三、乾村の姫(一)

「何か変ね……」

 村に向かって馬を進めながら、宝劉がつぶやいた。

「ご懸念があるようでしたら、僕が探ってきましょうか?」

 舜䋝が尋ねるが、宝劉は首を横に振った。

「そういうのじゃないのよ。大丈夫」

 三人は村に入る。外にいた村人たちは、遠巻きに客人を見た。

 舜䋝が馬を降り、近くの村人に話しかける。

「こんばんは、僕たちは旅の者です。今晩この村に泊めていただきたいのですが、村長様の家はどこでしょう」

 男性は、珍しい客人をいぶかしがりながらも、黙って村の奥にある大きな家を指さした。

「ありがとうございます」

 村人に礼を言い、一行は村長宅へ向かう。

「頼もう」

 夕暮れの中、戸を叩く。

 すぐに返事があり、物腰の柔らかそうな老婦人が顔を見せた。

「こんばんは。旅の者なのですが、一晩宿を貸してはいただけませんでしょうか?」

「あら!」

 老婦人は旅人の中に赤髪を見つけ、目を丸くした。

「劉家の方じゃありませんか。これは大変。あなた、あなた!」

 夫を呼びながら家の中に戻っていく。

 少しして、村長と思われる男性が玄関に出て来た。その身体は鍛え上げられており、霜の降った髭までたくましい。

「こんな辺境にようこそおいで下さいました。苫屋ではございますが、どうぞお入りください」

「ありがとうございます」

 こうして三人は、村長宅に泊まることになった。

 夕食も村長夫妻と共にとり、村伝統の歓迎の食事でもてなされる。

「これは、川魚を丸ごと鍋に入れ、卵でとじたもので、村の伝統料理です。どうぞお召し上がりください」

 村長の妻は、意気揚々と料理を運んでくる。器に乗った魚はぱっくりと口を開け、白い眼で客人を見上げていた。

「ありがとう」

 宝劉は笑顔で出された料理に箸をつける。

「あら、美味しい!」

 魚も鶏卵も、山間の村では貴重な栄養源だ。それをふんだんに使った料理を出されたことが、心からもてなされている何よりの証拠だった。

「ありがとう存じます」

 老婦人は柔らかく笑った。

「そうだわ。せっかくだもの、あなた、あのお酒を開けましょうよ」

 家に貴重な清酒があるという。妻の方は乗り気だが、夫の方は少し顔を曇らせた。

「ああ、あれか。あいつはもう一、二年寝かせた方が……」

「何かご不満でも?」

 老婦人が首をかしげてにっこり笑う。

「いえ、ありません」

 がたいのいい旦那は即答した。

「あの、僕たちはお酒を飲みませんから、どうぞお構いなく」

「あら、いいのよ。お気になさらないで」

 そう言って、老婦人は家の奥から酒を持ってくる。

「どうぞ」

 結局、三人とも目の前に杯を置かれてしまった。

 しかし、宝劉は酒が飲めないし、舜䋝と彩香は主君をおいて酔う訳にもいかない。

 ありがたく頂戴すべきか迷いつつ、手を付けられずにいるうちに、村長の顔が赤くなってきた。

「いや、この辺鄙な土地に劉家の方がいらっしゃるとは、本当にめでたい」

 がははと笑いながら、大きな声でそんなことを言う。

「ありがたいことです。めでたいですなぁ」

 にぎやかな裏で、彩香がこっそり村長の妻に声をかける。

「すみません、秘蔵のお酒をふるまっていただいて」

「ああ、良いんですよ」

 老婦人はおっとり言う。

「こんな時でもないと、この人お酒なんて飲みませんからね。あのお酒の桶が大きくてねぇ、もう、掃除の時に邪魔でじゃまで」

「さ、左様でございますか」

「ええ。だから申し上げましたでしょ、お気になさらないでって。こちらこそ、付き合わせてしまって申し訳ありませんねぇ」

 そんなやり取りには気付かず、村長は機嫌よく秘蔵の酒を飲んでいる。

「劉家の方にお会いできるとは。いや、めでたい」

 赤い顔で酒をあおり、めでたいめでたいと繰り返す。

「ねえ、私って、瑞獣か何かなのかしら?」

 めでたいを聞き飽きた宝劉は、隣の舜䋝に問いかける。

「田舎ですから。そういった劉家のとらえ方もあるでしょう」

 青年は苦笑し、酔った村長の相手を続けた。

「めでたいですなあ」

「そうですねぇ」

 村長の妻も、酒の席に加わる。

「このめでたい席にあやかって、雨が降ってくれるといいのですけれど……」

「雨?」

 宝劉が訊き返すと、村長は村の現状を話し始めた。

「実は、ここ二月ほど雨が降っていないのです」

「二月も、ですか」

 舜䋝が目を丸くする。

「ええ、そうなんです。そのせいで、今年の田植えが遅れていまして」

「ああ、そういうことね」

 宝劉が村に入る前に感じた違和感の正体はこれだった。宝劉の居た里ではとっくに田に水をはり田植えの準備を終えていたのに、この村の田はすべて乾いていたのだ。

「祠には毎日供え物をし、拝しているのですが……」

 村長は悲しげに嘆息する。

「この土地は、神様に見捨てられてしまったのかもしれません」

 宝劉、舜䋝、彩香の三人は、顔を見合わせた。

「私たちが、何とか頑張ってみましょうか?」

 宝劉が提案すると、村長夫妻は縋るように客人を見た。

「この状況を打開してくださるのですか?」

「うーん、解決できるかは分からないけれど……」

 宝劉はそう言って下を向く。問題を解決できると断定できないことを、申し訳なく思っていた。

「でも、農耕はこの国を支える大きな柱だもの。その一端を担う村を放っておくなんて、できないわ」

 天候を左右するのはその土地にいる神だ。神と話せる劉家ならば、何とかできるかもしれない。

 宝劉は顔を上げる。

「神と人間の関係を調整するのも、劉家の大切な仕事だもの。保証はできないけど、やるだけやってみるわ」

 それは村長夫妻より、自分に向けた言葉だった。

 翌朝、村長宅で朝食を貰った宝劉は、支度を整えて外に出た。男装に近い、美しさよりも動きやすさを重視した服装である。

「殿下がお仕事をなさるのは、久しぶりですね」

 彩香が隣でころころ笑う。

「くれぐれも、危ない事はなさらないでくださいね」

 舜䋝も帯刀して後から出てくる。

「分かってるわよ、大丈夫」

 その言葉が信用ならないことを知っている供の二人は、改めて自分たちの装備を確認し、気を引き締めた。

「さ、行くわよ」

「御意」

「御意」

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