4.


「人間は死んだら、天国という所へ行くのか?」


 一つのテーブルを挟んで、俺の真向かいに座ったアシュタロトが唐突にそう尋ねてきた。

 こいつとジルッダが城に住み出してから、五日目の午後だった。書庫に合ったドラフツを引っ張り出してきて、ルールを覚えたアシュタロトと差している最中でもあった。


「ああ。その話、どこで読んだ?」

「聖書だ」

「読めるのか」

「読むだけならば、問題はない」


 盤上をじっと見つめたまま、アシュタロトがそう話す。

 書庫で本を読んだり、ドラフツを教えてくれと言ってきたりと、こいつは人間の文化を積極的に知ろうとする。聖書を読むことにも、精神的な抵抗はなかっただろう。


「俺が聞いたところによると、この世に未練を残した魂は、幽霊となるらしいが」

「見たことはあるのか?」

「ない。霊が見えるかどうかは、特別な才能が必要らしい」

「成程」


 深く頷いてから、駒をこちらの陣へ進めるアシュタロト。まだ、俺に一度も勝てていないからなのか、片手間に話しつつ、表情は真剣だ。

 死後の世界の話をしたので、俺はずっと悪魔について疑問に思っていたことを、彼にぶつけてみた。


「悪魔は不老不死なのか?」

「いや、年も取るし、死にもする」

「年取っている自覚はないが」

「寿命が千年あるからな。三百年だと、見た目上はあまり変化のないように見えるだろう」

「死ぬことも出来るのか? どんな怪我をしても治ったんだが」


 悪魔になったばかりの頃は、兎に角死のうと色々試してみた。心臓を剣で突き刺したり、崖から飛び降りたり、食事を断って餓死を目指したり。

 だが、死ねなかった。致命傷に対しては、一瞬意識が飛ぶが、目を覚ますと、それらは綺麗に消え失せていた。


「怪我に関しては、魔力によって再生するからな。逆を言えば、魔力の元を断ってしまえば、再生は出来ない」

「つまり、両目を潰せば、死ぬと?」


 アシュタロトは無言で首肯したが、不意にこちらへ顔を上げて、しまったと言いたげに顔を顰めた。


「これは言うべきではなかったな」

「もう試そうとは思わないから。ジルッダが悲しむ」


 今日も甲斐甲斐しく家事をしてくれているジルッダの姿を想像しながら、そう苦笑すると、アシュタロトはほっとした様子だった。


「だが、そのように死んでも、再び悪魔に生まれ変わるだけに過ぎない。よって、辞めておいた方がいい」

「何でだ? 死んでおしまい、ではないのか?」

「悪魔になるというのは、体の変化もあるが、それ以上に魂の変化である。つまりは、魂自体が魔力を含んでしまっているということだ。その点が、体の方が変化してしまった異種族との違いだろう」

「ふうん」


 俺に奪われた駒を、恨めしそうに見つめていたアシュタロトは、「ああ」と思い出したかのように呟いた。


「聖職者に浄化されることもある。あれは、生まれ変わりも出来ず、完全に魂ごと消滅してしまうことを指すが」

「それを浄化と呼ぶのか。酷い皮肉だな」

「我々は、元来人類の敵であったからな。そのような扱いも、致し方ない」


 怒るわけでもなく、アシュタロトは淡々と受け止める。それよりも、今のゲームの方が大切だと言いたげだ。こいつにとって、悪魔であり続けることは、揺ぎ無い事実なのだろう。

 仇敵とこうして、会話しながら遊んでいる姿を見られたら、殺された街の人々は怒り狂うだろうなと不意に思う。ただ、こいつに対して毒気を抜かれているのも事実だ。知れば知るほど、自分とは異なる生き物だと思っているからかもしれない。


「聖職者に浄化されそうになった時、咄嗟に逃げてしまったのは、消えたくないと心の底で思っていたからなのか」

「そうだな。私も浄化された同胞を見たことあるが、あれほど恐ろしい光景はない……あっ」


 俺がこいつの最後の駒を奪い、勝利を収めた。にやにや笑いながら、奪い取ったばかりの駒を放り投げていると、アシュタロトは悔しそうに次のゲームの準備をする。


「まだやるのか」

「ああ、今日こそ、勝利を収めたい」

「子供っぽいところあるよな、お前って」

「スピキオ様、アシュタロト様、お茶が入りました」


 そんな俺たちの前に、ジルッダが紅茶のセットをワゴンに載せて入ってきた。スコーンも焼いていて、そのいい匂いがこちらまで漂ってくる。

 目が見えていないとは思えないほど、彼女は真っ直ぐこちらのテーブルに向かう。器用だなと見ている俺の脇で、アシュタロトはテーブルの盤を片付けていた。


「ん? やらねぇのか?」

「ああ。たまには二人でゆっくりするといい」

「あっ、お前」


 変な気を遣うな、そう言いかけたが、アシュタロトはさっさと部屋を出て行った。

 残されて、恥ずかしそうにしているジルッダに、俺は「えーと」と声を掛ける。振り返ると、彼女と二人きりになるのは、初日の夕方以来だった。


「ジルッダ、折角なら、俺の隣に座ってくれ」

「では、失礼しまして」


 紅茶とスコーンをテーブルの上に並べた後、ジルッダは手探りで椅子の位置を見つけると、ちょこんとそれに腰掛けた。

 俺はそれを眺めながら、入れたての紅茶を口に付ける。いつもよりも強い香りが鼻から抜けて行って、驚いてしまった。


「ちょっと味が違うな」

「ええ。茶葉を多めにしてみたんです」

「俺はこっちのほうが好きだ」

「ありがとうございます」


 ジルッダも嬉しそうに微笑んで、紅茶を飲んでみた。自身も納得いく味のようで、ほっとした表情を見せる。

 スコーンも食べてみる。しっとりとした生地で、甘さが控えめだ。付け合わせに、オレンジや苺のジャムもある。とはいえ、この量は……。


「スコーン、作り過ぎじゃないか?」

「すみません。生地をこねるのが楽しくて、オーブンにもたくさん入れられるので」

「今度から、加減してくれよ」


 こそばゆそうにジルッダが話すのに対して、笑ってしまう。俺もアシュタロトも、甘いものは食えるが大好物という訳でもないので、茶会のスコーンは毎度無理やり詰め込んでいる部分がある。


「……俺が人間に戻れたら、町で菓子屋をやろうか?」


 敢えて、「もしも」という言葉は加えなかった。途端に、ジルッダの顔がぱっと明るくなった。


「素晴らしい夢ですね。……でも、盲目の料理人なんて、歓迎されるでしょうか?」

「こんなに旨いものを作れるんだから、関係ないさ」

「スピキオ様とお話していると、明るい未来を素直に信じたくなりますね」

「そりゃあ、有り難い」


 二人で笑い合いながらそう話す。ここ数日間で、一番距離が近くなったようだ。

 ただ、こうして話している合間でも、ガラス一枚分のような、透明な隔たりを感じる。俺は、思い切ってジルッダに頼んだ。


「ジルッダ、頼みがある」

「何でしょうか?」

「俺に対して、敬語を使うのは止めてほしい」

「はい……あ、いえ、ううん、分かったわ」


 口調が可笑しくなりながらも、ジルッダはすぐにそれに応じてくれた。

 その様子が可愛らしくて、顔が緩んでしまいそうだが、俺にはもう一つ言いたいことがある。相手に見えていなくとも、真剣な顔を作り、そっと告げた。


「もう一つ、頼みがある」

「何かしら」

「ここでは、無理に笑わなくてもいい」

「あ……」


 家事をしている時もずっと、ジルッダが微笑んでいることがずっと気にかかっていた。毎日毎日、楽しいことばかりではないだろうに。

 俺の頼みを聞いて、ジルッダは初めて大きく目を見開いた。美しい藍色の瞳が、みるみる潤んで、涙が零れだすので、俺は慌ててしまう。


「わ、悪い。嫌だったら、全然無視してもらっても、」

「い、いえ、ううん。私、嬉しいんです……嬉しいの」


 涙を拭きとらずに、ジルッダは微笑む。涙と同じように、自然と零れ落ちたかのような笑顔だった。


「お母さんに、ずっと言われていたから……。誰にも疎まれないように、いつも愛想よくしなさいって」

「……笑顔の有無で、疎むわけないだろ。ずっと、俺が疎まれる方だったんだから」


 その辛さは想像がつく。胸を絞られているかのような苦しさと共に、そう吐き出すと、ジルッダは激しく何度も頷いた。

 どれだけ我慢していたのだろう。彼女の母の言葉は間違っていないとは思うが、誰にも弱さを見せられなかった時間を想うと、なんと声を掛ければいいのか分からない。俺は黙ったままで、泣き続けるジルッダを見ていた。


 しばらくして、ハンカチで涙を拭き、鼻をかんだジルッダは、その藍色の瞳で、俺を見上げて口を開いた。


「……スピキオさん、私からも、一つだけ、お願いしてもいい?」

「一つだけでいいのか? 無欲だな」

「貴方に触れてみたい」


 からかうように笑っていたのが、彼女の一言で引っ込んだ。次の言葉すら、喉に張り付いて離れない。

 彼女に触れるようなことは、全てアシュタロトに任せていた。単純に、怖かった。彼女に改めて、人間ではないのだと意識させたくなかった。


「スピキオさん?」

「――あ、いや、そうだな。自分だけ、一方的に頼み込むのなんて、卑怯だよな」

「いいの。急なお願いだったから、無理しなくても、」

「違う。無理じゃない。君に触れてほしい」


 覚悟を決めた俺は、そう言い切った。今は、歩み寄ってくれた彼女を信用するべきだ。

 ジルッダに、テーブルの上に左手を置いてもらった。その上に、俺の右手を重ねる。たわしのような剛毛で触れられても、ジルッダは身動きせず、むしろ目を閉じて、俺の手を受け入れていた。


「大きくて、とても温かい手だね」

「……そうか」

「今度は、抱きしめてもらってもいい?」

「大胆だな」


 躊躇せずに立ち上がり、こちらへ両手を広げたジルッダに、俺は苦笑してしまう。さっきは無欲だと言ったが、欲張りなのは彼女のほうなのかもしれない。

 俺も立ち上がり、屈みこんで、彼女を包むように抱き締める。あまりに小さくて、心細いほど薄いその体に、愛おしさが止まらなくなっていた。


「スピキオさんの心臓の音が聞こえる……」

「俺も、ジルッダの心音が聞こえてるよ」


 俺の胸に顔を埋めたジルッダの、くぐもった声が小さく聞こえた。


「私たちって、生きているんだね」

「ああ……」


 当たり前すぎることを確認し合って、俺たちは長いこと抱き合っていた。

 温かい涙のようなものが、胸の内にこんこんと湧き上がるのを感じながら。
















































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