2章ー9 赤い髪の客人

両親が天に召されてから2ヶ月がたった。

外は白銀の世界が広がり、この地が両親と暮らしていた町よりも寒い場所にある事を伝えてくれている。


私は7歳になった。

背も少しだけ伸びた様に思う。

相変わらず、立居振る舞いと教養の勉強を続けている。

アイザックが2ヶ月の間に2度邸に帰ってきた。

その度に剣と魔法の教師をつけて欲しいとお願いしているが、ザックは曖昧に笑うだけだ。

私に強くなられては困ることでもあるのだろうか?

私は将来冒険者になるつもりだ。

今から剣と魔法の修行をして、父さんのように魔級レベルの魔物は瞬殺できるようになりたいと思っている。


今日はザックが王都から帰ってくる日だ。

ザックにもう一度お願いしてみよう。


朝食を済ませ、いつもの様にリリーに淑女の立居振る舞いを学ぶ。

「カーテシーはゆっくりと行います。ギプソフィラ様、今のカーテシーでは早すぎます。もっともっとゆっくりです」

私は両手でワンピースの裾を少しつまみ上げ背筋を伸ばしたまま左の足を後ろに引きゆっくりと腰を下ろしていく。20センチほど沈んだところで停止し、「初めましてギプソフィラと申します」と笑顔で挨拶を行いゆっくりと体を元の位置に戻していく。

体が真っ直ぐになったところでリリーに視線をやる。

「ギプソフィラ様、先程のカーテシーは宜しゅうございました」

リリーがニコリと微笑んで褒めてくれる。

私はホッとした。

「ギプソフィラ様は毎日剣の鍛錬も欠かさず行っておいでですし、筋力もおありですから、カーテシーの覚えもお早いですね。それではこのカーテシーをまずは10回繰り返しましょう」

リリーは時に笑顔で鬼教師になる。 

要はゆっくりとしたスクワットを10回すると言うことだ。

笑顔付きで10回。

かなりキツイ訓練だ。

しかも、リリーは「まずは10回」と言った。

こういう時は大抵50回はさせられる。

私ははぁとため息をつきながら頷いた。

私のカーテシーの特訓が静かに始まったところで、部屋の外がバタバタと忙しそうだ。

ザックが帰って来るとはいえ、過去2回これほどバタバタと使用人達が動き回っていたことはない。

私は4回目のカーテシーが終わった後、少し休憩も兼ねてリリーに何か知らないか尋ねた。

「今日はやけにバタバタと皆忙しそうですね。ザックが帰ってくること以外に何かあるのでしょうか?」

「旦那様がお客様を連れて帰ってこられるそうです。しかも昨日早馬で知らせが来て、パルマ様とオットー様が大慌てでした。今訓練中のカーテシーも今日の午後には使うことになりますよ」

あぁ、だから今カーテシーの訓練を行っているのか。

「やはり何事も実践が大事ですからね。あまりこのお邸にお客様などお見えになりませんが、旦那様もギプソフィラ様の社交会デビューに向けて動かれているのかもしれませんね」

ニコニコと嬉しそうなリリー。

「リリーは何がそんなに楽しいのですか?」

「ギプソフィラ様を多くの人に知ってもらいたいと最近思うようになって参りまして、、、王都の貴族社会は面倒な事が多いですが、ギプソフィラ様が社交会デビューされたら多くの方々から支持されるのだろうと思うとなんだか嬉しくなってしまいまして。『私のギプソフィラ様、素敵でしょ!』と自慢したい気分といいますか、、、」

リリーは私をチラッと見て顔を赤くして俯いた。

「申し訳ありません。ギプソフィラ様が許して下さるものですから『私のギプソフィラ様』などと」

私はリリーのそばにより、リリーを下から除き込む。

リリー顔は少し赤みを帯びている。

少し背伸びをして手を伸ばす。

リリーの頬に手を当ててニッコリと笑った。

「リリー、大丈夫です。謝らないで下さい。間違っていないですよ。だってあなたは私の専属メイドですもの。だから、『あなたのギプソフィラ』で間違ってないでしょう?だから顔を上げてリリー」

リリーは顔を上げて蕩けそうな顔をした。

「リリーはずっとギプソフィラ様の専属メイドをさせて頂きますね。この役は誰にも譲りません」


私のカーテシーの訓練は昼食まで続いた。

昼食の後、いよいよザックが帰ってくると早馬が来る。

いつもは早馬よりもザックの方が早いから先に知らせがあることの方が少ない。

お客様を連れてゆっくりと帰ってきていることが分かる。

パルマとオットーに促され、玄関ホールの一番前でザックとお客様の帰りを待つ。

玄関の扉がゆっくりと開き、ザックのにこやかな顔が見えた。

隣には真っ赤な髪の綺麗な顔をした男性が立っていた。ザックの頭が彼の赤い瞳の位置にあった。

その顔を見た瞬間、私は気付いてしまった。

この人が母さんの好きな人だ。

母さんと雰囲気が似ていた。

ザックが「ただいま」と私達に向かって声をかける。

私は練習したカーテシーを披露する。

「おかえりなさい。ザック」

「フィラ、綺麗なカーテシーができるようになったんだな」

笑顔でザックに褒められる。

ザックは隣の男性の肩を抱き、私に紹介してくれる。

「この男は私の友人のハリーだ。こっちはギプソフィラだ」

私は、ハリーと紹介された男性の前に立ち真っ直ぐに赤い瞳を見つめた。

彼も真っ直ぐに私の瞳を見つめ返す。

時間にして1秒、ほんの短い時間だった。

「初めまして、ギプソフィラです」

カーテシーを行いながら短い挨拶を交わす。

「綺麗な瞳ですね」

笑顔で私の瞳を見つめて彼は声を発した。

私は彼の視線が私にあるけれど、見ているのは私ではないことに気づく。

笑顔で返す。

「まぁ、ありがとうございます。瞳の色は母に似たんです」

彼は一瞬動きを止めたけれど、すぐに何事もなかったように振る舞う。

多分動きが止まったことに気づいたのは私とザックだけだと思う。私は人の動きをしっかりと観察する癖がついているし雰囲気を感じ取れる。

ザックは彼の隣にいた。しかも友人だと紹介してくれた。この小さな変化にも気づくだろう。

「そうですか、母上も美しい瞳をされていたんでしょうね」

彼は真顔で私の「母」という発言に返事を返した。


私がハリーとの対峙に一所懸命になっていた頃、何故かメイドや執事達の雰囲気が異様なものになっていた。

パルマの後ろにいたメイドの小さな呟きが小さな声のはずなのにはっきりと耳に届いた。

「ギプソフィラ様の髪色が殿下と全く同じ」

赤い色の髪の人は珍しくないはずなのに、彼女は驚きに満ちた顔と声で呟いたのだ。しかも、「ハリー様」ではなく「殿下」と言った。わざわざザックがハリーと紹介したにも関わらず、殿下と呼ぶ辺り、度を越して驚いたのだろう。そして、この言葉は、この場にいる全ての使用人の心の声を代弁していたかもしれない。

私たちの挨拶が終わりサロンでお茶をするようにザックが声をかけるまで誰も動かなかった。


私はザックとハリーの後ろを歩きながら、後ろを振り返りリリーに目配せをする。

リリーが私のすぐ後ろに来てくれた。

小声で疑問を口にする。

「ハリー様の髪色と同じなのは珍しいことなの?」

「はい。あの方はこの国の王子殿下であらせられます。ご友人として来られる際はこちらも王族として扱いませんが、、、ハリー様は皇后様との間にお生まれになった王子です。彼の髪色は王族の髪色であり、同じ赤い髪は貴族にも平民にもあり得ません。あの髪色とそっくり同じ髪色は王族である証なのです。同じような色だとは皆感じてはいましたが、これほどまでとは、、、、ギプソフィラ様、、、、これ以上は私の口から言えません」

リリーは私を不安そうに見た。

「リリーは私が何者でも私専属でいてくれる?」

「もちろんです。私はギプソフィラ様のメイドですから。しかし、私で良いのでしょうか?」

私はもう一度リリーを振り返る。

「リリーがいい」

ニコリと笑いかけるといつものリリーの笑顔になる。

私はザックがなんのために彼を連れてきたのか推測してみる。

何も想像できない。それでも、私にとって良いことではないような気がして不安が胸を締め付ける。

ザックは私を悪いように扱ったりはしないだろうけれど、ザックの優先順位は王族で王様だ。

私も王族だから大事にすると言っていたし、王族には渡さないと言っていたのに、彼を連れてきた。

何を考えているのかさっぱり分からない。

二人がサロンに消えていく。

私もサロンに入らなければならない。

私は一旦サロンの前に立ち止まり、周りに気づかれないように深呼吸をする。

どんな話が来てもいいように覚悟を持ってサロンの扉を潜った。

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