才羽者──片袖の男と復讐の少女

幼縁会

愛する者よ

 人の命に価値があるとして、貧民街に暮らしていた自分はきっと安い女だったのだろう。

 ヨドは珈琲を口に含み、当時を振り返る。



 大陽が水平線に沈み、月明かりが柔らかく眼下を照らす深夜。

 吹き抜ける風は秋の終わりを告げ、肌に突き刺さる悪寒が死と停滞の季節を予感させる。

 常ならば貪欲に利益を求める小売店と残業帰りの従業員が利害一致の下で盛り上がる街並みも、今は一人の少女が這う這うの体で駆けるのみ。そして件の少女の容姿にしても、常ならば声をかける者が現れてもおかしくない。

 濡烏の髪を短く切り揃え、華奢な矮躯に身の丈に合わない袖余りの上着。下の袴は動き辛さからか、太股の辺りまで乱雑に切られている。

 清潔さに欠けた印象を持つが、本体の見目に限れば学校に通えば注目を集めることは間違いない。


「ハァ……ハァ……ハァ……!」


 顔を押さえる右手から血を垂れ流し、左の顔を苦悶に歪めてなければ。

 苦痛に濡れる少女を照らすは月光のみならず。

 遠方では夕焼けが夜闇に最後の抵抗を見せんと、燈の輝きが闇を焼く。衆目もそちらへ注目しているからこそ、少女は一人進むことが許可されているのだ。

 計り知れぬ対価の下で。

 己が支払わされた対価を思い、額に食い込む指圧を強める。

 遠方から乾いた音が響いたのは、その時。

 整備された道を下駄で叩くのに酷似した音色だが、如何せん一歩の間隔が長大。一歩ごとに宙へ浮かんでいるのでもなければ成り立たない音が二つ、少女との距離を加速度的に詰める。

 追手なのかと思い至る隙すらない。


「ッ……!」


 土埃を巻き上げ、背後から少女を追い抜く刺客が二つ。弧を描く軌道で勢いを殺し、少女を取り囲んだ。

 驚愕に目を見開く少女を認め、刺客は口元に下品な笑みを浮かべる。

 その足は、人のものではない。

 富士樹海の木材を贅沢に使用し、更には人体への重篤な障害も厭わず、足首に当たる部位には金属発条きんぞくばねを採用した竹馬型義足。イエヤス擬体総社製の最新作が発揮する速度は、飛脚型絡繰人形の最高速に匹敵する。

 深手を負った少女一人が、撒ける相手ではない。


「お前、ら……!」

「あの時間帯には自宅にいるはずでは。ちゃんと脱出可能な場所は全部焼いたのに」


 憎悪が籠った少女の眼差しなど意にも介さず、刺客は発条機構によって視界が揺らがぬための大股姿勢で思案する。

 薄い燈が走る刀身は短く、代わりにそれぞれの手に一振りづつ握られている。

 刺客の疑問に答えたのは、対となる刺客。その両腕は流血を求める鉤爪と共に振り子の如くだらりと揺れる。


「大方、突発的な残業で免れたんだろうよ。安月給は深夜まで残業しなきゃ、明日食う飯にも困るからな」


 言葉に込められるは万感の嘲笑。

 少女も愚鈍ではない故に機微を感じ取り、息も絶え絶えに憎悪を灯す。

 しかし如何に相手が道理に反してようとも、人の道から外れようとも、弱者を踏み躙る常道を行く限りは少女に打つ手なし。

 大口を開けて欠伸をする余裕すら持つ刺客が、やおら武器を構える。

 軽い一振りで少女の命は無為にする。

 それを理解しているからこそ、刺客は緩慢な動きで距離を詰めた。


「お前、ら……よくも、姉さんを……!」


 少女の訴えなど汲む価値もないとばかりに。


「人の家の前でごちゃごちゃうるせぇ」

「ッ?!」


 ならば、彼らの動きを止めるのは、第三者の介入に他ならない。

 刺客達も、少女も思わず顔を上げる。

 声の方角、月明かりを背景に瓦屋根へ立つ人物へと。

 足首まである漆黒の羽織をはためかせ、青みを帯びた黒髪を後ろで一結びにしている。衣服に隠れて体格は長身なことしか分からない。

 そして袖のない右腕は、漆塗りの木製。


才羽者さいはねものか……こりゃ少しは愉しめそうか?」


 下品な笑みを見せる刺客が、戦いに悦を見出だす訳もなく。

 彼からすれば、逃げるしかない女を嬲る退屈な仕事に腕自慢の婆娑羅ばさらを心身共に磨り潰して蹂躙する業務が追加されたのだ。多少の面倒は、むしろ程好い調味料とも言えた。

 一方で自身が下に見られていることを機敏に感じ取ったのか、男は不快に表情を歪める。


「被虐体質かよ、そういう店行けや」


 漆塗りの義手。その二の腕の装甲が開き、内から三関節から木製接続腕が姿を見せる。先端には三日月を連想させる弧を描く鎌式の村正。

 センゴ葬儀社製の量産型村正が切れ味を誇るかのように、月明かりが怪しく刀身を照らす。月光によって側面に彫られた彼岸花の紋様が浮かび上がり、少女の視線を占有した。

 自慢気に腕を掲げた姿に刺客が挑発的な笑みを返す。

 刹那。


「あの世なら格安かもな」

「何ッ?」


 背後から響くは男の声。

 たなびく羽織を追って身体を回す。が、意志に身体が追いつかない。

 己が感情とは裏腹に動きが緩慢で、視線も不自然に傾き──


「ハトリッ!」


 相方の叫びを合図に、夜闇の世界に血染めの桜が咲き誇る。袈裟掛けに切り裂かれた刺客の断面から噴き出した流血を養分に。

 間隙を突いた斬撃に相方は素早く意識を立て直し、背後へ振り返る。

 すると、眼前にまで迫っていたのは村正の一振り。

 反射で刃との間に鉤爪を挟み込むことで両断を回避した刺客は、素早く空いた鉤爪で男の胴体を狙う。

 一方で男も鍔競り合っていた鉤爪を弾くと、半身になって左を回避。

 そして、少女には目の追いつかぬ激しい剣戟に火花が舞い散る。


「くっ」


 重ねること数合。

 両腕をかち上げられ、防御手段を失った刺客への一閃で二本目の血染め桜が咲き誇る。

 舞い散る鮮血で全身を濡らして男は数秒の間、最後の一撃を加えた姿勢で静止する。

 少女は一部始終を瞬き一つなく、目の当たりにしていた。否、正確には自然と垂れ下がっていた右手の奥、焼け爛れた右半分に位置する目からは目蓋も焼き尽くされ、閉じることが許されなかった。

 足元の血溜まりに自らから滴るものが混ざる。

 まるで邪悪な意志が自分の中に混入していく感覚が、少女の内に宿る。


「お前、話が……あるんだ、けど」


 口を動かす度に灼熱の激痛が走るが、不思議と刺客二人を殺害した男への恐怖はない。


「あんだよ、見廻組にでも……!」


 声に振り返る男の表情が固まる。

 放心して開けられた口は驚愕を示し、焼きおにぎりでも嵌め込めそうな程に。


「イエヤス、義体総社への侵入……手伝ってくれない……?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る