28,サイタマ危機 (上)






 戦闘モードとして運用していた、便宜上【天使化】と名付けた形態。

 この形態になると息をするだけで微弱に天力を消耗していたから、戦闘を終えると元の黒髪黒目に戻るのがベターである。しかし、どうやら【天使化】が体に馴染んだらしい。戦闘モードを解かずにいても、天力の消費がなくなったので解除する必要性を感じなかった。

 これから【教団】の人間と対面することになるのだし、天使フィフキエルと同一視されていることは分かっているが、面倒事を回避する為にも無用な差異を露わにする意味はないだろう。特に負担もないから金髪銀眼の状態を維持することを選択した。


「フィフキエル様!」


 瓦礫の山が積み上がる東京の街。いの一番に駆けつけてきたのはフィフキエルのお気に入りである戦闘シスター、エーリカ・シモンズだった。残りも少し遅れて集結してきている。

 ザッと見たところ悪魔の群れを駆逐していながら欠員は零。ロイ・アダムスほどの手練はいないが、平均的な戦力数値は人造悪魔を問題にしないレベルだろう。彼ら全員の力の根源はフィフキエルの加護、つまりは今も俺が継続している天力の付与である。彼らに与えた加護を取り上げたなら、俺のカタログスペックは大幅に上がるはずだ。

 つまり【天罰】の基本性能は俺ありきということ。俺が加護を取り上げたなら、なんら脅威にはなりえない。そんな確信があるからエーリカ達を迎え入れるのに不安を感じることはなかった。


 どう対処したものかと頭を悩ませつつ、眼前で跪いた33名を見据える。部隊員の多くは神父で、修道女はエーリカを含めてたったの3名だ。当たり前だが日本人は一人もいない。

 コイツらに気を遣う必要はないなと判断する。どうせ何もかもが『遅かれ早かれ』という奴で、変に都合よく誤魔化そうとしてもどこかでボロを出すだろう。最低限度だけ話を合わせてやり、後は思う通りに振る舞うことにした。


「皆様、よく来てくれました。貴方達の尽力のお蔭で被害は最小限に留まったと言えるでしょう。要請もしていないのに来援してくださったこと、心より感謝します」

「っ……! お、お褒めいただき歓喜の極み! しかしフィフキエル様にそうまで遜られては身の置きどころがありません……! どうか頭を上げてください!」


 頭を下げて礼を言うと、慌てたようにエーリカが懇願してくる。

 東京在住の身として礼を言っただけなんだが、話を詰まらせるつもりは俺にもない。頭を上げて部隊員の顔を見渡した。軽く労っただけで感極まったように目を潤ませる連中ばかりだが、一人だけ特に恐縮した様子もなく顔を伏せた修道女がいるのを発見する。

 クリームみたいに明るい髪色だ。被った黒いヴェールで髪の長さは隠され、碧く鋭利な双眸を黒縁の地味な眼鏡で覆っている。名前は確か、クリスティアナ・ローゼンクロイツだったか。

 薔薇十字団の創設者の子孫らしい。表の世界だと空想上の人物とされていたが、彼女の祖先は実在していたようだ。独自に保有する技能として錬金術があるようで、頭のキレもよく【天罰】の作戦行動は主にローゼンクロイツが立案してきたようだ。


「それで貴方達はなぜここに? 来援は助かりましたが、少しタイミングが良すぎますよね?」


 実際問題、俺視点だと図ったようなタイミングだ。事実として助かりはしたが、なぜこのタイミングで来たのかは聞いておきたい。俺が質問をするとエーリカが率直に答えた。


「は。フィフキエル様が我らの許を離れ単独行動を始められた折りに、本部から我らへ指令が下されたのです。曰く、極東にて悪魔の人工的な製造を企てる【曙光】の邪気あり、早急にフィフキエル様と合流し、悪魔信仰者どもの企みを叩き潰せ――と。マザーラント隊長は本部に呼び出された故、私が隊長代理として指揮を執り急行した次第。これにあるローゼンクロイツが、東京に行けば必ずフィフキエル様と合流できると断定したので……」

「なるほど?」


 経緯は分かった。だがなぜ東京に行けば俺がいると判断できた? ローゼンクロイツをちらりと見るが、能面のような無表情を崩すことなく俯いている。フィフキエルの知識を参照しても、お気に入りやゴスペル以外はほとんど記憶しておらず、ただの下僕の一人としてしか認識していなかったのが分かるだけで、ローゼンクロイツの人となりは把握できなかった。

 とりあえず知りたいことは知れた。後は向こうの誤解を解いて……いや、俺がフィフキエルじゃないと説明したらどんなリアクションが返ってくる? よくて激高され、悪ければ殺しに掛かられるかもしれない。負ける気はしないが一応は恩を受けたのだし、無駄な争いを起こすのは避けたいが、では帰らせるのかというとそれも避けたい。俺が東京にいるという確定情報を持ち帰られてしまえば、それこそ俺に不都合な事態を招くことになるのは明白だからだ。


(面倒臭いな。いっそ恩を踏み倒してしまおうか)


 人間如きの為になぜ俺が頭を悩ませないといけない? 知恵を絞るのが億劫に感じ始めた時、不穏で傲慢な思考が脳裏に奔る。俺はそれに対して特に違和感を覚えることはなかった。

 腹の底にゾッとするほど冷たい殺意が芽生え、極寒の眼差しで跪く者達を見下ろす。幸いにも周囲に人影はない。街中ゆえに無数にある監視カメラも破損しているものばかりで、機能しているものからもここは死角になっていると知覚していた。目撃者は出ないだろう。

 殺してしまおうか、と思ったのではない。召して・・・やろうかという思惟が芽生えたのだ。

 人間は須らく死後は天国に逝くのを望む、それを叶えて天国に召してやろうというのだ。むしろ感謝されて然るべきで、なんて慈悲深いのだと自己陶酔に近い志操が脳を満たしていく。なんとも心地のいい独善は――しかし、ローゼンクロイツの発言で途絶えた。


「フィフキエル様、発言をお許しください」

「……なんですか?」

「先程、フィフキエル様はロイ・アダムスを手ずから討ち取っておられましたが、我らが来援するよりも前に負傷しておられたのではないですか?」

「……ええ。それが?」

「ご不快に感じられましたら申し訳ありません。ご存知の通り私は『過去視・・・』の異能を有しております。フィフキエル様ほどの御方の歴史は一時間も辿れはしませんが、それでも視えるものもあります。フィフキエル様は白い犬のような悪魔に、左腕を奪われておいでだ。これについてどうなさるのか、フィフキエル様のご意思をご教示ください」


 ローゼンクロイツの平坦な眼差しには、確かな怒りの火が灯っていた。

 彼女の言を受けてエーリカをはじめとする部隊員達が一気に殺気立つ。立ち上がったエーリカが憤怒を滲ませ、ローゼンクロイツを見下ろし怒鳴りつけるようにして詰問した。


「ローゼンクロイツ! 貴様、それは本当か!? だとすれば由々しき事態だぞ!? なぜ貴様は先程私を止めた? あの腐れう○こ野郎をブチ殺してやろうとしたこの私を! フィフキエル様に仇をなした汚物を逃がせとは、一体どんな了見があってほざいたッ! 度し難い不敬だ……ローゼンクロイツ、事と次第によってはフィフキエル様に代わり粛清してやるぞ!」

「……落ち着いてください、隊長代理。全てはフィフキエル様が決定なさるのです」


『過去視』か。ああ……そういえばローゼンクロイツにはそんな異能があったな。

 自己申告されるまで思い出しもしなかったが、確かに彼女の一族は独自にその異能を保有している。

 ありとあらゆる物質、人の辿った歴史を視認してしまえる異能だが、それにも出力の限界があり、一般人なら百年単位で読み解けても天使などの人外には通じにくい。俺は上級天使に分類される上位者の継承個体、故にどれだけ気合を入れて過去を視ようとしても、一時間あたりが限度だろう――というのが分かる。実につまらない異能だ。

 しかしローゼンクロイツは知恵者である。なぜ左腕のことを聞いてくるのか真意を問おう。


「ローゼンクロイツさん。なぜそんなことを? 当然・・、ブチ殺すに決まっているじゃないですか」


 そう。ロイに報いを与えてやったのに、もう一方のクソ犬を見逃してやる道理はない。俺は絶対にあのクソ犬をこの手で縊り殺してやるつもりでいた。

 だが問い掛けてすぐに気づいた。俺は苦笑してローゼンクロイツに言う。


「……ああ。ローゼンクロイツさん、貴女は私がアレをこの手で殺そうとしているのを察しているんですね。だからわざと逃がし、エーリカさんに後を追わせ拠点を暴こうとしているわけだ」


 するとローゼンクロイツは微かに瞠目した。その反応に俺は苦笑する。なるほど、ローゼンクロイツはフィフキエルをよく見ていたらしい。


 あの天使はローゼンクロイツを個人として認識はしていても、下僕の一人としか見ていなかった。だからローゼンクロイツの知恵や異能にも関心がなく、折角の頭脳も活用しないフィフキエルの性格を彼女は理解していたのだ。自分がきちんと意見しないと、フィフキエルは短慮を起こすだろう、と。それを自然に諌め、コントロールしていたのがローゼンクロイツだったわけだ。


「ご賢察です。フィフキエル様がお望みになられるであろう通りに、道筋を整えるのが忠実な信徒としての責務。差し出がましい真似をして申し訳ありませんでした。どうか、お許しを」

「許すも何も咎めるつもりはありません。寧ろよく気を遣ってくれました。私は嬉しいですよ、ローゼンクロイツさん。だからそう畏まらないでも大丈夫です」

「……っ! 勿体なきお言葉。しかし……」

「しかし、とは?」

「……いえ、なんでもありません」


 何やら俺の言葉遣いが気になって仕方ないらしいと察する。気にしないでほしいと思うが、ふとなぜ俺は人間如きを相手に丁寧な言葉遣いで応じているのか気にかかる。

 なぜだ? それは自分のポリシーだからだ。ポリシーだと? 相手が誰であれ、年下だろうが後輩だろうが、親しくもない相手に気安く接するのはダサいだろう。だから俺は親しい相手以外には慇懃に対応してきたはずである。故に今回もそうしているだけだった。


 そうだよな、と思う。相手が人間風情でも、安易に見下しては人として下の下……人として?


 そこで、やっと俺は目を見開いた。人間如き、だって? 俺も人間であるはずなのに、なんでそんなことを思った? 自らの変容に気づきゾッとする。慌てて自戒した。


(……私の価値観や倫理観が、人間のものではなくなってきているのか? 私も元は人間だということを忘れるほど。他人の価値観に影響されるとは情けない……自戒するべきだな)


『言霊』で自身のマインドを変化させることは出来ない。根幹が自身の願いを叶える力である以上、本心ではこの変容を悪いものだと思えていない為、期待した通りの効力を発揮しないからだ。

 だから意識して自戒するしか自身の変容を抑える術はない。その自覚を俺は胸に刻む。それはひとえに俺が俺じゃない誰かの影響で、自我の形を変えられるのが情けないと感じるからである。


「フィフキエル様。今一度差し出口を叩く愚昧さをお許しください」


 ローゼンクロイツが言う。いい加減フィフキエル呼ばわりされるのも不快になり、我慢の限界を迎えつつあったが、ひとまず先を促すことにした。

 無言でローゼンクロイツを見据えると、彼女は頭を下げて発言する。


「白い犬の悪魔はフィフキエル様の左腕を確保しております。これを【曙光】の拠点まで持ち帰られては良からぬ真似をされかねません。よって急襲を仕掛けるなら早い方がよろしいかと」

「………」


 奪われた左腕に良からぬ真似? そういえば元はと言えば俺がこんな状況に立つ羽目になったのも、あの連中が人造悪魔なんぞを造ったからだ。そんな連中が俺という天使もどきのサンプルを得たら何を仕出かすだろう? ……想像するだけでもなかなか不愉快な話だ。

 俺はエーリカに体ごと向き直る。

 あのクソ犬を早期にブチ殺すには、一撃を加えた相手の居場所ならたとえ地球の裏側にいようと正確に追える、【浄化の追っ手】という加護を持つエーリカに頼まなければならない。


「理解しました。私も自分の腕を何処の誰とも知らぬ輩に好き勝手されるのは不快です、よければ私を連中の居所まで案内してください」

「畏まりましたッ! しかしフィフキエル様、先程からどうなさったので? いつも通り我々にお命じください、御身の御心を乱す不遜の徒を討てと! 御身の手足として働けとッ!」

「ッ……」


 堪らず舌打ちしそうになるのを堪える。フィフキエル呼ばわりされるのが、どうにも癪に障って仕方がない。いっそこちらの事情をぶちまけて、コイツらを放り出してしまいたくなるが、それをすると後が面倒だしクソ犬も追えなくなる。今は我慢し利用するべきだろう。

 というか本気で読めないのだ。エーリカ達がフィフキエルの死を知ればどう動くのかが。激高して襲い掛かられたら反撃しないわけにもいかないし、穏便に済ますには嘘を吐くしかない。クソ犬を縊った後は全て打ち明けようかとも思い掛けたが、やめておいた方がお互いの為だろう。丸く収める為の方便を今から考えておいて、なるべく綺麗にお別れしたいところだった。

 なので仕方なくエーリカの求めに応じる。下僕なんか持ったことはないが、部下や後輩だと思えば音頭を取るのに抵抗もない。飲み会の幹事をさせられるよりは楽な仕事だと思い込もう。


「私から言えるのは単純なことだけです。今は目の前にあるタスクを片付けるだけでいい。貴方達は人造悪魔の製造所を潰す、私はクソ犬を殺す、これだけです。これだけで各々の目的は達成されますし、副次効果として無関係な一般人が巻き込まれるリスクも減ります。貴方達にとっても楽な仕事だ。気張らず手早く始末して、さっさと家に帰りましょう。いいですね?」


 淡々と告げる。だが【天罰】の面々の反応が悪い。訝しんで見渡すと、いつもと勝手が違うと感じているらしく戸惑っているようだった。

 俺は嘆息し、もう一度繰り返す。


「……いいですね?」

「は、はいっ!」

「よろしい。早速業務に取り掛かりましょう。シモンズさん、頼みます」

「お、お任せください。こちらにヘリがあります、急ぎ【曙光】の粛清に向かいましょう」


 やる気は充分。俺はエーリカの先導に従って歩き出し、俺の後ろに続く神父や修道女をなるべく意識しないようにしつつ、【聖領域】で囲って一般人の知覚範囲から隔離した。

 街の外れに安置されていたヘリのコクピットに、実力ではエーリカを上回るイーサン・スミスという神父が搭乗する。俺は他の連中と一緒に後部ハッチ内部に乗り込んで缶詰になった。


「なんですか。じろじろ見ないでください」


 適当な所に座ると、なぜか離陸を始めたヘリの中で【天罰】の部隊員達の視線が集まる。煩わしさを感じて軽く睨むと、申し訳ありません! と声を揃えて謝罪され視線が散った。

 大方これまでのフィフキエルとの差異が気になっているのだろうが、無駄に親睦を深めるつもりもない俺は口を噤んだままでいる。口は災いの元だ、どうせ短い付き合いになるからと、無駄に角を立てる必要もないだろう。


 ――こうして俺は、半ば流れに乗る形で【曙光】の拠点へ向かうことになった。


 ヘリが目標地点まで飛翔する中、俺は【天罰】の面々から向けられる信仰心で、天力の自然回復速度が向上しているのに複雑な思いを抱えつつ。目を閉じてロイとの戦いを脳裏で反芻する。

 いい経験をした。いいことを学べた。殴り合いの技術もそうだし、白兵戦状況下での読み合いもそうだ。何より貴重な実感を得られたのが大きい。

 俺はロイとの交戦でとても爽快な気持ちを知ることができたのだ。


 それは、正義は楽しい・・・・・・ということ。あの爽快さは、病みつきになる。


 俺は目を閉じたまま薄く笑んだ。正義の行いを執行するのは気分がいい、この感覚は危険だが――相手が無関係な一般人を巻き込むような悪人になら、気を遣って自重する理由もなくなる。


(早く着いたらいいな)


 俺は切に希望する。爽快な復讐を、正当な暴力を。


 だって、悪人は死んだ方が世のため人のためになるだろう。

 復讐するは我にあり、というわけだ。






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