11月30日水曜日

私は里中葵さとなかあおい。あと26日で事故による網膜剥離で目が見えなくなる。今日から、何を見よう…


***


今日の天気予報は雨だ。


私は寒い時期は晴れより雨が好きだ。雨の匂いや風と共に揺らめく粒を見ていると、なんとも儚い気持ちになる。


雨だが今日は外出する。転ばないよう滑り止め付きの長靴を履き、傘を持っていざ出発だ!


***


向かう先は映画館。


雨の日はよくこの映画館に行っていた。雨の日だと部活は早く終わるので帰りに友達と映画を見たり、むしゃくしゃすると映画を見に行ってリフレッシュしたり。色々な節目をこの映画館と共に過ごして、来るたびに自分の成長を感じる場所だった。


そんな思い出の映画館も今日営業を終了してしまう。来月には取り壊されて新しいマンションが立つらしい。


雨に打たれながら何を見ようかな〜と考える。マイナーな作品しか上映されないのがこの映画の良いところ。


そうこうしているうちに映画館に着いた。私からしたら見慣れた光景だったが、きっともう見ることはできない。雨の日の通り道しか知らないのは悔いが残るな…晴れた日には乾いたアスファルトの上で映画の余韻に浸ることもできるのか。


ここで写真を1枚。さぁ、何を見よう。傘を閉じ、重いドアを開ける。


***


「ヤスさーん!お久しぶりです!」


ヤスさんはこの映画館の従業員。と言ってもヤスさんしか見たことがない。


ヤスさんは映画のチケット代をまけてくれたり、余ったポップコーンをくれたりする。


「お!とーさん!待ってたぞー!」


とーさんは私のこと。さとなかの"と"でとーさん。ヤスさんしか呼ばない呼び方だ。


「最近来ないから心配したんだぞ!ほら、とーさんの指定席。用意してるよ。」


私の指定席。それはシアター3のG列9番。


シアター1〜3の中で1番小さいシアターだ。いつも人がいないので決まってこの席で見る。


「ヤスさん、ごめんね。なかなか来れなくて。でも今日は絶対行こうと思ってたから!」


「まぁ、何があったかは分からんがとにかく今日は楽しんでくれ。なんの映画を見るかい?」


「そうね…やっぱり冬の雨の日に見るなら『precious 』かな。」


「そうだと思ってもう準備してあるぞ!最後のお客様がお前さんだなんてな。今までありがとう。」


「こちらこそだよ。ヤスさん。」


少し目が赤いヤスさん。いつもひょうきんで私の悩みも笑い飛ばして明るくしてくれるヤスさん。もうヤスさんに会えないなんて。形が違えば絶対親友になってただろう。本名も年齢も知らない。でも私の節目に立ち会ってくれたのはいつも彼女だった。ありがとうヤスさん。絶対忘れないよ。


***


『precious 』という映画は全編英語で日本語字幕の作品だ。この映画は主人公のキャロルはある日突然学校でいじめに遭い、不登校になる。そんな彼女が学校という枠に収まらず彷徨いながら、自分にとって大事なものを探し求める作品。結末は自分の経験がprecious =尊いものだという感じ。


この映画は一見どこにでもあるB級映画かと思いきや、台詞がかなり心に刺さる。


前見た時とは、状況が全く違う。私はどの様な感じ方をするんだろう。これもまさしく変化の節目だ。


***


映画が始まる。案外、流す様に見てしまう。何回も見ていると感じるものも無くなってしまうのか。


何も感じないままラストに近づく。


ラストは学力を測るテスト(模擬試験みたいなもの)を受けて、感じたことを述べるシーン。


キャロル『私は自分の弱さゆえに闘えず、逃げて学校に行かないという選択肢を選んだ。学校に行かなくて良いという事は自由になれてもっと楽しいものだと思っていたわ。』

『でも本意じゃないのに自由になることは何も生まないわ。生むのは不安と未来が見えない莫大な恐怖。』

『でもね、テストを受けてて思ったわ。私は学生なんだって。』

『テストの間のランチタイムに、みんなはテキストを読みながらママ手作りのサンドイッチを食べていた。まるで本来あるべき学生の姿を見せつける様に。』


キャロルは感極まって泣き崩れる。


キャロル『私は学生だったの。学生でいるべき時間を、苦しむことに費やしてしまったのよ。私はいじめられてる可哀想な子でも暇な人間でも自由を手に入れた若人でもない。学生なのよ。学生であるべきだったのよ。』


***


「とーさん、?そろそろ閉館するから出るぞー」


「やっぱりこの映画館で見る最後の『precious 』は一味違ったか?」


「『precious 』ってこんな映画でしたっけ?」


一度に大量の感情が浮かびすぎて処理にかなりの時間を費やした。


「 もっと、こう…感動する作品だったというか…」


「んー、私には同じに見えたけどな。まぁ最後っていう先入観もあるんじゃないのか?」


そうなのかなー、そうなのか。


とりあえず父に連絡をし、車で迎えにきてもらう。


***


「ヤスさん。本当に今日はありがとうございました。」


「こちらこそだよ!それとさ、とーさんにこれ。渡しておこうと思って。」


渡されたのはビデオテープ。黄色く黄ばんでいるシールに『プレシャス』と書いてある。


「これ…『precious 』のテープですか?こんな大事なもの良いんですか?」


「とーさんだから渡すんだよ。このテープは処分するにも名残惜しくてな。とーさんになら安心して渡せる。このテープもそれを望んでるはずさ。」


途端に涙が溢れた。もう、ヤスさんに会えない。その現実が急に襲ってくる。


「私…ヤスさんに会えて本当に良かった。ありがとうございました。」


ヤスさんの写真とビデオテープの写真も1枚。


深々とお辞儀をして映画館に、ヤスさんに別れを告げた。


***


写真をノートに貼り付ける。

色ペンで日付と天気、場所を書いてひとこと感想。


「いろんな思い出が詰まっている映画館。唯一無二の桃源郷。もらったビデオテープは大事に机に飾ることにした。ヤスさん。元気でね。」


そっとノートを閉じる。


***


私は寝る前にふと、キャロルの言葉を反芻してみる。


学生でいるべき時間…それは今の私でも言えることだ。普通の学校に通っているべき私も、いずれ盲学校に通うことになる。


私とキャロルの共通点は、仕方なく状況の変化を余儀なくされたこと。相違点は、変化するまでの心構えの時間。それを消化するために行動できる環境、かな。


私は失明することを宣告されて、落ち込んだ。莫大な不安と恐怖も襲ってきたし、今もある。でも、じゃあ目が見えるうちに見ておこう。忘れない様に心に刻もう。そうやって乗り越える時間を与えられたからなんだな、と。


9月25日以前の私だったら、キャロルも前を向こうとしてるんだね。確かに学生でいたかったよね。となるだろう。しかし、今なら分かる。抗えないことへの苦しみ、普通でいられることの安心感は大きいことを。


今、気付いた所で私にどうすることもできない。まさにキャロルと同じだ。ならせめて、今を楽しもう。目が見えなくなった後のことなど考えずに。今は見える。まだ見える。今ならまだ間に合う。


こうやって思い返させてくれた作品には感謝だ。キャロルはその後、どうやって人生を歩んだんだろう。アフターストーリーっていうのかな?


私は知らぬ間にこんなにもこの作品に没入していたのか。気づくと空は明るくなり始めている。


こういう時は寝なきゃ!ではなく寝かせてくださいと祈るのが良いらしい。


寝かせてください。できればキャロルのその後を教えてください。


そう祈りながら、目を閉じる。


つづく







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