鬼と流言

「何か、ご用でしょうか?」

 わざとらしい澄ました声は桜のものだ。対人関係で猫を被る気がはなからない曼珠と違い、一応敬語である。

 彼の背中越しに見えたのは、概ね曼珠の予想通りの光景ではあった。鎌に鍬、鋤などの農具を携えた十数人の男達が険しい顔で半円状に広がっている。

 木綿の着物に脚半と素朴な格好からも、やはり野盗の類ではないのだろう。

 無言の男達に、桜が小さく頭を傾げた。

「聞こえませんでしたか? 一体、何のご用でしょう」

 再びの問いに、気圧されたように男達の視線が一人、二人と逸らされる。押し付けあうようにして交わされる視線には、後ろめたさと自信のなさが透けて見えるようだ。

 桜が見下ろす前で、男たちの無言の問答は十数秒ほどは続いただろうか。やがて、下草を踏み締めて一人の男が進み出てきた。

 奇しくも、桜と男達を隔てるように帯状に咲いていた曼珠沙華が、乾いた音を立てる。

 進み出た男は、恐らくは人を纏める立場なのだろう。丁寧に結えられた髪には白いものが混ざっており、一目で上物とわかる黒紬の着物と羽織を身につけていた。

「ここらに女が二人、来なかったか」

 押し殺してはいたが、男の声には焦りがあった。桜もそれはわかっているはずだが、笑みさえ含んだ穏やかな口調で答える。

「さて、いかがでしょう。――その女どもが何をしたんですか?」

「鬼だ」

 挑みかかるように言われ、桜は「おや」と呟いた。怯んだと思ったのだろう。それこそ、鬼の首を取ったように男が顎を上げた。

「知っておろうが、鬼は仲間を増やす。隠し立てすれば、お前の命も危ういのだぞ」

「ははあ、それは確かに。しかし、何を根拠に鬼だなどと仰るので?」

「三日ほど前に村に転がり込んできたが、頻繁に悪心と腹痛を訴えておった。それに――」

 言葉を切った男は、わざとらしく辺りを見回す。積まれた石と、焼かれた家屋に家畜。梔子の香りを放つ白い灰と、無惨に踏み折られた赤い花。

 黒と白と赤の三色だけで描かれた風景。

「最近、ここらで鬼が出たという話は聞いていたからな」

「はぁ。えーと……」

 がりがりと首の後ろを掻いた桜が、男達から顔を逸らした。曼珠から見えたその横顔には、呆れと苛立ちが浮かんでいる。曼珠にも見えるということは、男達にも見えているということだ。

「それだけか?」

「なっ……!?」

 絶句する男達の反応になど構わず、桜は言葉を続ける。

「悪心に腹痛なんて、鬼毒以外でも起こるんだよ。むしろ内臓の病を疑った方が良いし、女性なら月のものということもある。だいたい、三日って言ったか。鬼の毒は三日もあればもっと進行する。鬼狩みてえに毒の耐性がある、という可能性もゼロではないけどな。だとすれば、あんたらが感染していないことはあり得ないんだよ。は三日もあれば集落の一つ二つは容易に滅ぼすからな。それとも、何だ。もしやあんたらは全員が鬼毒への耐性がありなさる?」

 突然の乱暴な言葉使いに、男達が目を白黒させる。陰で見守っていた曼珠も、思わず頬の片側を引き攣らせてしまった。


 前言撤回。この男、被った猫を長く保たせるつもりはないらしい。


「――で、他に根拠は?」

 まさか「ない」とかほざかねぇだろうな、とでも言いたげな声だった。

 曼珠からは彼の表情は見えないが、短い付き合いでも不機嫌なことはわかる。何しろ背中越しに感じる圧が半端ない。


「あの女は狂い目じゃった」


 ぼつり、と言ったのは鍬を担いだ老人だった。

 狂い目とは、彩眼を蔑んでいう言葉だ。

 一昔前――つい二十年ほど前だが――は、「狂い目の者は鬼病に罹りやすい」と信じられていた。今となっては何の根拠もない言説だが、いまだに田舎では根強く信じられている。それを裏付けるように、老人の目に凝るのは昏い色だ。

「狂い目は、鬼に変ずる前に殺さにゃならん」

 顔を強張らせた男達が、桜の色付きの瞳を見やる。近年ではあまり見ることもない、鮮やかな宵闇の色。

「なるほど。ならば、私も殺されるべきだと?」

 村人達の目に、怪しげな光が浮かぶ。恐ろしくて一人では出来ない惨たらしいことも、人は集団ならば平気で行う。熱に浮かされたような顔つきに、曼珠は手に持った刀に親指をかけた。

 鯉口を切る音が聞こえたのだろう。顔だけで振り返った桜と、戸板の隙間越しに目があった。そこに宿る無言の制止に、曼珠は肩をすくめる。

 言ってわからない連中に道理を説きたいというなら、好きにすればいい。

「隠し立てすると、お前も殺す」

 一連の動きで、堂の中に誰かいると確信したのだろう。黒紬の男が告げた。その背後で、農具の刃が高く昇った太陽に反射する。土を耕すだけのそれが、いやに凶悪な光を放っているように曼珠には見えた。

「……さすがに、殺されるのは勘弁願いたいな」

 呟き、桜が縁側から地面へと降りる。


 静まり返った空間に、シャン、と一際大きく澄んだ音が響いた。


 その音に、黒紬の男が目を大きく見開く。信じられない、とでも言うように目を剥く彼に不思議そうな視線を向けるのは背後の男達だ。

村長むらおさ。どうかしたんですか?」

「その音、まさか……まさか、お前……いや、あなたは」

 背後の男達に答えたわけではない。無意識に唇から溢れたと言った方が正しいような呻きが、男の口から漏れる。

 一歩、二歩。青年が歩くのにあわせて奏でられる音に吸われるように、男達のざわめきが押し殺されていく。

 元より、たいして距離が空いていたわけではない。五歩も歩まぬうちに、桜は男達が手を伸ばせば届く間合いに入っていた。

「この野郎、どういうつもり……!」

 現に、血気が盛んな若い男が荒々しく手を伸ばす。それを押さえつけたのは、黒紬の男だ。

「止めないか」

「けど村長、こいつ……」

「止めるんだ。お前達もな」

 反論を許さぬ厳しい声だった。上に立つ者にだけ許された、力のある言葉。それに、若者以外にも動こうとしていた何人かが訝しげにしながらも武器を下ろす。

「あなたは『鈴』をお持ちなのですか?」

 蒼白な顔のまま、黒紬の男――村長が問いかけた。答えの代わりに、桜は着物の合わせ目へと手を滑り込ませる。

 摘み上げられたのは、根付ほどの大きさの白い珠だ。深い青紫色の糸が通されており、どうやらそれで首から掛けるようにしていたらしい。

 その形状を遠目に見て、曼珠も得心がいった。あの独特の澄んだ音は、水琴鈴だったのだ。

 さらに目を凝らすと、かなり古いものらしい。元は白かったのだろう表面は、塗装が剥げて錆が浮いている。かろうじて判別できる表面に彫られているのは、流水を背景にした桜の紋だ。

 それがどういう意味を持つのか曼珠は知らない。ただ、その鈴を見た村長の顔から完全に血の気が引いたことだけは分かった。

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