怪盗コキア〜額の中の名画

カイ.智水

怪盗コキア〜額の中の名画

プロローグ

プロローグ

 深夜、僕は上司のはままつ刑事とともにビルの高層階で開催されている展覧会場にて待機していた。開催時間でもないのに、なぜかフロア内の明かりがついている。

 たった一枚の絵画を守るために、この展示場内だけでも三十名を超える警察関係者が配置されているのだ。


「おやっさん、来ますかね、怪盗コキア。これだけびっしりと隙間なく警護されている中に……」

 大人数がこのフロアに配置されていれば、いかな怪盗といえど盗み出すのは困難なはず。

 高層ビルだけに、窓の多くははめ殺しで、開けられるのは換気用のわずかな隙間だけだった。とても人ひとりが通り抜けられるほど広くはない。

 まだ三十前の若手である僕、駿河するがとものりはやや不安を覚えていた。


「“とんぶり野郎”のことだ。予告状を出したからには必ず盗みに来る。これまですべて成功しているのだから、今日来ないなんて考えられんな」

 上司である浜松刑事は確信を持っているようだ。

 確かに予告状を出した事件はすべて窃取に成功している。だが今回は不可能とは言わないが、盗むのがきわめて難しいことは確実だ。


「その“とんぶり野郎”ってやめませんか? 広報だって正式に“怪盗コキア”として報道関係に説明しているんだし」

 浜松刑事は決意を固めたような表情を変えずに切り返した。


「いつも現場にとんぶりを残していくやつだ。“とんぶり野郎”と呼んでなにが悪い」

「あれはとんぶりじゃなくて、紅葉したホウキギの枝ですよ。まあホウキギは別名“コキア”っていうらしいんですけどね。だから広報も“コキア”のコードネームで呼んでいるんじゃないですか」

 浜松からじろりとにらまれた。


「お前、まだ憶えられんのか? ホウキギの実はとんぶりだと何度言ったらわかるんだ。それに……」

 またいつもの小言が始まった。まあいつも怪盗コキアに出し抜かれているんだから、小言でも口にしないとやっていられないのだが。

「紅葉した、じゃない。あれは濃い赤色、つまり深緋こきあけの色だ。コキアにかけているんだろうな」

 さすが情報収集能力に長けた先輩刑事である。


「あれを深緋こきあけと呼んでいるのは、例の写真週刊誌だけですよね? ネーミングを引っかけたほうが雑誌が売れるからって理由で。ああいうの、ダブル・ミーニングって言うんでしたっけ?」

「俺は横文字なぞわからん。だから“とんぶり野郎”は“とんぶり野郎”だ。怪盗コキアなどというカッコつけた呼び方は好きじゃない」


「好き嫌いの問題じゃありませんよ。現実にやつは“深緋のコキア”を置いてきたんですか……ら……」


 なんとなく窓の外を眺めていたら、遠くからハンググライダーが近づいてきているのを発見した。



「お、おやっさん! あ、あれを見てください!」

 浜松刑事は駿河の指した方向に視線を走らせていく。

 “深緋”の迷彩服を着た人物がハンググライダーに乗ってゆっくりと迫ってくる。

「ビル風が強いだろうに、よくもまあ巧みにハンググライダーを操れるもんだ。なんてバランス感覚をしていやがる」

「あれ、怪盗コキアですよね?」

 振り向くと、浜松はにやりと笑みをこぼしていた。

「予告時間もまもなくだし、あんな地味な色の迷彩服なんて着ているのはやつしかおるまい。“とんぶり野郎”だ」


 しかし窓のほとんどがはめ殺しであり、ビル内に侵入するのはとてもできそうにない。となれば屋上に着陸して階段でここまでやってくる公算が高い。


「屋上の警官に指示を出します」

 警備に当たる警察官から携帯無線機を借りた。

「こちら展示室の駿河だ。怪盗コキアが西の方角からハンググライダーでやってきた。屋上で降りて侵入してくる可能性が高い。屋上の警察官は警戒を怠るな!」


 指示を出し終えると、悠然と近づく怪盗コキアを見守った。

 あそこから屋上へひとっ飛び、屋上から侵入しようとするだろうが、警備は万全だ。

 もう少しでやつの顔が拝める距離まで近寄ってくる。


 ピシッとなにかが音を立てた。


 なんの音だろうか。

 するとさらにピシッと大きな音がする。


 その音が連鎖するようになってようやく気がついた。

 展示室の窓にひびが入っていた。みるみるうちに窓ガラスのひび割れが大音量になっていく。


「おやっさん、これやばいっすよ。怪盗コキアのやつ、窓ガラスを壊して侵入する気だ!」

「落ち着け、ターゲットの警備さえ完璧にしていれば、どこから来ようと盗まれることはない!」


 浜松刑事がこの場で最も冷静に状況を判断しているようだ。確かにターゲットの絵画さえ押さえておけば、盗まれるはずがない。しかし──。

「ここは高層階です! もし窓ガラスが割れたら破片が落下します! 下の歩行者が危険ですし、僕たちだって外に吸い出されかねません!」

 窓ガラスにクモの巣状のひび割れが出来た。と思った途端にフロアの照明が一斉に消えた。



「やつが来るぞ! 絵の前を固めろ!」

 窓ガラスがすべて割れるほどのパリーンという大きな音が鳴った。


 そこから何秒経っただろうか。

 まったく音がしない。


 怪盗だけに足音も立てないのかもしれないが、奇妙な空白が続いている。

 まもなくフロアの照明が点灯した。



 すると──。


「な、ない! 絵がありません! おやっさん!」

 窓ガラスが破られるまでは確かに壁にかかっていたはずの絵が姿を消していた。額装に仕掛けられた警報装置も作動していない。

「そんなバカな!」

 浜松刑事も振り向いて絵のかかっていた場所を確認している。

「あ、ありえん……」


 窓から侵入した怪盗コキアが、絵を盗み出して窓から去っていったのだろうか。

 そうだ、ガラス窓はどうなっている。


 やつが侵入してきた窓を見てみると──。



「そ、そんなバカな! 窓が割れていない!」

「なんだと!」

 浜松刑事もガラス窓を見やるが、割れてもいないし、ひび割れすらしていなかった。

「こんなことって……」

 ありえない。


 まんまと絵はやつに盗まれてしまったのに、破られたはずのガラス窓が完全に修復している。


 そういえば怪盗コキアはどこへ行った?

 ガラス窓から入ってきたとしたら、やはり窓から逃走しているのかもしれない。


 窓から外を眺めると、果たしてやつがいた。

 ハンググライダーからなにかを吊り下げているのが見て取れた。



「か、怪盗コキアが……、怪盗コキアが絵を持って、飛び去っていきます!」


 僕の声に浜松刑事がやつの姿を確認すると、そばにいる警察官の無線機を引ったくった。


「ターゲットはやつに奪われた! やつはビルから西に飛んでいった。付近の警察官はやつを追跡しろ! こちらもすぐに後を追う!」


 絵がかけてあった壁の下に、駿河はあるものを発見した。


「お、おやっさん……。あれを見てください……」


 そこに落ちていたのは。

「深緋のホウキギ……。やつに……やつにしてやられたわ!」



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