二、深森の姫(三)

「宝劉様!」

 下から聞こえる声と悲鳴に、宝劉は固く目を閉じて衝撃を覚悟する。

 しかし実際の衝撃は、それほど大きくなかった。

「危なかった……」

 耳元で声がする。

 恐るおそる目を開けると、目の前に舜䋝の顔があった。

「あ、ありがとう……」

 たくましい腕に抱き留められた宝劉は、驚いてそれだけ言う。

 安堵の表情を見せていた舜䋝の顔が、みるみるうちに赤くなる。

「あ、ええと、し、失礼しましたっ!」

 宝劉を地面に降ろし、舜䋝は慌ててそっぽを向く。なにぶん髪が白いので、後ろから見ても赤くなった耳は目立った。

「お怪我はございませんか?」

 駆け寄ってきた彩香が、心配して宝劉に訊く。

「ええ、大丈夫。舜䋝のおかげでね」

「それは良うございました」

 彩香は宝劉の服に着いた木の葉を払いながら、安心して笑顔を見せた。

 宝劉はまた、小声で家臣たちに相談する。

「どうしましょう、降りて下さる気配が無いわ」

「陽が傾いてまいりました。このままだと、野宿の可能性もありますわねぇ……」

「それは極力避けたいところです。早く解決したいですね」

 三人がこそこそ話しているのを見て、亀の土地神は首を傾げる。

「何かあったのかの?」

「い、いえ、大した事ではございません」

 相方を心配する亀に、蛇が帰りたがらない事を伝えるのは気が引ける。

「埒が明きませんわ。もう、無理やりにでも下へ降ろさせていただいて、ご本神たちで話し合っていただくしか無いのでは?」

 彩香が言う。

「神様方の事でございます。人間が口をはさむのも、程々にしておいた方が良いのではないでしょうか」

「確かにね」

 宝劉は考え込む。

「山の生態系が崩れかけているのが気になるけれど、そこは神様方で何とかすべき問題だわ」

 自然の起こす事象に対して、人間はどうする事もできない。それに彩香の言う通り、神の問題に人間が口を出し過ぎるのも、あまりよろしくない。

「とりあえず、無理にでも降りていただくしかないわね。あの鳶失格が居なくなったら、また登るわ」

 宝劉が見上げると、巣の主はちょうど飛び立っていったところだった。

「行ってくるわ」

「いってらっしゃいませ」

「お気を付けて」

 彩香と舜䋝に見守られながら、宝劉は鳶の巣に到達する。

「土地神様、また参りました」

 どくろを巻く蛇に向かって言う。

「私と一緒に、下へ降りてはいただけませんか」

 これで嫌だと言われたら、無理にでも巣から引きずり降ろそう。

 そう思っていたのだが、返ってきたのは肯定だった。

「ああ、いいぜ。降りてやるよ」

「えっ?」

 あっさり言われ、宝劉は驚く。

「なんだ、降りてやるって言ってるだろ」

「は、はい、ありがとうございます」

 先程までの様子と違うので、宝劉は気になって訊いてみた。

「でも、どうして降りる気になってくださったのですか?」

「別に」

 蛇は舌を出し入れする。

「あいつには、やっぱり俺が必要だって思っただけさ」

「左様でございますか」

 何にせよ、解決するならありがたい。

「どうやって降りる? 俺は一人でも降りられるが、それだと多分困るんだろ?」

「え、ええ……」

 いくら相手が神とは言え、蛇に触るのは抵抗がある。改めて見ると、かなり立派な蛇であるし、できれば触れるのは遠慮しておきたかった。

 しかし、他に方法も無さそうだ。宝劉は覚悟を決める。

「私の腕に、どうぞ」

「いいのか?」

「……はい……」

 土地神に道を訊くだけのつもりが、蛇を腕に巻く羽目になってしまった。あの鳶失格を追いかけなければ、と過去の自分を恨んだが、それももう後の祭りだ。

(これは神様、蛇じゃない。これは神様、蛇じゃ……)

 宝劉は半分泣きそうになりながら、蛇を腕に巻き付けて、慎重に大木を降りていった。

「の! の!」

 亀の土地神が、喜んで声を上げる。

 それを聞きながら、蛇の土地神は宝劉に巻き付きついて、少し複雑な顔をしていた。

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