぎではない。渡すのはイリシアの薬を煎じて飲ませた後で良いだろう。


「あ、原料が足りない」


 まさかハーレムで酒を飲む人がいるとは思っていなかったので、二日酔いの薬を作る原料が置いていなかったのだ。これは王宮の保管室まで取りに行かなければ薬は作れない。


 ライラの心がざわついた。ハーレムの外に出れるのだ。もしかしたらシンに会えるかもしれないと思った瞬間、自己嫌悪に陥った。仕事に私情を持ち込むだなんて恥ずかしいことだ。これはライラがハーレムに来て初めての仕事だしきちんと遂行したい。ライラの個人的な思いなど、間に挟んではいけないのだ。そう思うのに、運良くシンと出会ったり出来ないだろうかと身勝手に心が浮ついてしまう。


 この浮ついた想いが命取りになるかもしれないと、頭の片隅で冷静に思う。危ないよ、引きずられてるよと、警笛が鳴っている。けれど、だんだんと膨らんでくるこの気持ちを、押さえることが出来なかった。

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