第8話 願いの先④


 私が反応を示しても、話は次へと進まない。

 期待と緊張が入り混じったブラウンの瞳は、私を注視し続ける。

 私はといえば、曖昧な表情はそのままに、瞬きを数回してみせた。

 

 何もわかっていない事を装う私と、意志が込められた眼差しを向け続けるサーシャ。

 2つの視線が、静かに交わり合うこと数秒、


「……すみません」


 先に動きを見せたのは、サーシャだった。

 ついと視線を下げ、謝罪の言葉を口にしたサーシャは、額に八の字を寄せながら小さく笑う。


「記憶にない話をされても困りますよね。……すみません。この花と香りを前にすると、つい懐かしくなってしまって……。お花、水に挿す準備をしてきますね」


 そう言ったサーシャは、百合の花を自分の方に寄せ、素早くこの場から立ち去っていった。

 静かに閉められた扉。

 カチリという施錠音を確認した私は、「……ふぅ」と小さく息を漏らした。



 リリア様と由縁のあるものを見せ、それに纏わる話をしながら、私の反応を確認する。

 私が目覚めた翌日から1日に1度、サーシャはそのような行動をみせる。

 

 リリア様は、掛け替えのない大切な人。そんな情意が溢れ出ているサーシャ。

 初めは、リリア様への強い気持ち、あの頃の記憶喪失ではないリリア様に会いたいというような想いから、記憶を引き出すような試みをしてしまうのかと思っていたが、真意はそうではなかった。

 

 サーシャの行動には、きちんとした趣旨がある。

 思い出話や懐かしい物をきっかけに、記憶を取り戻させようとしながら、何か変わった反応を見せないか観ているのだ。

 それに気づいた私は、彼女が観察の目を向ける時は特に気を引き締め、心内を読み取らせないような対処をするようになった。

 なぜなら。

 その時の私の様子は、リリア様の様子を知りたい誰かに報告されてしまうからだ。

 

 記憶を取り戻せるように誘発しながら、私の様子を観察するという行為、それはサーシャの意志ではなく誰かの指示。

 彼女が私を注視する際は、油断してはならない。

 そう察知するに至ったのは、戦々恐々した様子を見せないサーシャと密に過ごしたことが大きい。


 リリア様(私)を世話するサーシャは、侍女として素晴らしい働きぶりを見せている。

 医師の指示を忠実に守り、私に負担がかかるような行為は決してしなかった。

 何かをする際は必ず私の意志を確認し、私の反応が曖昧だったものに関しては、それ以上踏み込まない。

 外出時は必ず、サーシャしか開ける事のできない特殊な鍵を使い、部屋を施錠。彼女以外の人間がこの部屋に入れないよう、注意を払っている。

 そして。

 眠り続けるリリア様を守り、安全な状態で居られるよう環境を整えた人物、リリア様の事を誰よりも気にかけているであろう彼の名も、医師の診察を受けて以降、一切口にしていない。


 

『無理はせず、リリア様のしたいように過ごしましょうね』

 

 細かな配慮をしながら、甲斐甲斐しく私の世話をしてくれるサーシャ。

 リリア様の気持ちを無視したくない。

 リリア様が大切だから。

 そのような気持ちが溢れ出ている、常に優しく穏やかな彼女の様子に、戸惑うことも多々あったが。

 私の侍女として働いていた時には決して見られなかった、気後れしていないサーシャを間近で見ていたからこそ、勘づくこともできたわけだ。

 1日1度の行動をする時だけ、使命を果たそうとする者の空気緊張感を出してくるという、彼女らしかぬ様子とその背景に。


 

 

「すみません。戻りました」


 先程部屋に訪室した時は違い、気まずそうな様子をみせるサーシャが、一輪挿しを持ってこちらにやってくる。

 彼女と目があった私が首を小さく横に振ると、サーシャは安堵の表情を浮かべた。


「百合の花も素敵ですけど、他の花も綺麗ですよね。色々な花があると彩りが生まれるといいますか。部屋が明るくなります。リリア様におすすめしたい花、この8ね……仕事の合間に、たくさん見つけたんですよ。リリア様の体調を見て紹介しますね!」


 暗雲が光と風で吹き飛ばされたかのように、様子が朗らかになったサーシャ。

 彼女は、百合の花が挿された縦長の小さな花瓶をベッドサイドに飾りながら、柔らかな口調で私に話かける。

 

 刺激を最小限にするよう医師から言われている者の記憶を刺激し、その反応を観察する事。

 それはサーシャにとって不本意な行動だという事も、私は気づいている。


 サーシャは、誰かの指示を遂行する時以外、私を観察するような動作は見せない。

 それは、記憶にない昔話を持ち出す行為や変に注視することが、リリア様にとって負担になる事だと理解しているからだろう。


 リリア様を大切に想う気持ち。

 それが、豊かな表情や柔らかな言動から嫌という程に伝わってくるサーシャ。

 リリア様への想いは、彼女の真意に気付かない方がおかしいくらいに真っ直ぐであり、側にいればよくわかるものだ。


 

 「……………………ふぅ」


 乱雑していた頭の中を整理し終えた私から、小さな息が漏れ出た。

 完璧な王太子妃として生きる中で身についた、洞察力。

 そのおかげもあってか、幸い現段階で問題となる事柄は生じていない。

 しかし。

 胸中はとても複雑で、なんとも言えない感情が定期的に湧き上がる。


 理由のわからぬそれを抱えるたびに熟考するが、なかなか答えが明確にならない。

 それは多分………………。



 …………いや、そんなことより、私には優先すべきことがある。

 やらねばならぬこと、それを考えねば。


 リリア様について。

 中身が入れ替わってしまった理由。

 本来の私を含め、王宮の現状。

 それらを詳しく、一刻も早く把握できるようにせば、いつ襤褸ぼろがでてしまうかわからない。

 

 避けることのできない、彼と対面する機会。

 それまでには、今後の身の処し方をはっきりさせなければ。

 偽物だと察知されること、窮地に陥る形になってしまうことは絶対に避けたい。

 

 周囲に対して留意しなくてはならないのは、言わずもがな。

 サーシャはもちろん、誰かに注視されている時は特に、気を引き締めなくてはならない。


 それから。

 自ら様子を伺いに来ていたはずの、サーシャに指示をしている者についても、



「昼食前に一度、眠られますか?疲れましたよね、すみません。ご飯を先にできなくて……」


 いつの間にかベッドサイドに居たサーシャが、私の背中にあった枕に手をかける。


 一輪挿しに必ず結ばれる、目を引くエメラルドブルーのリボン。

 今日もまた1つ増えたそれを目にしながら、顳顬こめかみに手を当てていた私を見て、身体の不調が出始めたと感じ取ったのだろう。


 その不調は、自分の行動に原因がある。

 そう思っている事が読み取れるサーシャに対し、私は、大丈夫(気にしないで)と首を振り、休みたいという意志を伝えるために頷いてみせる。

 するとサーシャは、縦向きだった枕を横にし、座る体制になっていた私の背中を支えながら、そっと私の体を横たえた。

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