エピローグ

第44話 大学、それから


 あの時感じた心のモヤモヤとか、曇り空とか、友人と交わした言葉のひとつひとつとか、それから家族の決断や、先生のアドバイス、そんないろいろなものをひっくるめて、もし僕があの時以上に頑張っていたら、もしくは頑張っていなかったら、僕はきっと違う選択をしていたと思うし、そうなったらきっと今ここにいなかったと思う。だから僕がここでこうして、今立っていることは、沢山の縁の集まりであって、奇跡であって、だからこうしてきみに出会えた偶然に感謝しなければならない。


 盛岡西高校を卒業後、僕ら家族はバラバラになった。父と母は予定通り別居を始め、僕は大学の近くにアパートを借りてひとり暮らしを始めた。

 仲の良かったノリは岩田さんとともに上京し、頭の良かったなべやんは岩手大学に入学。奥寺さんは秋田の大学へ行った。遠野君はスポーツ推薦で東京の私立大学へと進んでいった。

 僕は岩手県立大学へなんとか入学できた。同じ高校から県立大学へと進んだ友だちも何名かいたけれど、高校生活とは違って、みんなすぐに大学でそれぞれ仲間を作って、次第に疎遠になっていった。

 構内で高校時代の友人と会った時、「よお、大地元気か?」と、金髪の男に声を掛けられ、一瞬誰だか分からなかったが、隣のクラスの真面目な友人だと気がついた時、「あぁ、これが大学デビューなんだな」と衝撃を受けた。

 僕は僕で新しい友だちができ、ツーリングサークルに入り、勉学の傍らアルバイトをして貯めたお金で買った中古のバイクに乗り、大学生活を楽しんだ。

 男ばかりのサークルだったけれど、バイクをいじる楽しみやツーリングする楽しみを知って、父さんともツーリングをしたいなと思った。

 だけど、ちょうど同じ頃に父さんと母さんは離婚をした。僕は「佐々木」から母さんの旧姓である「田鎖」になった。

 父さんはメールで「元気でな」とだけ別れを告げてきた。バイクで当時別居をしていた父さんの住まいに行ったが、もうそこには誰もいなかった。

 母さんに訊いても父さんの居場所は分からなかった。父さんは連絡先は変えずに、時たま「元気か?」とだけメールをしてきた。近況報告をメールで返信しても、それに対する返信が返ってくることはなかったが、それでもまだ繋がっている、と思えた。

 大学三年生の時には、新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るった。主要都市と比べて岩手県内での感染者数こそ少なかったものの、それでも感染症対策に苦しめられた。

 大学もオンライン講座に切り替わり、一時的なものなのか、しばらく続くのか。僕らはちゃんと卒業できるのか。不安な日々が続いた。

 そんな中、ゼミで仲が良かった女の子に告白された。明るい性格でよく一緒に勉強したり、食事したりしていて、僕も彼女といると楽しかった。だけれど、それは友だちとしてであって、それ以上の感情は持てなかった。

 彼女から「好きな人でもいるの?」と言われた。

 連絡先すら知らない、三年前に会ったのが最後で、今どこにいるのかも分からない人のことを好きな人と言えるのか分からなかった。

 それでも僕はあの日からずっときみのことを想っていた。一方的にただただ想っているだけの気持ち悪い男かもしれない。見ている目線が合っていないのも分かっていた。

 もう誰か素敵な人と一緒になっているかもしれない。例えば、高校の時に少し噂になっていたコージローこと、茂庭孝次朗もにわこうじろう先生とか。もう結婚しているかもしれない。

 それならそれで良いんだ。あの日の出来事は、高校を卒業したことで終わったのだ。

 僕は僕の道を進み、きみはきみの道を進んで、僕ときみは生徒と教師から、元教え子と教師になっただけで、目の位置はやっぱり違っていた。それだけのことなんだ。

 たかだか高校生活として一年共に過ごしただけなのに、いつまでも引きずっていて、本当に自分勝手な愚かな人間だと思った。

 だけどやっぱり僕はあの時のきみの笑顔が忘れられず、あの時のように必死に頑張れば、またきっときみの笑顔が見られると、ただそれだけを信じていた。

 何の根拠もないし、何の行動もしない。僕はあの頃と同じで何も変わっていないのかもしれない。


 「きみには無理さ」

 「大人になれよ」


 紫波真紀さんは動画共有サイトにアップしたミュージックビデオがヒットして、いまや若い世代を中心に活動の幅を広げている注目のアーティストになっている。

 盛岡西高を巣立って、日本中で活躍している彼女を見ると、僕も嬉しくなる。もちろん僕も高校卒業後も紫波さんの音楽を聴き続けている。

 この前、横浜で紫波さんのライブが開催されたのだけれど、そこにノリが新しい彼女と行ったそうだ。

 そう、ノリはいつのまにか岩田さんと別れてしまっていた。理由は分からない。何でもすぐに教えてくれるノリが、別れてしばらくしてから僕に報告してきたのだ。その件について訊こうとしてもノリはあまり話したくなさそうに話題を変えるので、あまり訊かないことにした。

 夏休みにバイクで東京までノリを慰めに行こうと思っていたのだけれど、夏休みが来る前に、ノリから新しい彼女ができたと嬉々とした報告があって、しかも二人で沖縄旅行に行ってくると連絡があったので東京に行くのはやめた。ノリの行動力の早さは昔から変わらない。

 岩田さんは何をしてるのだろうか。僕のスマホの連絡先には岩田さんの連絡先が登録されている。だから連絡先が変わってなければ、直接訊くことだってできるのだけど、元カレの友だちから突然連絡が来ても迷惑だろうと思って、今まで特段連絡していない。

 語学堪能だった岩田さんは外交官の仕事に就けたのだろうか。岩田さんならいまごろ海外で活躍しているかもしれない。

 語学と言えば、僕は僕で高校の時は現代文が苦手だったのに、大学では文系の学部に入り、国語科の教員免許を取得した。

 だからといって現代文が得意になったかというとそういうわけでもない。答えのない科目はいくつになっても難しいものだ。

 そして大学を卒業して初めて赴任したのが、花巻高校だった。まさかそこでずっと想い続けていた先生に会えるとは思いもしなかった。

 偶然なのか、それともただ単に世の中が狭いだけなのか分からないけれど、僕の想いだけはますます大きくなった。

 だけどもそのはやる気持ちを抑えて、職場での会話や食事を重ねながら改めて先生のことを知る時間を作った。先生はあの頃よりも美しくなっていて、あの頃よりも頼れる教師になっていた。

 知れば知るほど、先生のことが恋しくなり、そしてその翌年の春、僕は先生に想いを伝えた。学生の頃とは違って、ただの憧れではなくひとりの女性としてあの頃以上の想いを伝えた。

 だけど。だけど、先生は頷かなかった。やっぱり僕と先生は見ている目線が違っていたんだ。

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