第6話 門前のアクシデント



 ゴブリンの解体作業は、思っていたよりもあっけなく終わらせることができた。

 セレネとサテラが手伝ってくれた、というのもあるが、やはりというか、「この身体」が解体のやり方を覚えているのが大きかったのだろう。何も知らない心と、感覚を知る体との間での違和感はぬぐえなかったが、ともかく、初めての解体作業はつつがなく終了したのだった。






「――おぉ……!」


 それから再び街道へと戻り、目的の方角めがけて30分ほど歩いた頃。

 俺たち3人の眼前には、初めて訪れるにもかかわらず、非常になじみ深い外観をした、大きな「門」が――始まりの街たる城郭都市「アンファング」の入り口である、立派な門がそびえ立っていた。


「何だか久しぶりな気がしますねえ。最後に立ち寄ったのって、いつでしたっけ?」

「最後に逗留したのは、アステルが〈魔神竜まじんりゅうゼアノレイド〉の合同討伐レイドボス戦に参加してた頃だった。あれ以降は〈フィルメリア〉の周辺を拠点にしてたから、エーアスト地方自体もかなり久しぶり……だけど、アステルは最近立ち寄ってた、って言ってた」

「あぁ、さっきの〈召喚の地〉に寄るために立ち寄ってたぞ。まぁ、記憶が無いなら立ち寄ってない扱いでいいと思うけどな」


 中の人的にも懐かしい単語の飛び交う雑談を交えながら、俺たちは連れ立ってアンファングの門へと向かう。

 門の左右には、当然ながら衛兵らしき衣装の人影が立っている。彼らの前には一列に並んだ人混みがあり、どうやら入門に必要な手続きを行なっているらしかった。

 もっとも、冒険者である俺たちは、あの列に並ぶ必要はない。冒険者の身分を持つ人間は、煩雑な手続きの一切をすっ飛ばして、手軽に街の内外を行き来することができるのだ。

 目配せを交わし、俺たちは列の横合いをすり抜けようとして――


「あれ……?」


 同時に耳朶を叩く、どうにも不安そうなセレネの声に、思わず足を止めることとなった。


「セレネ?」というサテラの呼びかけにも答えず、当のセレネはぱたぱたと両の手をせわしなく移動させ、自分の全身をまさぐる。

 まるで何かを探しているような動きを見せた後、こちらを向いたセレネの顔は――常に柔和な顔を崩さない彼女にしては珍しく、青ざめた、憔悴しきっていた表情で。


「……無い、です」

「無い?」

「冒険者証が……無いんです……!」


 続くセレネの一言に、俺とサテラは揃って驚くこととなった。


 冒険者証とはその名の通り、冒険者であることを示すためのカード型のアイテムだ。

〈アドベンチャラープレート〉なんてルビを振られることもあるそれは、ゲーム中においてはいわゆる「自己紹介カード」機能を担うシステムだった。一言メッセージやキャラの自画像、その他プロフィールなどを記載して他のプレイヤーに見てもらうという、言ってしまえばゲーム本編とは無関係なおしゃれ要素の一つとしても活用される代物でもあったのだ。


 一方、ルクシアという世界ゲーム内設定においては、この冒険者証は文字通り、持ち主が冒険者であることを証明する「身分証」として扱われている。

 これを衛兵に提示することで、煩雑な入門手続きをまとめてすっ飛ばせるという利点もあるのだが、何より大事なのは、依頼を受けるためにも提示する必要があるということ。つまるところ、これがなければ冒険者としての活動が出来なくなるので、紛失となると非常に由々しき事態だった。


「ど、ど、どうしましょう……?! ああぁ、私としたことがなんてことを……」

「と、とりあえず落ち着いて。……どこかで落としたとか、心当たりはあるか?」

「それが、全く……いつも内ポケットにしまっているので、そうそうどこかに飛んでいくなんてことはないはずなんですけども……」

「わたしも、道中で何かが落ちたような音とかは聞こえなかった。セレネは戦闘もしてないから、激しく動いて落としたとも考えづらい、と思う」


 三人そろって頭をひねるが、紛失した理由も場所も判然としない以上、頭を働かせても答えは出てこない。


「……冒険者証の再発行って、受け付けてるんだったっけか?」


 そう問うと、サテラが難しい表情で口を開く。


「ギルドの規約には『冒険者登録は何度でも可能だが、登録済みの状態で新たに登録を行った場合、再登録以前の実績や、提携銀行に貯蓄していた預金などは全て別人のもの扱いになって、引き継ぐことはできない』っていう感じの文章が書いてあった。だから、再発行っていうよりは、別の冒険者証を新しく作成する、っていう方が正しい、と思う」

「実質、全部リセットしてゼロからの再スタート、ってことか……なるほどなぁ」


 ただ再登録するだけなら別に構うこともなかったのだが、これまで積み立てた何もかもが白紙になってしまうと聞けば、そう易々と肯定するのは難しくなる。


 なにせ、俺たち三人の積み立てた功績アチーブメントの数はかなりの数に登る。それが消えるということはつまり、功績に応じて得られていた特典――例えば提携店舗での割引や貴重なアイテムの融通、美味しい依頼の優先請負権などといったメリットも、全て消えてしまうということなのだ。


 加えて、冒険者ギルドは各地の銀行施設とも提携を結んでおり、冒険者証を使っての預金なんかも受け付けていた。俺たちもまた例に漏れず、懐に抱えきれなかった相当額の資産を預けていたのだが、再登録すればそれらも全て失われてしまう。そう考えると、再登録は結構な痛手と言えるのだ。




「……二人とも。俺としては、セレネさえ構わないなら、再登録して一からやり直しでも構わないと思ってるんだが、どうだ?」


 考えうるデメリットを脳内で列挙していた俺は、しかしそこで二人にそう提案する。


 ……ただ、正直なところ、広大なエーアスト平原の中で、手のひらサイズのプレートを捜索するなど、無謀の極みと言っていい。

 まして、どこに落ちているのかも、そもそも落としたのかどうかもわからないものを探す以上、無限に徒労を重ねるだけになる可能性も大いにあり得るのだ。そう考えると、とてもじゃないが捜索に時間を費やすのは無駄だろう。


 それに、積み立てた功績も稼いできた財産も、言ってしまえば「取り返しがつくもの」なのだ。

 むろん、紛失前のものをそっくりそのまま、というわけにはいかないが、ぶっちゃけた話、血眼になって固執するほどのものというわけではないのだ。


「はい、私は大丈夫です。もともと功績なんてあんまり興味ないですし、取り返しのつくもののためにこれ以上迷惑をかけるのも気が引けますので……」


 俺の問いかけに、当事者であるセレネは、やや遠慮がちに頷いてみせる。

 彼女の口から語られる理由は、今しがた俺が考えたものとほぼ同じ内容。どうやら、考えていた内容は似たようなものだったらしい。


「迷惑とは思わないけど……まぁともかく、そう言ってくれるなら、セレネは再登録の方向で行こうか。さすがに、このだだっ広い平原で見つかるかもわからないものを捜索するのは無謀だからな」

「はい、了解です。……はぁ、ごめんなさい。我ながらなんて失態を……」

「気に病むことじゃないよ、冒険者ができなくなったわけでもないんだしさ。だろ、サテラ?」

「ん、その通り。昔、アステルが飛空戦艦の認証鍵を無くした時に比べれば、このくらいなんてことない」

「おま……その話を蒸し返すのはやめてくれ……」


 忘れてしまいたい黒歴史――飛空戦艦と呼ばれる乗り物の解放用アイテムを受け取ったものの、インベントリが満杯で別の倉庫に贈られていたことに気づかず、早とちりで運営に問い合わせようとしたという出来事があった――をつつかれ、思わず頬が引きつってしまう。

 サテラ的には、失態を犯して落ち込むセレネを励ましているつもりなのだろうが、そこで取り上げる失敗談が自分のものでなく俺のものというあたり、なかなかいい性格をしている。たしかに、「アステルに対しては良くも悪くも遠慮しない」なんて脳内設定を書き連ねた覚えはあるが、実際にそんな一面を垣間見せられると、怒る以前に感動すら覚えてしまった。


「ま、まぁとにかくだ。そういうことだし、こんな小さなことで責める気はさすがにないよ」

「そういうこと。だから、落ち込む必要はない」

「二人とも……ありがとうございます」


 安堵したように礼を述べるセレネに今一度笑いかけてから、セレネに付き添う形で、改めて順番待ちに入る。

 付き添いとはいえ、俺とサテラまで煩雑な手続きを受ける必要はない。手持ちの冒険者証を見せて、あとは街の中でセレネのことを待っていれば――


「……あれ」


 そこで、ひやりと嫌な汗が背筋を伝う。

 無駄に細かい脳内設定に則れば、冒険者証は常に上着の内ポケットに入れていたはず。しかし、服の上から該当箇所を叩いても、帰ってくるのは無機物の感触ではなく、自分の胸板を叩く感覚だけ。――つまるところ、そこにあるはずの物体の感触がないのだ。


 まさか、と考え、隣で冒険者証を準備しているはずのサテラの方を向き直ると、今まさに俺を見やろうとしたサテラと、ばっちり目が合う。

 無機質な虹彩を宿す蒼の瞳には、先ほどセレネがしていたような――あるいは今の俺と同じような、困惑と憔悴の色が浮かんでいた。


「……アステル」

「奇遇だな。俺も同じことを考えてた」


 背後に控えるセレネの不思議そうな視線を感じ、わしわしと頭をかきながら振り返って、ゆっくりと口を開く。


「セレネ、悪いニュースがある。……どうも、俺たち三人全員、冒険者証をなくしてるみたいだ」

「え……ええぇっ!!?」


 考えうる限り最悪と言っていい事態が現実になっていることを認識して、嫌な汗はますます量を増す。


「……流石に、ここまでくるとただ落っことした、とは考えづらいよなぁ」

「ん。いくらなんでも、全員が紛失してるのはおかしい」

「で、でもそれってつまり、私たちが召喚の地で倒れている間に、盗賊か何かに持っていかれたってことになりますよね? でも、私たち全員、冒険者証を無くしてる以外には、特になんともなってませんよ?」


 セレネの言う通り、俺たちは冒険者証こそ無くしているが、それ以外はいたっていつも通り――というかゲーム終了時の状態そのままなのだ。俺は魔導剣を携えているし、セレネやサテラの格好も至っていつも通り。貴重品も懐の道具も、それぞれが携えている得物すらそのままの状態となると、盗賊に追いはぎされたとは到底考えづらいだろう。


「じゃあ、わたしたちが倒れた時に何かがあって、冒険者証だけが消えてしまった、とか?」

「うーん、ちょっと現実味はないけど、ないとも言い切れないのがなぁ。……ともかく、こうなると本格的に冒険者証の行方は諦めるしかなさそうだな」

「ですねぇ……さすがに、みんな揃ってはちょっと予想外でした」


 困惑まじりに苦笑するセレネに同意の首肯を返しながら、俺は門前の人混みに目を向ける。

 待ち人の数はいくらか減っていたが、それでも衛兵の元に並ぶ人影は多い。この分だと、もうしばらくはここで待ちぼうけを食らうことになるだろう。


「……はぁ。まあ、なってしまった以上どうにもならないか。2人とも、全員いっしょに手続きしよう」

「ん、わかった。冒険者証も、全員で作り直し?」

「そうなるな。……さすがに、全員分の預金がまとめて吹っ飛ぶとは思ってなかったけど、こればっかりは仕方ないだろう」

「ん、仕方ない。こんなイレギュラーな事態を想定するのは、古代アレートの超文明でも無理、だと思う」

「そうですよ、仕方ないです。……なんにせよ、まだ陽の高いうちで助かりましたね」

「全くだ。迅速な行動をしてくれた過去の俺に感謝しないとな」


 冗談めかしつつ、俺たちは連れ立って列に並び始める。


 数十分の待ち時間を経て、さらにそこから数十分ほど続いた手続きをどうにか無事に終えた俺たちは、今度こそ改めて、懐かしき始まりの街へ踏み入ることになるのだった。


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