第4話 つまるところは、好きってことよ

ここ最近休日の日課になった朝釣りの成果である小魚を手土産に喫茶店リナリアのドアを開ける。


カウベルの軽やかな音が響いて、カウンターの奥からマスターが優しい笑顔を浮かべてこちらを眩しそうに見つめて来た。


お馴染みのお客さんが各々の定位置で珈琲と食事を楽しんでいる。


店に流れているのは決まって懐かしい洋楽かジャズだった。


「おはよーマスター!」


バケツを持ち上げて言った早智にグラスを棚に戻してマスターが向き直る。


「いらっしゃい。めずらしく早起きしたんだね。釣れた?」


早智の寝坊癖を知ってる人なら驚くはずだ。


休みの日の朝9時に、ちゃんと起きて動いてるだなんて。


ここ最近の健康志向に自分でもびっくりだ。


杉浦が横で笑った。


「アレやん、アレ。ちびっ子が遠足の日だけ早く起きれるヤツ」


「あんたが起こしたんやろ!」


「普段やったら絶対起きへんやん・・・」


それはもう仰る通りなので、返す言葉もございません。


朝釣りの楽しさを覚えてからは、貸し切り状態の防波堤の上でゆっくりと太陽が空高く昇って行くのを見守ることが自分の使命のように思えて来た。


ちゃんと朝が来たことを身体に伝えてよいしょと一緒に起き上がる感じ。


「・・・るさいなぁ」


バツが悪くなった早智はこれ以上肩身の狭い思いをする前にバケツをマスターに渡す事にした。


「はい、これおみやげ」


「ありがとう。さっそく何匹かフライにしようか」


「おまかせで。あと、アイツにも見せたって」


先にいつもの席に座った杉浦の言葉に、マスター朗らかに答えた。


「フライ好きだったからなー、喜ぶよ」




・・・・・・・・・・




すでにこの世にはいない、その人のことを早智は詳しく知らない。


マスターのひとり息子で、杉浦の中学時代の同級生で同じ野球部だったこと。


そして、15歳という若さで交通事故に遭ってこの世を去ってしまったということ。


知っていることはそれだけだ。


それでも、この店の常連になって4年。


マスターが早智と杉浦を見る時の表情や雰囲気でなんとなく彼が誰を思っているのかは想像がついた。


絶対に訊かれへんけど・・・


席に座ると同時に、あったかい緑茶が出てきた。


喫茶店なのに寒い時期はこうして緑茶や番茶が出て来るのは、常連客のほとんどが高齢者だからだ。



「まだこの時間だし、ゆっくりめに料理するからね。珈琲は最後がいいだろ?」


ひとまず冷えた身体を温かい緑茶であっためつつ、料理が出来上がるのをお待ちくださいということだ。


「マスター、俺こないだの南蛮風のフライが食いたい」


「ああ、アレね。了解」


「うちは、タルタルソースでお願いします」


「いつものやつね」


鷹揚に頷いたマスターが、早速バケツの中から小魚を取り出して調理を始めた。


驚くほど融通が利くのがリナリアのいいところだ。


「マスター後、デザートもお願いしまーす」


「さっきおにぎり食ったやん」


寝起きでそのまま海に向かうので、大抵杉浦が駅前のコンビニに寄って朝ご飯を仕入れてから迎えに来てくれていた。


今日の朝ご飯はおかかとしゃけのおにぎりだった。


「釣りで燃焼してもたん」


「釣りちゃうやん。1人カラオケでやろ」


杉浦の言葉に早智は眉間に皺を寄せて、灰皿を引き寄せようとした杉浦の手を叩く。


「1人カラオケ?」


マスターがキョトンとした顔で早智を見て来た。


随分馴染んだお店ではあるけれど、早智が人目を気にせず調子よく歌うのは、杉浦と一緒の時もしくはお風呂場くらいものもだ。


「知っとる曲かかるたび、大合唱やもんな」


今日もお馴染みのFMラジオから定番ソングが流れるたびに拳のマイクで楽しく歌って過ごした。


「おかげで喉も枯れるわ」


思い出し笑いをする杉浦を睨みつけて言ってやる。


「なかなか楽しいジャイアンリサイタルやったわ」


「もー笑わんでよ!ハタ迷惑やったってこと!?ジャイアンて酷ない!?」


ブスっと膨れた早智の頭を乱暴にかき混ぜて、今度こそ杉浦が灰皿を掴む。


ちっ、油断した。


彼が満面の笑みで煙草を取り出す。


「お前が唄歌えるくらい元気で安心したわ」


「はー・・・・・・さよか」


「なんやねん」


素っ気なく言い返した早智を一瞥した杉浦が紫煙を吐き出す。


そっぽ向いてニットキャップを深めに被ってやれば。


「天気が良いと歌いたくなるの分かるよ。ここはほんとに景色もいいしね。うちの奥さんも家事しながらよく鼻歌歌ってたよ」


今度はマスターが帽子の上から子供にするみたいにぽんぽん頭を優しく叩いてきた。


チラリと上目遣いで杉浦を見る。


苦笑交じりの顔で、風下に煙を流して視線を合わせてきた。


「機嫌直った」


「直ってません」


「デザートね、実は新作のがあってまだ誰にも出してないんだ。第一号になってもらおうかな」


「ほんまに?めちゃ食べたい」


「直ってるやん」


杉浦が噴き出した。


食後の楽しみにしておいてね、と言ってマスターはカウンターに戻っていった。


煙草を灰皿に押し付けた彼がぼんやりと海を眺める。


早智は、冷めた緑茶を啜った。


両手でお湯のみを握っていたら、不意に杉浦の手が伸びてきた。


ニットキャップをズボっと抜いて持って行かれる。


「寝癖直ったな」


「・・・ほんまやわ」


窓ガラスにうっすら映った自分の姿を見て気付く。


頭の形に添っておさまっている扱いにくい早智の髪。


バイト慣れたか?


浮上してきたか?


杉浦はそういうことを一切訊かない。


それでも、ちゃんと、早智のことは見てくれている。


言葉や仕草や表情から早智の気持ちを察してくれている。


だから、早智はどんどん無口になる。


彼と二人きりのときはとくに。



もっと自分を解ってもらおうとか、もっと好きになってもらおうとか、そういうことを考えずに済む。


だから、早智はどんどん楽になって呼吸がしやすくなる。


これも一種の甘えというやつなんだろうか?


愛情というよりは、家族に近い感覚を覚えているし、この人の前では遠慮せず思ったことズバズバ言うし、恥じらいも見栄もない。


だからこそ、呆れられるほどガツガツ食べて好き勝手出来るのだ。


愛情というものが、一体どんな形でどんな現象を起こすのか、本当の意味で全く理解出来ていない早智としては、この先自分の気持ちがどこに向かってゆくのか分からないけれど、小さい気持ちの変化はあっても肝心の部分は、絶対変わらないという確信があった。


この人と一緒におると楽しい。


めちゃめちゃ楽で、めちゃめちゃ楽しいねん。


「・・・どないしたん?」


怪訝そうな顔で杉浦がこちらを見てくる。


「んー楽しいなー思て」


珍しくぽろっと素直な気持ちを言葉に出来た。


空になった湯飲みを持ったまま海を眺めてニコニコしてる早智に疑惑の目を向けつつも、杉浦は安堵したような顔で笑った。


「楽しい事があるんが何よりやわ」


・・・くそっ・・うまいなあー・・・


なんて絶妙のタイミングだろうか。



「・・・楽しい?」


早智の言葉に、杉浦は頷いて何度も見てきた呆れたみたいな顔で笑った。


気易い連中にしか見せない内側の顔で。


「魚釣れたしなー」


「こんな可愛い子と朝の5時から一緒やねんで、楽しないわけあらへんわ」


「・・・そらそーや」


笑って流されるかと思ったけれど、小さく笑って杉浦がしみじみと頷いた。

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