4 王女殿下からの依頼


 猟遊会とは、王都にほど近い王領地の森に多くの貴族達が集い、腕に覚えのある貴族や騎士達が鹿や猪、狐などを狩るのを見物する王家主催の催しだ。


 狩りに興じる男達をよそに、貴婦人や令嬢達はあざやかに紅葉した木々の下に張られた天幕でお茶やお菓子を楽しみながら、騎士達の勇猛さに称賛を贈り、噂話に花を咲かせる。


 活発な令嬢達の中には乗馬して森の中を散策する者もおり、セレシェーヌも女王陛下や王配殿下と同じように、鞍上あんじょうから騎士達の勇姿を観覧していた。


 騒ぎが起こったのは、そろそろ猟友会もお開きになろうかという頃だった。


 突然、茂みから飛び出してきた鹿に驚いてセレシェーヌが乗っていた馬が棹立さおだちになった拍子に、靴が片方脱げてしまったのだ。


 さらには、落ちた靴を獲物と勘違いした猟犬がくわえて持って行ってしまった。


 貴族の令嬢が素足を他人に見せるのは、非常にはしたないこととされている。


 乗馬用のドレスのスカートの中で足を曲げたまま、馬から降りることもできず、顔を真っ赤にして固まるセレシェーヌに、近衛騎士達も近づいてよいものか戸惑い、顔を見合わせる。その中、隅の天幕にいたリルジェシカは真っ先に走り寄り、自分の靴を脱いで差し出した。


「セレシェーヌ殿下。これでよろしければどうぞお履きください」


「で、ですが……」


 まさか、そんな申し出を受けるとは思っていなかったのだろう。戸惑うセレシェーヌに、安心させるように微笑む。


「どうか私のことでしたらお気になさらないでくださいませ。もう脱いでしまったのですもの。セレシェーヌ殿下さえお嫌でなければ、失礼しておみ足にふれてもよろしいでしょうか?」


 衆目の中、自ら素足になったリルジェシカに眉をひそめている貴族達もいる。聡明なセレシェーヌは、このまま遠慮し続けたほうがより状況が悪くなると判断したのだろう。


「ありがとう。いただきますわ」


「はいっ、失礼いたします」


 断ってから周りに見えないよう、そっとドレスの裾に手を差し入れ、鞍に横座りしているセレシェーヌの右足に、手探りで自分の靴を履かせる。セレシェーヌの足はすべすべしていて小さく、リルジェシカの靴では少し大きいようだ。


「申し訳ございません。私の靴では殿下には少し大きいですね。少しお待ちくださいませ」


 また脱げては大変だ。リルジェシカは髪を縛っていたリボンをほどくと靴が脱げないよう、靴と足首にリボンを巻いて固定する。


「ありがとう。でもあなたは……」


 ほっ、と安堵に表情を緩めたセレシェーヌが、すぐに愛らしい面輪を気遣わしげにしかめた。


「お気遣いありがとうございます。私はこうすれば大丈夫ですから」


 ハンカチーフを取り出し、自分の足をくるんで縛る。


「失礼いたしました」


「あ……っ」


 ぺこりと一礼し、リルジェシカは自分の天幕へと駆け戻る。天幕では、リルジェシカの両親が、娘の大胆極まる行動に呆気にとられた顔をしていた。


「ごめんなさい。お父様、お母様。急に天幕を飛び出して……」


 リルジェシカが頭を下げて謝罪すると、父親も母親も我に返ったように表情を緩めてかぶりを振った。


「いや……。お前の行いは立派だったよ、リルジェシカ。きっと、セレシェーヌ殿下もご安心なされたことだろう」


「ええ、お父様のおっしゃる通りよ。でも、できたらひと声かけてからにしてちょうだいな。本当にあなたは昔から、思いついたらすぐに飛び出すのだから……。まあ、そこがあなたらしいのだけれど」


「ごめんなさい、お母様。気をつけます」


 それきり、セレシェーヌとふたたび話す機会なんて、もう二度とないと思っていた。リルジェシカが履いていた自作の靴は安い豚革で、セレシェーヌにとっては一時しのぎの靴にすぎないと。だが。


 数日後、セレシェーヌはリルジェシカを王城へ招いて、わざわざお礼を言ってくれたのだ。


 感謝の言葉だけでなく、リルジェシカが靴を結んだ質素なリボンとは比べ物にならない繊細なレースのリボンを贈ってくれ、さらには。


「あなたがわたくしに譲ってくださった靴……。あんなに履き心地のよい靴は初めてでしたわ。いったいどちらの職人に作らせましたの?」


「えっ、あの……っ」


 身を乗り出して問うたセレシェーヌに、まさか、王女殿下が貧乏男爵の娘の靴に興味を持たれるなんて思っていなかったリルジェシカは大いに戸惑った。


 しかし、王女殿下からの直々のご下問に答えないわけにもいかず、


「その……。じ、自分で作った靴なのです……」


 おずおずと告げると、


「まあっ! あなた自身が作った靴だというの!?」


 と、大いに驚かれた。


 靴を作るということは、死んだ動物の皮を扱うということだ。不浄だと忌み嫌われる靴作りをする貴族なんて、リルジェシカも自分以外に聞いたことがない。


 靴作りをしているせいで、貴族達から風変わりでとんでもない娘だと蔑まれていることは、リルジェシカだって知っている。


 いたたまれない気持ちで顔を伏せていると、


「あの……」


 とためらいがちに声をかけられた。


「突然、あなたにこんなことを言ってよいのか悩ましいのだけれど……」


「は、はい……」


 叱責だろうか。それとも、汚らわしいと軽蔑されるのだろうか。


 緊張に身を強張らせてセレシェーヌの言葉を待っていると。


「ねぇ、リルジェシカ嬢。わたくしに……。靴を作ってくださらない?」


「え……っ?」


 一瞬、言われた内容が頭に入らず、間の抜けた声を上げる。


「わ、私が、セレシェーヌ殿下のお靴を……」


「ええ、急なことで不躾ぶしつけとは思うのだけれど……。あなたの靴の履き心地が気に入ったの」


 にこりと微笑んだセレシェーヌに、こくこくこくっ! と顎が胸につくほど何度も頷く。


「は、はいっ! 光栄ですっ! 喜んでお引き受けいたしますっ! 私などでよろしければ、ぜひぜひ作らせてくださいっ! 心を込めて、精いっぱい作らせていただきますっ!」


 こんなやりとりをした結果、リルジェシカはセレシェーヌに靴を献上することとなった。


 とはいえ、セレシェーヌの足にふれられたのは、猟遊会の時の一度だけのため、後は作るごとにきついところはないかとか、履き心地を教えてもらって少しずつ改良しているのだが。


「あのっ、よろしければ、女王陛下にも履き心地をお教えいただければ嬉しいです……っ!」


「ええ。お母様にうかがって、必ずあなたにも伝えるわね。それと、お代のほうはいつものようにお屋敷へ届ければよいかしら?」


「はいっ! ありがとうございます! では、お渡しできましたし、これで失礼いたします」


 笑顔で請け負ってくれたセレシェーヌに深々とお辞儀をすると、リルジェシカは王女の貴重な時間を奪ってはいけないと早々に退出した。


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