応援コメント

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  • 礎(いしずえ)への応援コメント

    太史公は言った
    「商鞅は生れ付き刻薄な男であったのであろう。」
    「彼が孝公に取り入ろうとして先ず帝王の政策を説いたのは、心にも無い言葉であって、本心では無かった。」
    「しかも手ずるに使ったのは寵愛の宦官だった。」
    「任用されてからは公子虔を処罰し、魏の公子仰をだまし討ちにで捕らえ、人の忠告に耳を傾け無かった。」
    「これらの事は商鞅が温情に欠けていたことを示す物である。」
    「最後に秦において悪名を被ったのは、故ある事だったのだ。」

  • 魏(ぎ)への応援コメント

    大梁に遷都した後、魏の恵王は
    「公叔座の言葉を用いなかったのは、わしの遺恨である」
    と言った。

  • 飛躍(ひやく)への応援コメント

    やがて新法を誉めそやす人々が現れた。
    公孫鞅は「こいつらは教化を乱す民である。」と言って、全員辺境へ追放した。

    以後、民衆は法について何も語らなくなった。

  • 新法(しんぽう)への応援コメント

    韓非子の言葉に「二柄」と言うのがある。
    二柄は二つのハンドルの事で、「君主は「刑(罰)」と「徳(賞)」の二つを正しく使い決して他人に委ねてはいけない。」とある。

    どちらも過大評価や過小評価してはいけない。
    この事を公孫鞅は最初に実践した。

  • 秦(しん)への応援コメント

    後進国の自覚があった秦は積極的に他国の人材を登用した。
    公孫鞅から始まり、張儀、范雎、呂不韋、李斯、韓非(登用されず殺された)など。

  • 商鞅(しょうおう)への応援コメント

    公叔座は恵王に「もし、宰相に任命しない場合は公孫鞅を殺すべきです。」と言った。

    公叔座は家に帰ると公孫鞅に「王にお前を次期宰相に推挙したが、登用しない時は殺せと言った。」
    「もし、宰相に任命され無かったら直ぐに他国へ逃げるのだ。」と言った。

    公孫鞅は「先生の推薦を採用しない王は、暗殺の策も採用しないでしょう。」
    と言って公叔座の死後も逃げも隠れもしなかった。

  • 秦(しん)への応援コメント

    続き楽しみにしてます。

    作者からの返信

    色葉さま

    読んでいただき、ありがとうございます。
    色葉さんも春秋時代の小説を書かれていらっしゃるんですね。

    商鞅の続き頑張ります。