仕切り直しの“これから”

「守りた、ね」

 繰り返した桜が大きく息をついた。命か尊厳か、あるいはその両方か。思い出されるのは、蕙が八の姫のことを話した時にひどく取り乱した曼珠の様子だ。

「もしかして、以前に聞いた罪状ってのは冤罪か」

 答えは、小さな嗚咽だった。

「領金の消費による市中の混乱ってなんだよ。偽りの言での隠蔽ってなんだよ……! なんで」

 なんであの子が嘘つきにされなきゃならないんだよ、と掠れた声が曼珠の喉から漏れた。

「なるほどな。だから『人は死んだら何もできない』ってか」

 会ったばかりの時に曼珠が吐き捨てた言葉だ。桜の呟きに、自嘲気味な笑いが重なった。

「そうだよ、あんたが言った通りだ。目を背けたくても消えてくれないんだよ。でも、今さら何ができるっていうのさ」

「死者は確かに話せんが、お前はまだ生きてるだろう。憂さ晴らしに鬼を斬るよりは、彼女の潔白を証言したりは」

 最後まで言わず、桜は言葉を止めた。わずかに顔を上げた曼珠の、真っ赤に充血した目に凄まじい怒気を感じたからだ。

「それは、難しいと思います……」

 控え目に諫めたのは蕙だ。

「私も詳しいことは知りませんが、今の領は偽りであっても八の姫という罪人を仕立てあげることで民の怒りを抑えようとしている節があります。朱華が真実を認めるとは思えません。それに」

「“鬼灯”は裏切り者を許さない。僕が何を言ったところで、耳を貸すより前に殺すだろうね」

 くぐもった声で曼珠が後を引き取った。その顔は再び伏せられている。

「……だが」

「綺麗ごとばかりかすな。あんたのそういうところ、本当に嫌いだ」

 さすがに桜も口を閉じた。

 それ以上話したくはないのか、曼珠が顔をあげる気配はない。外のうららかさとは真逆の重苦しい沈黙が堂の中に落ちた。

 どうしたものか、と桜は蕙に顔を向ける。ことの発端を思い出したからだ。

「それで、お前はどうするんだ?」

 問われ、蕙は目を逸らした。

「本当は分かってるんだろ。弟が死んだのは、こいつのせいじゃないってくらい」

 彼女は答えず、自らが床に落とした短刀を見つめていた。少しの沈黙の後、目は合わせぬままで呟く。

「ここを……出ていきます」

「なぜ」

「お二人に申し訳がたたないからです。私は、未遂とはいえ曼珠さんを殺めようとしました。仕方のないことだと分かっていたのに。曼珠さんのせいではないと、知っていたのに。誰かを恨まずにはいられなかった。――それに、あなたが助けた命を、その行為を無下にしたのです」

 懺悔の言葉に、桜はため息をついて呆れたように天井を見上げた。

「俺が好きでやったことだ。当の本人が恩も感じてねぇのに、お前が気にすることじゃない。自分の中でけじめがついたんなら、それでよいじゃねえか。いたいなら、好きなだけいりゃいい」

 素っ気なく言い放った桜の言葉に、再び蕙の目に涙が盛り上がった。見る間に嵩を増やしたそれは、あっという間に決壊して頬を伝っていく。

 次から次へと涙を溢す蕙に、桜は狼狽えた。こういう時は必ず茶化してくる曼珠も、今は膝を抱えて何も言おうとしない。

「ああ、くそ。これじゃ俺がまるで悪者みたいじゃねぇか」

 ガシガシと頭をかき、桜はいまだに微動だにしない曼珠に言葉を投げかけた。

「おい、てめえもだんまりしてねぇで何とか言いやがれ。どうなんだ、その――」

 許すのか。

 言葉を濁した桜に、曼珠は「知らない。好きにしろよ」と投げやりに言い放った後に「でも」と顔は上げぬままに続ける。

「正直、桜ちゃんの飯は味が薄くてまずい」

 暴言を受けた桜の額に青筋がはしるが、曼珠が気にした様子はない。

「どっか行くなら、僕が出てくよ。どうせ行くあても帰る場所もないんだ。……あんたは僕以外にも、ここに留まりたい理由があるでしょう」

 話を振られ、驚いたように蕙が涙に濡れた顔を上げる。不器用すぎる互いの気遣いに、桜は再び大きく息を吐いた。

「てめえはどうあってもしばらく安静だよ、馬鹿。ちょっと前まで生まれたての子鹿みたいな歩き方してたのに、生意気言ってんじゃねえ。出ていきたいって言っても許さん。つーか、飯の文句を言われるなら、やっぱり手伝いは欲しいから二人とも出てくな」

「でも、私は……」

「うるせえ。どっかの馬鹿のせいで長居せざるを得ないし、なんか訪ねてくる奴らは増えるしで、正直一人じゃ捌けるか怪しいんだよ。罪滅ぼしってなら、きりきり働け」

 ヤケクソ気味に言い放った桜を、蕙は呆気に取られて見つめた。


 長居せざるを得ないとは言うが、別に彼が曼珠を助ける理由はないのだ。蕙についても同様で、患者を捌けないなら断ればいい。人手が真に必要であるなら、声をかければ誰かは手をあげるであろう。わざわざ、蕙を指名する必要はないのだ。

 堪えきれないように、ふはっと曼珠が吹き出した。顔は上げないままだが、その肩が小さく震えている。

「僕ら、みんな素直じゃないねぇ。似た者が集まっちゃったみたいだ。いいんじゃない? 僕は、もう少しこのままでいたい」

「だから、お前はしばらくそのままだっつってんだろ」

 わざとらしい乱暴な桜の言葉に、くつくつと喉の奥で笑った曼珠が顔を上げた。目の縁がわずかに赤くなっているが、その口元は笑みを刻んでいる。

「とか言って、桜ちゃんも実は嬉しいんでしょ」

「うるせえ。っていうか、そもそも誰のせいだと思ってやがる」

「桜ちゃんのお人よしのせい」

「お前なぁ……」

 呆れた桜が口を開こうとしたところで、外から軽い足音が近づいてきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る