第43話 三学期、合格、チョコレートケーキ
三学期は短い。
そのせいなのかみんな、気持ちが少し浮ついてる。
教室はザワザワし、来年度も持ち上がることに決まっているクラスメイトたちは気楽にお喋りしてる。
掃除の後、自転車置き場で弥生さんが待っていて僕を呼び止めた。なんとなく、気まずい。
これで春にクラス替えがあって、弥生さんと別々になるなら気持ちも楽になるのになと思う。
正直なところ、弥生さんが嫌いなわけじゃない。寧ろ今では好ましい。
彼女の心根の丸い部分を知って、彼女をもっと知りたいと思ってる自分もいる。僕の中の『自分』はひとりじゃない。
「年賀状、ありがとう。あの、迷惑じゃなかった?」
「うん。僕の家の住所、よくわかったね」
「⋯⋯佐野くんに聞いたら、昔やり取りしてたからわかるかもって」
「なるほど」
佐野とやり取りしたと言っても、元々は親同士がしてたもので本人同士では実際していない。しかし住所は知ってるはずだ。
勝手に教えやがって、と思ってももう遅いし、時効だろう。
「ごめんね? 直接聞けばよかったんだけど、勇気が出なくて······」
項垂れると、短い襟足と白いうなじが際立って見えた。彼女はもう髪を伸ばす気はないのか、まるでスポーツをやってる子のように、ずっと短い髪のままだった。
「そんなに気にすることじゃないよ。年賀状なんてみんなやってることだし、単なる新年の挨拶だし」
「そう、だよね······。あの、わたし重かったかな? 普通みんなSNSで済ませちゃうよね?」
「······男同士はそもそもあんまりしないから、どうかな、女の子の文化はわからないや」
弥生さんはモジモジして下を向いたままだ。
確かに中学生になって女の子から年賀状をもらったのは初めてだ。
それまではピアノ教室で一緒の子から来たりはしてたけど、その子は自分に来る枚数を増やしたかったのかもしれないし、親に言われたのかもしれない。
挨拶が、というより発表会の写真がメインだった。
「もっとちゃんと言おうと思ってたんだけど、一言だからいってしまうよ。僕、彼女と付き合い始めたんだ」
弥生さんは一瞬顔を上げたけど、またそれを下げた。チラッと見えた顔は蒼白で、風に当たって頬だけが真っ赤だった。
「そうなんだ、おめでとう。そうなったら『おめでとう』って言おうって決めてて······」
想定内ではあったけど、彼女の頬を涙が下に向かって直線を描いた。
「ごめんね、今まで中途半端で」
「ううん、中途半端なんかじゃなかったよ。いつだって陽晶くんの向こう側に、見たことのない彼女の存在が見えてる気がしたし。――ごめん、気持ちの整理を付けてくるから」
彼女は走り出すと、昇降口に駆け込んだ。追いかけてくるな、と背中に書いてあるようで、僕はできるだけゆっくり、自分の教室に向かった。
教室では厄介なことに女子のほとんどが団子状態にグループ化していて、僕の方を睨んだ。
特に守口ちえみは僕になんの恨みがそんなにあるのか、すごい形相だった。
いつもなら噛み付いてくるところなのに、なにも言ってこない。
クラス委員をしている、少し体格のいい女の子が弥生さんの背中をさすっていた。弥生さんは定型通りに、両手で顔を······。
僕にはなにもできないんだ。つまりもうそういうことだ。
「なんでアイツ、泣いてんの? お前の住所、教えてやったのにな。今どき年賀状くれるなんてなかなかねーじゃん。冷たくしたの?」
「どちらかと言えばそう。でもいつかこうなるはずだったんだ」
「お前、菊池のことすきなわけじゃなかったんだろう? 見てればわかるんだよ。お前とは付き合い長いし。合わせてるって感じに見えたしさ、ほら、お前の従姉妹、あの子の方がずっとキレイだしなぁ」
思わずカッとなる。
佐野はいいヤツだ。それはわかってる。僕とタイプが違っても、そこが逆にいいのかもしれない。
だから今でもこうして友だちでいる。幼稚園からずっとだ。
「⋯⋯ハルのこと、あれこれ言うなよな」
理性のタガが外れて、もうすぐ授業が始まるのに教室を出てしまった。
――あの子の方がずっとキレイだし。
そういう風にハルを見てたなんて心外だった。
僕たちはよく一緒にいたので、そこに佐野が出くわすことは何度もあった。
キレイだとか、そうじゃないとか、そういう問題じゃないのに······。
誰もいない準備室のベランダは刺すように寒かった。フェンス越しに、海が見えるかもしれないと初めてそう思った。目には見えない
トントン拍子に話が現実となり、ハルは高校に合格した。
みんなで盛大に祝った。その日は珍しくハルのお父さんも一緒だった。
こうして見ていると、三人は普通の家族にしか見えなかった。
そして僕はオジサンのことを少し呪った。今までオジサンの撮る写真に少しでも憧れていたことを悔やんだ。
僕は、ただ悲しかった。
「アキくん、少しいいかな?」
オジサンから声をかけられたのは何度目だろう? 数えられそうでいて、思い出せない。
オジサンは甘いものを食べて盛り上がっているみんなを置いて、ソファで不貞腐れていた僕の隣に来た。
顔を上げてオジサンを見る。
よく見ると、スミレちゃんより顔が少し丸いことや意志の強そうな眉毛はハルにも備わったものだった。
ハルがオジサンにこんなに似てるなんて不思議だった。ハルのDNAは僕とほぼ同じで、似てないところは性別くらいだと思っていた。
「アキくんにお願いがあるんだけど。ハルが引っ越す時、これをハルに贈ってくれない?」
オジサンはハルのすきそうなキャラクターの絵のついた紙袋から大きな本を一冊出した。
「これ、今度出すんだけど、ハルがプラネタリウムがすきだって聞いてね」
――あ、と思う。あの日の出来事がぐるりと回る。
オジサンの手にしているのは空の写真集だった。そこには夜だけではなく、昼の空も載っているようだ。
「気に入ってもらえそうかな?」
受け取った本は写真集らしい、ずっしりとした重さ
「この間、夜、君たち、家出したでしょう? 僕は君たちに明けない夜はないことを教えたい。そんな立派なことを言える立場じゃないんだけど」
「オジサンからあげた方が喜ぶと思うんだけど」
「どうかな? ハルには嫌われているからね。もっともだと思うけど。僕は父親失格でしょう。あの子が怒ったり、泣いたりする顔は見たくないんだよ、もう」
オジサンは恥ずかしそうに笑い、それじゃ行くよ、と言った。
テーブルでは誰がどのショートケーキを食べるのか、ジャンケン大会が始まろうとしていた。
「アキー! チョコレートケーキなくなるよ」
なぜか笑いが起こる。チョコレートケーキがすきなのがおかしなことなら、ココアがすきなハルと大して差は無い。
もそもそとソファを抜け出して、みんなが手を出している場所に向かう。
大人だってジャンケンなら手を抜かない。
みんな笑顔だ。
ケーキはたらふくある。
「せーの! さーいしょはグー! ······あっ、パパそれチョキだよ」
「ああ、そうか、今でも『最初はグー』なんだな」
「なに訳わかんないこと言ってんの? もう、仕方ないから最初の一回はルール知らなかったってことで見逃してあげる。今度こそわたしが勝つ!」
ハルの合格祝いなんだから、ハルから選んだらいいのに、も思いながら右手を出す。それはない、ハルはこういう賑やかなことがすきだから。
みんなで楽しくひとつのことをするのがすきだから。自分が貧乏くじを引くことになっても――。
「さーいしょはグー! ジャーンケンポンッ!」
みんなが右手を振るった。
しーんと勝敗の結果を見る。
「え、僕?」
みんなはパーで、僕だけがチョキだった。あまりにも偶然で、勝ちを譲ろうか考える。合格祝いに譲るのはありなんじゃないか?
「早く取りなさいよ。アキの考えなんてお見通しだし。わたしは実力で勝つからいいの」
「勝った者がちだ。すきなものを早く選んでくれないとみんな困るだろう?」
「アキのすきなものなんてみんな知ってるんだし」
僕はみんなに背中を押されるように、箱の中を覗き込んだ。ハルが僕が指をさす前に、ケーキをお皿に乗せる。
「はい、わたしが選んだの。オペラだよ。金箔が大人っぽいでしょう? アキに、これからもいいことがありますように」
みんなが拍手した。僕のためのパーティーじゃないのに。照れ臭くて俯いた。
そして一言「ありがとう」と言った。
本当は言いたかった。
――ハルにもいいことがありますように。
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