七、何処の姫(二)

「舜䋝、舜䋝、起きてください」

 身体を揺すられ、舜䋝は目を覚ました。

 目の前には空鴉の顔、その隣に燿の顔、そしてその向こうに見慣れぬ天井。

「ここは……?」

 身体を起こしながら、舜䋝は周囲を確認する。石造りの部屋に窓は無く、四面の一つは鉄格子になっている。

「どこかの地下牢のようですね」

 空鴉に言われても、ふうんという感じだ。頭がぼうっとして働かない。

「あれ、宝劉様はどこに?」

「分かりません。どうやら連れ去られたようです」

「ああ、じゃあ、迎えに行かなきゃ」

 立ち上がろうとするが、足元がおぼつかない。

「あー、だめだね、こりゃ」

 燿が苦笑する。

 宝劉、彩香の二人よりも、多く薬を盛られたのだろう。

 結局、舜䋝の頭がはっきりするのに、それから半刻近くかかった。

「さて」

 舜䋝が覚醒して、今の状況と危機を理解したところで、作戦会議に入る。

「まずは、ここから出なきゃいけませんね」

「そうだね。どうしようかね」

 空鴉と燿は落ち着いているが、舜䋝は内心焦っていた。この瞬間にも、宝劉は危険な目に合っているかもしれないのだ。

「どうして、お二人はそんなに落ち着いているんですか?」

 半ば苛つきながら、先輩たちに訊く。

「君も落ち着きなさいよ」

 燿が呑気な様子で、舜䋝の肩を軽く叩く。

「兄さんの言う通りです。焦っても、判断力が鈍るだけですよ」

 空鴉も穏やかに言う。

「でも宝劉様は今、敵の手の内にいるんですよ、何をされるか……」

「落ち着きなさい」

 空鴉がもう一度言った。

「敵方の目的は、殿下を城に返さない事です。元いた里に帰るよう説得はするかもしれませんが、劉家を傷つけて罪を重ねる事はしたくないはずです」

「そうそう」

 燿も同意して言葉を続ける。

「それに、殿下には彩香が付いてるからね。きっと大丈夫」

「……そうですね」

 二人に諭され、舜䋝は少しずつ落ち着きを取り戻した。

「すみません、冷静になります」

「よし、いい子いい子」

 満足げに言って、燿は舜䋝の頭を撫でた。

「では改めて、ここから出る方法を考えましょうか」

「はい」

 まず、鉄格子の間から手を出して、牢の鍵を確認する。

「兄さん、どうですか?」

「ありゃ、これは道具が無いと開けられないやつだ」

 鍵開け担当の燿が言う。

「困ったねぇ、道具は持ち去られてるみたいだよ」

 鍵開けの道具だけではない。持ち歩いていた武器はすべて、取り上げられているようだ。

「僕の刀もありません」

「私の鏢もです。一つ残らず、没収されてしまったようですね」

「となると、残りは……」

 舜䋝と空鴉は、揃って燿の方を見る。

「ああ、俺の左腕は無事だね」

 そう言って、燿は左の二の腕の真ん中あたりを掴み、外に折った。軽い音がして、義手が外れる。

「敵もさすがに、これには気付かなかったみたい?」

 呑気に笑いながら、燿は義手に付いたふたをぱかっと開ける。

「えーとね、うん、いじられてもいないみたいだ。使えるよ」

「良かったです。じゃあ、何とかなりそうですね」

 三人は、さっそく具体的な作戦を立て始めた。

「兄さん、この鉄格子抜けられませんか?」

「うーん、頭の入る幅が無いからねぇ……難しいかなぁ」

「そうですか……」

 何とかしてここを出なければ、宝劉と彩香を探しに行く事もできない。

「煙を焚いたら、敵が慌ててこの牢に来ませんか?」

 舜䋝は必死に案を出す。

 しかし、先輩二人はそれを却下した。

「うーん、煙を焚く事はできなくないけど、それ、俺たちも危なくない?」

「そうですよ。自分たちも、煙を吸う事になってしまいます。何があるか分かりませんから、損傷の可能性は避けておきたいですね」

「なら、どうすれば……」

 三人はしばらく考える。いくつか案は出たものの、これというものが上がらない。

 早くしなければと舜䋝がまた慌て始めた頃、燿が言った。

「ねぇ、こういうのはどうだろうね?」

 燿は二人に耳打ちする。

「さすが兄さん。やってみましょう」

「時間がかかりませんか?」

「こうやって悩んでるよりは早いよ」

 こうして三人は、作戦を実行に移した。

 半刻後、牢の様子を見に来た敵は目を疑った。牢に捕えておいたはずの三人の姿がどこにも無い。鉄格子が壊されている訳でもなく、鍵もかかったままになっている。

 詳しい様子を確認しようと、慌てて鍵を開け牢に入る。

 その途端、後ろから羽交い締めにされた。

「はーい、俺の幻術に引っかかってくれてありがとー」

 燿が姿を見せて言う。

「空鴉、そのまま抑えててね」

「はい、承知していますよ」

 舜䋝が、動けない敵に詰め寄ってその胸ぐらを掴む。

「宝劉様はどこだ?」

 その迫力に圧され、敵は悲鳴を上げる。

「知らない」

「嘘をつくな」

「ほ、本当だ。俺は何も……」

 舜䋝の拳が、敵の頬を襲った。鈍い音がする。

「宝劉様は、どこだ?」

「本当に知らないんだ。何も聞かされて……」

 二回、三回と、舜䋝は容赦なく敵を殴る。

「もう一度訊く。宝劉様は、どこだ?」

「知らない……本当に、何も聞かされてないんだ……」

 敵は口から血を滲ませながら、呻くように言った。

「まだ白を切るつもりか」

 舜䋝が振り上げた拳を、空鴉が片手で止めた。支えを片方失った敵は、床に崩れ落ちる。

「止めてあげなさい。この人は本当に、何も知らないようです」

 舜䋝は不満げに腕を下ろす。

 空鴉は、床に転がった敵の頬をぺちぺちと叩いた。

「すみません、私たちの武器の場所は、ご存じですか?」

 敵は力なくゆっくりうなずく。

「刑課の事務所に……」

「ご案内いただけますか……って、無理そうですね」

 空鴉は苦笑して立ち上がる。

「仕方ありません。自分たちで探しましょうか」

「そうだね」

 三人は牢を出て、突き当たりにあった階段を上る。

「ここって……」

 舜䋝が驚いて足を止める。

「役所、みたいだね」

 燿が細い眼をますます細めて言った。

「という事は、敵は役人さんかな」

「街から出ていないと考えると、祥斉さんが関わっている可能性もあるでしょう」

 空鴉が状況を確認する。

「敵方も、ようやく表に出てくる覚悟をしたようですね」

 旅が始まってから毎晩のようにあった夜襲は、この街に入ってからぴたりと止んだ。敵である役人たちが、例の男を探すのに出払っていたからだ。

「胤劉派の波が、街役人まで広がっているとはね……」

「それほど、誠家の力が強大だという事でしょう。何とかしなければ」

 現王が病弱すぎるせいで、早くも王位継承の争いが起きている。宝劉には、現王、香家、䋝家などが付いているが、いとこの胤劉には、国一番の貴族である誠家が味方に付いていた。

「……急ぎましょう」

 舜䋝に言われ、三人は歩き出す。

 ありがたい事に役所なので、各部屋の入口には部署の名前が明記してあった。

「えーと、刑課だったよね」

 目的の場所は、比較的簡単に見つかった。地下牢を管理しているだけあって、上ってきた階段のすぐそばにあった。

 三人は入口から中をのぞく。

「見つかるかい?」

「あ、兄さん、あそこです」

 部屋の奥に、舜䋝の刀と空鴉の鏢、燿の暗器が置かれていた。

「さて、どう取りに行こうかな」

「さっきみたいに、幻術で姿を消したらどうですか?」

 舜䋝が言う。

「うーん……あれ、自分が動いてる時は難しいんだよね。俺、幻術遣いじゃないし。あくまでも、大道芸人だからねぇ」

「ははは、そうですねぇ」

 笑っている場合ではないし、燿は大道芸人の前に、王の私軍、蓮華のはずだ。

 早く武器を取り返して、宝劉の元に駆け付けなければ。舜䋝はのほほんとした先輩たちを急かす。

「早く作戦を立てましょう。武器が無いと、どうにもなりません」

「そうだね」

 三人は作戦会議を始めようとするが、その前に、廊下を歩いてきた役人に見つかった。

「お前たち、何をしている」

 その声に、部屋の中に居た刑課の役人たちが、一斉にこちらを振り返った。

「あ、やべ」

 燿が部屋の奥に向かって走る。

「兄さん、気を付けてください」

 空鴉は、入口に近い役人から順番に投げ飛ばしつつ、部屋の奥へ進んでいく。

「もうっ!」

 舜䋝は集まる役人の急所を的確に攻撃しながら、武器を目指した。

 騒ぎを聞きつけた他課の役人たちもやって来て、乱闘になる。

「埒が明かないねぇ」

 武器の近くまで来ていた燿は、敵の脇をするりと抜けて、空鴉の武器を手にした。

 そして傍に居た役人を捕まえ、喉元に鏢を突き付ける。

「はーい、みんな~、動かないでね~」

 燿が大きな声で言うと、部屋の中にいた一同は声の方を振り返り、状況を察して動きを止めた。

「うん、ありがとう」

 燿はいつもの調子で言う。

「下手に動いたら、この人が大変な事になるからね。よろしくね」

 舜䋝と空鴉は、動けない役人たちの間をぬって燿の方へ行く。

 それぞれ武器を回収すると、燿の隣に並んだ。

「じゃあ、要求を言おうかな」

 燿が、緊張の欠片も感じさせない声で言う。

「この先、俺たちを追ってこないでね」

 役人たちが関わっている事を考えると、宝劉はまだこの街にいる可能性が高い。探している間、敵に街中をうろつかれると面倒だ。

「役人さんたちは、この街、延いては国のために頑張ってくれているからね、あんまり怪我をさせたくないんだけど……」

 燿の糸目がすっと開いた。放たれる殺気に、役人たちは冷や汗を流す。

「もし俺たちを追ってきたら、その時は容赦しないからね」

 そして燿は、元の糸目に戻った。

「まあ、ひとつどうぞ、よろしく頼むよ」

 彼の顔は笑っているはずなのに、役人たちはどこか不気味さを感じずにはいられない。

 三人と人質が動くと、役人たちが退いて道ができる。一行はそこを通って、役所の外へ出た。

 そのまま人質を引きずって、役所から離れる。

 追手が来ないか確認しながら、通りを二本跨いだ所で足を止めた。

「大丈夫みたいだね」

「そうですね」

 刃物はその喉元からどかしたものの、燿はまだ人質を離さない。

「念のためにお聞きします」

 空鴉が話しかけると、人質はびくっと肩を震わせた。

「今のところ、貴殿に危害を加えるつもりはありません。ご安心ください」

 そう言ってから、

「あ、返答によっては、うちの狂犬が吠えるかもしれませんが」

 と付け加えた。

「あなた方は、何をどこまでご存じなのですか?」

 人質は少しの間震えていたが、やがて声を絞り出した。

「……な、何をどこまで、とは……?」

「とぼける気か?」

 舜䋝がさっそく口を出す。

「お前は誰に指示された? 誰に何と言われて、僕たちを捕らえた? そのくらいは言えるんじゃないのか?」

「そ、それは、その……」

 言いにくい事でもあるのか、人質は口ごもる。

 その態度が癇に障ったらしい。舜䋝は人質の胸ぐらを掴み上げた。

「早く言え。殴られたいか?」

「ひっ……」

 迫力に圧され、人質は怯えた様子を見せる。

「こらこら、あんまり吠えないの」

 燿がたしなめ、舜䋝が少し手を緩めた途端、人質は一目散に逃げ出した。

「あっ……」

 あっという間に、三人の視界の外へと消えていく。

「あらら、逃しましたか」

「やっちゃったねぇ」

「すみません……」

 宝劉の居場所の手がかりを失ってしまった。しかしだからと言って、もう一度あの役所に戻るのも気が引ける。

「どうしようねぇ」

「どうしましょうねぇ」

 燿と空鴉はまたのんびり考えこむ。

「のんびりしている場合ですか。こうしている間にも、宝劉様が危険な目に合っているのかもしれないんですよ」

 舜䋝は先輩二人にも吠える。

「じゃあ、最終手段を使おうか」

「そうですね」

 二人はそろって舜䋝を見る。

「い、いや、でも……」

 そう言いかけるが、この状況ではそれが最適な選択だろう。

「……分かりました。やってみます」

 もう、なりふり構ってはいられない。舜䋝は狭い路地に入ると、服を脱ぎ始めた。

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