2章ー11 ただのギプソフィラ

私はハリー様の胸で涙が止まるまで泣き続けた。

ハリー様はその間ずっと私の頭を撫でたり、背中を撫でたりしてくれた。


私の涙が止まりハリー様の胸を押し顔を上げた時には窓の外は茜色に染まり、夜に近づいて来ていた。

ハリー様が私の顔に手を伸ばし、頬に残る涙の跡を拭ってくれる。

私がその胸で泣いていたせいでハリー様の胸はびしょびしょになっていた。

「ハリー様、ごめんなさい。お洋服が濡れてしまいました」

私が謝るとハリー様は顔を横に振った。

「大丈夫だよ。私の洋服のことは気にしなくていい。それよりも、『父』と」

そこで言葉が途切れた。ハリー様の顔がみるみる赤く染まって行く。

「『父』とは呼んでもらえないだろうか?」

私は真っ赤になったハリー様の顔を見て、可愛いと思う。

可愛いと思うが、ハリー様を「父」と呼ぶことに大きな抵抗を感じる。

きっとハリー様は私に「父」と呼ばれたいのだろう。

呼んでもいいが、私はやはり王族にはなりたくないと思っている。

正式な子供でもない、禁忌を犯して産まれた私がハリー様のことを「父」と呼ぶのはとても危ういことだ。

両親だと思っていた人を天に召され、突然に現れた血の繋がりのある父親。しかも、とても高貴な方。

「父さん」とは呼べない。「父さん」はゲオルグだ。

「父上」?何か変だ。

「お父様」?もし呼ぶならばこれだろう。

思考がぐるぐるとする。

考え事をして返事を返さない私にハリー様の赤い頬も引いて、今は一心に私を見ている。

ザックがその横で私たちを見守っている。

私は小さく呼んでみる。

「お父様?」

ハリー様には充分聞こえたようで、彼は一瞬天を仰ぎ、私を力強く抱きしめる。

その力が強すぎて潰れるんじゃないかと思った。

「ハリー様!痛いです」

私が慌てて痛みを訴えるとハリー様は慌てて腕の力を緩める。

「ハリー様はなしにしよう。もう一度呼んでくれるかい?ギプソフィラ」

「お父様」

私は今度はしっかりとハリー様に向かって声を掛ける。

ハリー様は私を抱きしめる腕に力を入れないように注意しながら天を仰いで目を閉じた。


喜びに浸っているハリー様を見て私も嬉しくなる。

しかし、私はハリー様に伝えなければならない。

「ごめんなさい。私はあなた様の子供だと自分でもよく分かります。ただ、王族のあなたの子になるのはやっぱり違う気がするんです。今この時だけ『お父様』とお呼びしますが、この部屋を出たら今まで通り『ハリー様』と呼ばせて頂きたいと思っています」

私の言葉を聞いていたハリー様は落胆の顔になる。

表情がコロコロと変わる血の繋がった王子の父に私は親しみを感じながらもう一度彼の望む言葉で彼を呼ぶ。

「お父様、貴方は王子様なのですよね?この国の」

ハリー様は頷いた。

「あなたの子供になるということは姫としての役割が出てくるということでしょう?私に姫としての役割が出来るとは思えないですし、将来は冒険者になりたいと思っています。だから、お父様の娘になると冒険者になることは難しいのではないですか?」

私が将来について話をすると彼らは目を見開いた。

ザックの方が先に声を発した。

「フィラ、君は本気で冒険者になるつもりだったのか?剣士になりたいと言っていたが、あれも本気?」

私はザックの言葉に愕然とする。

私の言葉はザックに届いていなかったと言うことだ。

冒険者をして行くにしろ、立居振る舞いを習っていて損はないと彼は言ったが、あれは冒険者になるという私の言葉は子供の戯言だと思って適当にあしらっていたと言うことか。

ザックの言葉を受けてハリー様も声を上げる。

「ギプソフィラ、君は剣士になりたいのか!確かに私はこの国で1番の剣の使い手だ。その事を君は知っているかい?」

「お父様はこの国一の剣士なのですか?お父様に剣の稽古をつけてもらいたいです」

私はハリー様の方を向いて笑顔で返す。そして、ザックの方を向いて睨みつけた。

「ザックは私の言葉を信じてくれていなかったのですね。私は冒険者になります!」

ザックは頭を掻きながら言い訳を始めた。

「いや、この邸で数日過ごせば貴族でいたいと思うかと思ったんだ。もしかしたら王族になってもいいかと心変わりするかと、、、」

「王族に?」

私の声はさっきよりも大きくなる。

「つまりザックは最初から私を自分の子にするつもりなんてなかったと言うことですね」

ザックは珍しく両手で頭をグルグルとかき混ぜた。

「いや、あのなフィラ。君は王族の血を引く姫だ。私が自分の意思でどうこう出来るものではないと思っている。ハリーと王家に行くのが最善だとは言わないが、、、この家にいるよりは良いのではないかとも思うわけだ。あー!」

雄叫びを上げながら黒い髪をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。

「すまない、ギプソフィラ。君の言葉を真摯に受け止めてなかった。それに、なんだか少し騙してしまっていた。君を不快にしてしまった私の言動に対して謝るよ。すまない」

私はザックをジッとみた。

まぁ、6、7歳の子供の話を真剣に聞いてくれる大人なんてそんなにいないのだろう。ザックは私に謝罪してくれた。それで良いことにする。

ただ、今後もこんなことがあっては堪らない。

「ザック、今回はもういいです。でも、これからはちゃんと私の言葉を真剣に聞いて下さいね。子供だからっていい加減なことしないで下さい」

私の言葉にハリー様がくい気味に言葉を続けた。

「昔からザックは子供の話を聞かないんだ。私も真剣に聞いてもらえるようになったのは16歳の成人を迎えてからだ。だから、ギプソフィラ、君だけじゃない。この男はそういう人間なんだ。気にしなくていい」

あまり私にとって慰めにはなっていないのだけど、ハリー様は一所懸命に慰めようとしてくれる。

なんとなく、ザックに悪気があったわけではないことも分かった。ザックが私だけを蔑ろにしてるわけでもないこと。多分、ザックの中に子供って周りに流されてコロコロ心変わりするものという固定概念みたいなものがあるのかもしれない。

私は大人2人を見据えて、本題に入る。

「私、ここで教育を受けて、姓を持たずに平民のままでいたいです」

私の言葉に2人は再び目を剥いた。

「ギプソフィラ!」

2人の声が重なる。

「君は今までフローラルティア様に守られていたから平民でも安全に暮らせていた。だけど、今からそれは難しい。フローラルティア様ほどの魔法の使い手はいないし、何よりこの国で君は目立ちすぎる。ハリーの子供だと言って歩いてるようなものだ。そんな君を平民のままにしておくことは出来ない」

ザックが慌てたように私の方を掴んで力説すれば、ハリー様が困惑顔でゆっくりと話始める。

「ギプソフィラ、先程『お父様』と呼んでくれたではないか。私は君と家族になりたい。同じ邸で暮らしたいと思う。それは難しいことなのかい?」

私は私の意見を述べる。

「私は冒険者になりたい。これは育ててくれた父との約束です。父は私に剣の才能があると言ってくれました。その才能を伸ばして魔物を倒したい。そのためには剣だけではなくて、魔法も知識も必要です。この邸にいる限り立居振る舞いを含めて貴族のように振る舞うことが必要だとザックに言われ、そうしてきました。でも、後9年、成人したらこの邸を出て冒険者になるつもりでした。貴族であっても冒険者になれると聞いてザックがうちの子にと言っていたので、ザックのうちの子になってもいいかなと思っていましたが、、、ザックは私の存在を王族に知らせてしまいました。王家の一員になっても冒険者にはなれるのかもしれませんが、王家に一旦入ってまた王家を出るのは違う気がして、、、」

私が自分自身の望みを口にしている時、ハリー様は腕を組み目を閉じ何やら考え事をしているようだった。

私の言葉が途切れたのを見計らって彼が一つの提案をしてくれる。

「ギプソフィラ、君、勇者を名乗らないかい?」

「え?」

「勇者ギプソフィラとして王城に住むのはどうだろうか?」

「勇者になるには勇者になることを宣言して王城にある石に血を垂らしてその石が光ったら勇者と認められると聞きましたが、、、石が光らなければどうされるおつもりですか?」

ザックが種明かしをしてくれる。

「王家の血を持つ者で今まで光らなかった者はいないんだ」

なるほど。

「勇者を保護するのも国の役割の一つなんだ。だから、勇者と認められてもまだ力がない子供勇者は国が責任をもって教育することになっている。だから、君はただのギプソフィラのまま王城で暮らせるんだ。勿論、勇者は冒険者のように冒険して魔物を倒す役割があるから、冒険者にもなれる。パーティーも勇者と認められた者たちで編成されるから、普通の冒険者より安全だと思うんだ」

ハリー様は話しながらだんだんと声が弾んでくる。

一緒に暮らせてしかも娘の望みも叶えられるいい提案だと思っているのがまるわかりだった。

私も勇者になることにそれほど抵抗がない。お姫様よりずっといい。

「ザックはどう思いますか?」

「勇者は危険を伴う。普通の冒険者よりも危険度の高い魔物退治に行かされる。ただ、パーティーメンバーが勇者認定されたものであるのは心強い。・・・教育はしっかりしてくれるだろうから、、、まぁ、悪い話ではないと思う」

ザックは私を不思議そうに見た。

「それにしても何故家名を欲しがらないんだ?血の絆を表す家名は大事なものだ」

私はザックの問いにため息をついた。

「ザック、人の価値観はそれぞれです。もともと貴族として育っていませんから、家名にそれほど興味がありませんし、どちらかと言うと家名が自由を阻む枷のようにも感じます。私は血のつながらない父を本当の父と慕っていましたし、天に召された彼を他人だとは思えません。彼の意志も私の意志として受け継がれました。血の繋がりが濃いことはハリー様に出会って痛感しましたが、、、それでも、父さんのことは大切で、、、」

そこまで言って私は言葉が出なくなる。

胸のあたりにある父さんの魔石を服の上から握りしめた。

ハリー様が私の握りしめた手を見て、私にそっと母さんの魔石を返してくる。

「これは君が持っておくべきものだね。ありがとう見せてくれて」

私はそっとその緑の魔石を受け取った。

母さん、私の選択は間違ってないですか?

もの言わぬ魔石に心の中で語り掛けた。

勿論返事はない。


トントン。

ドアがノックされる音が聞こえた。

その音が優しくて、なんとなく母さんが間違ってないよと言ってくれてるように感じた。

ザックが「入れ」と促すとリリーが顔を出した。

「もうそろそろ夕食をお召し上がりになるのはどうでしょうか?」

リリーの顔を見てホッとしている自分がいた。

「そうだな、夕食にしよう」

一旦そこで言葉を区切り、私とハリー様を見て続けた。

「この話の続きは明日にしよう。今日は夕食を食べたらギプソフィラはもう寝なさい」

私は小さな声で「はい」と返事をした。

リリーが私を心配そうに見ている。

私はリリーに心配しないでというつもりでニコリと微笑んだ。

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