16 ひび割れた道

 晃大が北園の家を出て、一人暮らしを初めてからちょうど一週間後の木曜日、義行はリハビリセンターへ入所した。

 経過は順調で、一ヶ月後には家に戻れるかもしれないと大和は言っていた。

 大和は今日も午前中は仕事をし、午後から抜け出して少し様子を見にいくようだが、晃大は付き添うのをやめた。

 仕事が忙しいのと、美晴が途中で合流すると聞き、次の機会に回すことにした。

 「お昼休憩行ってきます」

 晃大は、北園の家で暮らしていた頃は、昼食は家に帰って食べていたが、一人暮らしを始めてからは、あまり食欲もなく、コンビニで買ったサンドウィッチやおにぎりなどで済ませることが多くなった。

 今日もチーズやハムを挟んだだけのパンを買い、3階の休憩室で食べていた。

 半分くらいまで食べてもう食欲がなくなり、パンを包み直し席を立った。

 飲みかけの牛乳パックのストローを咥えて振り返ると、松原が来て隣の椅子に腰をかけ、手作り弁当を広げながら声をかけてきた。

 「最近ここで食べてるよね。なんで家に帰らないの? すぐ上だし、そっちのほうが楽じゃない?」

 「……ああ、うん、実は家を出たんだよ」

 「え? 一人暮らし始めたの?」

 「そう……なんだ」

 「あ、大和さん結婚するから? でも、家めっちゃ広いし、空いてる部屋いっぱいあるなら、出なくてもよかったんじゃないの?」

 「まあ、色々あって。ほら、僕ももういい歳だし、独立しないと」

 「ふーん、そっか」

 松原はそれから、弁当を摘みながら、ゲームの話をし出した。

 ポケットからスマホを取り出し、晃大にゲーム画面を見せ、あれこれ説明をする。

 「これがシュートした時に、もらえるアイテムが凄いレアでさ、ずっと狙ってるんだけどなかなか手に入らなくて……ねえ、聞いてる?」

 「ああ、うん……」

 晃大は椅子に座り直し、手の中にある残りのパンを惰性で食べながら、松原の手元のスマホを覗き込んだ。

 画面を見ているはずなのに、焦点がなかなか合わない、心ここにあらずの状態で、松原の熱心な説明をうつろに聞いている。

 急に声がしなくなり、ふと顔を上げると、松原と視線が合った。

 その鋭い眼差しに、どきりとする。

 「何かあった?」

 「……別に何も?」

 「だって、頬、コケてんじゃん。ちゃんと食べてないんじゃないの? 昨日も見てたけど、おむすび一個だけだったよね? 社長のこと心配だから? それとも大和さんに何か言われた?」

 「伯父さんのことは心配だけど、でも順調に回復しているって聞いてるし、大和とはいつも通りで、特に何も……」

 「ふーん……そうなんだ。あ、ゲームのアプリ入れてあげる。最初は無料だから、気に入ったら登録するといいよ」

 「う、うん……」

 晃大は促されるまま、スマホを松原に渡した。

 松原は受け取ったスマホの画面を見て、「やっぱり」と一言呟くと、それを晃大に見せながら、こう言った。

 「この画面の写真、あの人じゃないよね」

 「あ……! 返して!」

 慌てて松原からスマホを奪うように掴み取った晃大は、コンビニ袋を掴んで、急いで立ち去ろうとした。

 「待って! もしかして、あの人が原因なんじゃないの?」

 その言葉に、晃大の体がびくりと揺れた。

 松原は、心配そうな声で問いかける。

 「前に、特別だって言ってたよね、あの人のこと。どうしたの?」

 「どうって……親友をやめた。僕が会わないと決めた」

 「自分から決めたわりには元気ないよね。ほんとは離れたくなかったとか?」

 「仕方がないよ。僕のわがままに付き合わせるわけにはいかないし」

 「もしかして、あの人のこと、好きなんじゃないの? 親友じゃなくて、恋愛対象として見てたんじゃない?」

 「は……? 何言ってるの? 違うよ、そういうのじゃない。な、なんていうか、大和と同じなんだよ。ずっと味方でいてくれて、絶対に裏切らない。僕が何をしても、許してくれる……そういう存在で……」

 「じゃあさ、俺がその人を盗っちゃっても平気だよね? 恋愛感情でないなら問題ないよね? 連絡先教えてよ。写真を見た時から思ってたんだよね。セクシーだし、どんな顔でキスするのかなーって。上手そうだよね、他にも色々と……」

 「……ごめん、番号は本人の許可がないと。誠はこの近所のベース機器に勤めてるから、会おうと思えばすぐに会えるよ。僕、もう行くね」

 よろよろと力なく歩く晃大の後ろ姿を、松原は不満げに眺め、スマホのゲーム画面を閉じた。

 (全く、素直じゃないな。俺に彼女がいるの知ってるはずなのに、ちょっと誘導しただけであんなに動揺して。

 でも、これくらい言わないと、きっとずっと自分の気持ちに気づかないだろうな、鈍すぎて。

 にしても、バレバレなんだよね。前にスマホ覗いた時、顔に書いてあったから「僕の男です」って。

 ご丁寧に、あの人の勤め先まで教えてくれて。あれって、

 「盗れるものなら盗ってみろ」

 ってことだよね? ほんと、無自覚ほど怖いものはないな。

 だけど、これで少しは前に進めそうかな。

 晃大君、俺は「気づき」のアイテムを君にギフトしたよ。それを使ってどう進むかは、君次第だから。

 人生はゲームさ。楽しんだ者勝ちなんだよ)


 「はぁ……」

 松原の、陰の後押しなど知る由もない晃大は、階段を降りながら、彼の言葉を繰り返し考え、ため息をついた。

 恋愛対象……というのは、全く意識していなかった。

 誠に触れられない限り、どうにもならないことの先など、考える余裕すらなかったからだ。

 しかし、本心ではどうだったのか?

 以前、誠に聞かれた「誰かに触れられたいと思ったことはあるか」という問いに、「忘れた」と答えた。

 その時は、ほんとうは「誠」を思い浮かべたのに、咄嗟に嘘をついて隠した。

 親友としての好きと、恋愛の好きの区別はどこなのか、あの時は分からなかった。

 階段の踊り場で、スマホの写真を見る。

 誠との写真が何枚も何枚も保存されている。

 削除しようとしても、ずっと消せなかった、たくさんの思い出。

 なぜ、どうして、消せない理由は……?

 (どうしよう……気持ちが悪くなってきた……)

 スマホをポケットに入れ、階段を降りようとするが、足が動かない。

 急に動悸が激しくなり、冷や汗が滲み出てくる。

 次いで吐き気がし、たまらず屈み込んだ。

 それから、目の前が暗くなり、そこで意識を失ってしまった。



 すうっと目の前が明るくなり、目を開けると、見たこともない天井があった。

 「あれ……?」

 横を向くと大和が丸椅子に腰掛けていて、晃大が目覚めたことに気がつくと、すぐに声をかけてきた。

 「気分はどうだ?」

 「うん、平気。全然いいよ……」

 腕には針がついていて、吊り下げられた点滴パックはだいぶ減っている。

 その時初めて、そこが病院だと分かった。

 「今、先生を呼んでくる」

 大和が安心したように笑み、そっと病室を出て行った。

 まだ少しだけぼんやりとしているが、気持ち悪さはもう消えていた。

 その後、看護師が針を抜いてくれ、医師も問題がないと言うので、帰ることが出来た。

 帰りの車の中で、晃大はとにかく大和に謝った。

 「ごめん。もしかして、ここまで運んでくれた?」

 「そうだよ。階段の踊り場で倒れてるって知らされて、ここの診療所に連れてきた。お前、貧血だなんて、ちゃんと食ってなかったんじゃないか? 抱き上げた時、前より軽かったぞ? まあ、点滴で済んでよかったよ。階段降りてる最中に倒れたら、大怪我するところだった」

 「うん……気をつけるよ……」

 「やっぱり、一人暮らしは無理だ。帰って来い」

 「だめ、それだけは出来ない。帰りたくない」

 「だったら、ちゃんと食え。今度同じことが起きたら、嫌でも連れ戻すからな、いいか?」

 「分かったよ。ちゃんとする……」

 「それにしても、今回点滴抜くとき、思ったよりも苦しまずに済んだな? もしかしたらあの症状が良くなってるんじゃないか? よかったな」

 「う、うん……」

 (でも、そうだとしても、それはきっと誠のおかげなんだ。誠が一生懸命に僕に向き合ってくれて、普通に人と接することが出来るはずだって教えてくれたから、だから……)

 それから晃大は一度職場に戻り、早退届を出して家に戻った。

 点滴をしたおかげで体が軽くなり、今までの倦怠感はなくなったが、シャワーを浴びても何もやる気が起きず、床に座りうすぼんやりとベッドに寄りかかる。

 考えることは沢山あるのに、全く頭が回らない。

 それなのに、浮かぶのは誠の顔、何気ない仕草、そして、かけてくれた優しい言葉の数々。

 思い出すたびに消して、消してはまた思い出す。その繰り返しで嫌になる。

 もし、この止まらない誠へ気持ちが恋愛感情というのなら、それはいつからなのだろうか。

 再会した時から少しずつ変化していったのは間違いないが、自分でもはっきりとした区切りが分からない。

 松原は「キス」という言葉を出していた。

 今まで誠とキスをしたいと思ったことはなかった。いいや、手さえ繋げないのに、キスをしたいなどと考えることは不可能だった。

 だが、例えばこの気持ちが、恋愛の好きだとしてもだ。どちらにしても、一切の関係を切ってしまった今となっては、何もかもがもう遅い。

(きっと望みすぎたんだ……)

 晃大は床の上で、一人ぼんやりとしていた。

 誠のことはもう考えるのはやめよう、そう思い目を閉じる。

 それから一時間くらい過ぎた頃、着信があった。

 (もしかして……!)

 慌ててスマホを確認すると、誠からだった。

 嬉しくて、嬉しくて、胸が痛いくらいに締め付けられる。

 しかし次の瞬間、とハッと我に返り、電話に出ることを拒んだ。

 もし、このまま誠の声を聞いてしまったら、耐えられなくなり、この気持ちを伝えてしまうかもしれない。そうなればきっと、誠は優しさでその気がないのに恋人役も引き受けてしまうだろう。そして、なし崩しに甘えてしまう。

 松原が言うように、この気持ちが恋愛感情というなら尚更、絶対にこの気持ちは伝えてはいけなかった。

 晃大は震える手で、電源を切った。

 その瞬間、悲しさが一気に湧き上がる。

 「誠のために」と呪文のように繰り返し自分に言い聞かせるが、気づいてしまったほんとうの気持ちが、それを否定する。

 会いたい。

 話がしたい。

 だって、こんなに好きなんだから。

 誠に触れたい。

 抱きしめて欲しい。

 でも……怖い……。

 結局、この体では、何も進まない。

 だから、好きになっても意味がない。

 いつまでこれを繰り返すのだろう。

 だったら、早く忘れてしまいたい……誠のいない世界に行きたい……再会する前に戻りたい……。

 冷たい床に横になり、視線の先の玄関の扉に、絶対に来ることのないその人を思い浮かべる。

 もう、無理なんだ。

 最後に名前を呼んで、終わりにしよう。

 「……誠」



 晃大との突然の別れ。

 あれから四週間が経っていた。

 晃大の職場を素通りして出勤するのも、日常になりつつある。

 誠はデスクで、今日、三度目のため息をついた。

 隣の席の大和田は、その様子に見て見ぬ振りで、PCに向かいものすごいスピードで仕事を処理し続けていた。

 声をかけず黙っているのは、彼女なりの優しさだ。

 以前、大和田が仕事で精神的に追い詰められていた時、誠は余計なことを言わずに、サポートしてくれていたのを、今も恩に着ている。

 対して、後ろの席の白石は、相談に乗りたくてうずうずしていた。今もどのタイミングで飲みに誘おうかと、ちらちら脇を見たり、要らぬ咳などで落ち着かない。

 白石は席を立ったついでに、さりげなく声をかけてみた。

 「今日、仕事終わったら、ちょっと付き合わないか?」

 誠は少し考える様子をみせた後、

 「すみません。今酒を絶っているので……」

 抑揚のない声で断った。

 「そうか。いや、いいんだ。また今度な」

 「はい」

 仕事の内容に問題はないが、とにかく誠に覇気を感じない。

 白石は上司としてそのわけを強引に聞き出すか、それとも相談が来るまで放っておくかと、迷っていた。

 それぞれが思いやりながら、適度な間合いを考えている。

 誠はそれを肌で感じ申し訳なく、そして有り難く思っていた。

 「お疲れ様でした」

 終業時間になり、デスクの上をきっちりと整えて、誠は一階エントランスへ向かった。

 気落ちしたままエレベーターを降り、出入り口へ歩き出すと、一人の男が誠に近づいてきた。

 細身でタイトなスーツに、肩までの髪を後ろで束ねた、見慣れた顔がにこりと笑う。

 「ま、こ、と!」

 「和馬!? どうした?」

 「仕事でこっち来たから、これから一緒にご飯でも食べに行こうかなーと思って。あ、もちろんアキ君も誘いに行くよ!」

 晃大の名前を聞いた途端、誠は青ざめて、がっくりと肩を落とした。

 「……何? なんかあった?」

 「ごめん。俺は行けない。二人で行って」

 「あ? 何でよ」

 「……晃大に絶交された」

 「ん? 待って、どういうこと? ありえないでしょ」

 とぼとぼと歩き出す誠を追いかけながら、和馬はわけを聞き出そうと、彼の肩に手をかけた。

 「あんたから別れるわけないよね。アキ君から言われたの?」

 「……そうだよ」

 「あーん? 全然分かんない。今から誠の家に行っていい? そこで聞かせて。このままじゃ帰れないよ、私」

 「分かった。家で話すよ……」

 駅までの道の途中で晃大の会社が見えると、誠は大きなため息をついて通り過ぎていく。

 横で見ていてもわかるくらい気落ちして、電車に乗っている時も、駅から家までの道でも、誠は一言も話さなかった。

 家に着いてから誠は、冷蔵庫の中のありのもので二人分の夕飯を作り、和馬と食べ始めた。

 「ありがと……」

 食事中も特に会話が無く、食べ終わると、誠は和馬に、

 「どうする? 酒飲みたかったんだろ? あるけど?」

 と、聞いてきた。 

 「うん、頂こうかな」

 ソファに座った和馬に、誠がワインのボトルとグラスを一つ用意する。

 「誠は? 飲まないの?」

 「ああ、俺はいいや」

 「そう……? じゃあ、私だけ飲もうかな」

 ワインを注いでもらい、飲み始めた和馬がまず聞きかったのは、絶交の理由だった。

 それには誠も、うーんと唸り、

 「それが、よく分からないんだよ」

 ぼそりと言った。

 「でも、何て言ってたの?」

 「俺の将来のために別れるって。晃大と一緒にいなければ、俺に恋人が出来るからとか。でも、これは大和さんに言われたらしいんだ。俺は一緒にいたいから気にするなって言ったんだけど、気を使ったみたいで」

 「あーそれ、誠がアキ君に告白してないから、誤解されたんだね……。でも、いきなり告白はまずいか。ほら、私があんたに告白した時も、友達からいきなり言っちゃったからさ。する側の気持ちは一番よくわかるわ」

 「そうなんだ。あの時、された側の俺は、和馬のことをすぐには理解できずに動揺してしまったから……」

「うん、そうだったよね……。伝えるのは、もっと落ち着いた時じゃないと難しいよね」

「それに、そもそも俺が一緒にいるのは、告白が目的じゃない。そこを誤解されたくはなかった。晃大が誰にでも普通に、触れたり触れられたり出来るようになるのが、俺の望みなんだ。俺の気持ちは最後でいいんだ」

 「そっか……。他には、何か言われた?」

 「そうだな……。晃大は今まで大和さんにも触れられなかったのに、この先、俺でどうにかなるとは思えないって」

 「なるほど。アキ君の基準って、大和さんなんだ。誠は大和さんの次、くらいなんじゃない?」

 「いや、次どころか、俺、狼だって」

 「何? 狼って」

 「晃大は周りの人間を狼に感じているらしい。いつ傷つけられるか、襲われるか分からなくて怖いって。俺にも怖くて触れられないって」

 「アキ君……それは可哀想だね......」

 「俺も、まさかそんな風に感じていたなんて、ショックだったよ」

 「仕方がないと思う。だって、それだけ過酷だったんだから」

 「俺は全く分かっていなかった。前に進むことしか考えてなくて、晃大が辛くて立ち止まりたい時も、無理に背中を押してたんだ」

うなだれ、誠の握った拳は、悔しさで震えている。

 「大丈夫? アキ君の心配し過ぎて、あんたも相当ダメージ受けてんじゃないの?」

 「俺はいいんだよ、俺は……」

 「……ねえ、飲みなよ。飲んで、気分転換しよ?」

 「そんな気分じゃないんだよな」

 「いいから、いいから、ほら、飲んで!」

 和馬がグラスを用意して、誠に無理やり持たせ、ワインを注いだ。

 「考えるなら過去より、未来のことにしよ! これから、アキ君奪還会議を開始する。かんぱ〜い。ほら飲んで、もっと飲んで……!」

 「ああ……うん、そうだな」

 誠も、ここ数週間ずっと一人で悶々としていたこともあり、和馬に勧められるままに、勢いで飲んでいった。普段は深酒などしないが、もうほとんどやけで、気がつくと、和馬よりも飲んでしまったらしい。

 目がとろりとしてきて、頭もふわふわしている。

 「まずいな……だいぶ酔ってきた……」

 「いいじゃん別に。ここあんたの家なんだし、すぐ寝られるし、誰にも迷惑かけてないんだから」

 「ああ、そうだな。うん、別にいいか……。晃大、俺のこと嫌いになった? って聞いたら、好きだよって……。好きなんだって、俺のこと」

 誠はふふふと笑い、和馬の脇腹をどんと叩く。

 「痛っ! 何にやにやしてんの」

 「だって、嬉しいじゃないか。親友だとしても、好きって言ってくれた。告白が目的じゃないなんて、あんなの嘘だ。ほんとうは誰にも渡したくない。俺も好きだよ晃大。大好きで大好きなのに、なんで会えないんだよ……もう四週間だぞ? 限界だよ……大和さんの次なんて嫌だ。俺が一番になりたい……晃大に触りたい……触って欲しい」

 「触りたいだけ聞いたら、ちょっと変態っぽい、ね」

 「変態でもいい、触りたい……」

 「いや、変態はダメでしょ。ほらほら、私だったらいくらでも触っていいから」

 そう言うと和馬は、誠の持っていたワイングラスを取り上げ、テーブルへ置いた。

 それから誠の両手を持ち、自分の肩に回し、柔らかい声で囁く。

 「ねえ、アキ君にどうしたかったの……?」

 頷いた誠は、両手を和馬のYシャツの襟に添え、上からボタンをゆっくりと一つずつ外していった。

 一番下のボタンまで外すと、和馬をソファへ横倒し、シャツを広げる。      

 右手を和馬の胸に置いて、それから彼の顔を覗き込んだ。

 酔いで上気した頬、唇から酒の甘い芳香が漂い、和馬を見つめる瞳はゆらゆらと潤んでいる。

 和馬はその異様なほどの色気に、ごくりと喉を鳴らした。

 それから和馬の胸のあたりを二度ほどさらりと撫でた後、頬を彼の胸に押し当てた。

 和馬の鼓動がうるさいくらいに聞こえてくる。

 しばらくそうしていて、顔を上げた誠は、和馬のシャツのボタンを丁寧に閉めた。

 「ありがとう」

 「う、うん……」

 誠は和馬を起こしキッチンへ行くと、コップに水を注ぎ一気に飲み込んだ。   

 口元についた水分を手の甲でぐいっと拭い、一つ息を吐く。

 「晃大には、電話もメールもするな、会社や家にも来るなと言われた。でも耐えられなくなって電話したんだよ。だけど、やっぱり出なかった。それから律儀にそれらを守ってたけど、もうやめる」

 「やめるって、直接会いに行くってこと?」

 「そう。会って、俺の気持ちを伝える。実は、さっき、和馬にしたあれは、晃大が俺が眠った後にやっていたことなんだよ」

 「アキ君、触れるようになったの!?」

 「あることがきっかけで分かったんだけど、眠っている状態の人には触れられるみたいなんだ。それで、晃大がここに泊まった時に、俺で試すように頼んで、それからずっと練習をしていた」

 「えー! すごい進歩じゃん!」

 「でも、初めて触れた時は、眠っている俺に触れても意味がないって言って……」

 「一方的だから、虚しく感じちゃったのかな?」

 「そうなんだ。俺も、和馬に同じように触れて確かめたけど、やっぱり、もしお前に意識がなかったらと思うと、それ以上は……」

 「分かる。寂しいよね、自分の鼓動が相手に伝わらないのって……。もう、私なんか、誠がフェロモン出しまくって触れてくるから、めちゃくちゃ胸キュンしたー」

 「俺は、眠っているふりだったから、結構きつかったな」

 「起きてたの? アキ君に触れられている間中ずっと?」

 「体が心配だったし、反応の検証も必要だったからな」

 「あんた、よく我慢できたね」

 「嬉しかったけど、同じくらい辛かったな、思い返すと」

 「頑張ったんだね、二人とも……」

 「晃大は、泣いてたよ。初めて触れた時に、一人でこっそり……」

 「あ、あ、アキ君! やだ涙が出る……そりゃ泣くよね、それまで色々あったんだもん。小学生の頃さ、よく中学生の大和さんが学校に迎えに来ててね。あの頃って、中学生って、大人に見えたでしょ? だからアキ君、大和さんを頼りにしてたんだろうなって。それでも手も繋いでなかったし、アキ君はなるべく離れて歩いて、子供心に見てて辛かった。それがさ、眠っている時だけとはいえ、触れることが出来て、嬉しかったと思うよ、ほんとに」

 「だからこそ、このままには出来ない。晃大には悪いけど、俺、大和さんに会って話す。いや、前からそうしようとは思ってたんだ。大和さんを説得してからでないと、例え告白が出来ても、同じことの繰り返しになるからな」

 「うん、まずは身内の大和さんを味方につけないとね。でもさ、大和さんをうまく説得できても、それからアキ君に告白するんでしょ? 自信あるの?」

 「そこなんだよ……。今まで恋愛に関係する話はほとんどしてないから、望みは限りなく薄い。いや、むしろ拒絶されて全て終わる可能性が高い。でも、このままではいられないのは確かだ。とにかく、大和さんとコンタクトを取るよ。話はそこからだから」

 「じゃあさ、もし大和さんが会ってもくれないとか、不都合があったら、私も協力するから連絡して。アキ君のためだもん、絶対に幸せになって欲しいし」

 「ありがとう、和馬」

 言い切った誠の目にはしっかりと意思が戻り、迷いが消えていた。

 決心するまでに時間がかかってしまったが、後悔よりも、この先に気持ちを切り替える。

 週明けに北園商店へ電話を入れて、大和に繋いでもらおう。

 会って話ができればいいが、もし断られた場合は、また別の方法を考える。

 とにかく動かなければ、晃大が戻って来ることはない。

 思い浮かぶのは、晃大の様々な表情。

 照れたように笑ったり、恥ずかしくなって怒ったり、拗ねた時の口元は、特に愛らしかった。

 そしてこれからも、まだ知らない姿を見てみたい。

 誠は、以前小料理屋で北園からもらった名刺から、会社の番号をスマホに登録した。

 そして、写真の中の、笑顔の晃大に誓う。

 「もう少し待っていてくれ。必ず、取り戻すから……」

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