第37話 キーケース

 こたつの中央に持ってきた荷物を置く。革製のキーケースや財布だ。パステル調のライトグリーンやライトイエローなどカラフルな色をしている。

「かわいい。触ってもいい?」

「もちろん」

 私は、布巾で手を拭いて、その一つを手に取った。

 キーケースはしっかりと金具のボタンが取り付けられていて、開け閉めもしやすい。中には五本のキーが収納できるようにフックが付いている。

「すごいじゃん。売ってるやつみたい」

「売ってるのよ」

「え、なに? どういうこと?」

「ハンドメイドサイトに出品してるのよ」

 母はスマホで通販サイトのページを見せてくれた。

「ほんとだー。しかもカテゴリランキング四位って。人気じゃん」

「そうなの。おかげさまで」

 母は昔からものづくりが得意だった。小学校に持っていく雑巾はすぐに作れちゃうし、中学校の時はお弁当箱を入れる巾着も縫っていた。

「いつから始めたの? 夏に来たとき何も言ってなかったじゃん」

「そのあとからだもの始めたの。友だちに手伝ってもらって通販サイトに売り出したら、どんどん売れちゃって」

 丁寧に縫い込まれており、よく売れるのも分かる。

「好きなの一個持っていき」

「え、いいの?」

 母は卵サンドを口に運びながら言う。

 こたつの上に並べられたカラフルな小物を眺める。

「じゃあ……これにする」

 私は卵のような綺麗な黄色のキーケースを選んだ。長方形なので余計に卵サンドの卵に見える。

 今使っているキーケースがだいぶ傷ついてきたので交換しよう。初任給の時に自分用に買ったブランドもののキーケースだ。

 カバンに入っている茶色いキーケースを取り出し、自宅と実家、車の鍵を取り外した。

「しずくは、仕事以外ではどうなの? 順調?」

「んー。まあまあかな?」

 新しいキーケースの金具は丈夫な造りでなかなか鍵が入らない。

「まあまあって、もう少しなんかないの?」

「えー、普通に友だちと買い物行ったりとか、マッサージ行ったりとか、それなりに充実してるよ。あ、そうだ、美緒がね、この年末年始にハワイに行くんだって。新婚旅行」

 カチャリと音がして、ようやくキーが入った。うん、良い感じだ。あとふたつの鍵も金具につける。

「へぇ、そうなの。美緒ちゃん、大人になってますますキレイになったわよね」

 美緒が結婚した時に、母にチャットアプリで美緒の晴れ姿を送ったのだ。

「よし、できたー」

 キーケースを母に見せる。黄色くかわいい卵サンド柄のキーケースにゆらゆらと鍵が揺れている。

「あら、いいじゃない」

「うん、ありがと」

 布巾で手を拭いて、食べかけの卵サンドを手に取り口に頬張った。おいしい。

「最近、周りが結婚ラッシュでさ。ちょっと焦るよね」

「そうなの? 人は人、しずくはしずく。焦ることないじゃない」

「そりゃあ、そうなんだけどさ」

「美緒ちゃんって職場婚なんだっっけ?」

「ううん、違うよ。でも同じ教員」

「そうなの。しずくの職場には誰か良い人いないの?」

「んー、あんまり意識してないからなあ」

 実は一人だけ頭に浮かんでいる人がいる。この前も二回目の食事も楽しく出来たし、職場でも気兼ねなく話せている。

 異性として意識したり、好きとかそういう恋愛感情はないけれど、良い人だなと思うこともあるし、気になっているのは事実である。

 あくまで仕事仲間として適度な距離感を保つのが、お互いにとって良いのだろうと思うのだけれど、昔のことを思い出すとやはり少しだけ意識してしまう。

 自意識過剰なのは分かっている。あの頃はお互い若かったし、あれからもうだいぶ時間も経った。突然の再会に驚いたけれど、昔は昔、今は今なのだ。向こうにとってもあの出来事は「青春の思い出」のはずだ。

 ただ、私を追いかけて教員になったと聞いたときは正直嬉しかった。

 こんなこと森先生の耳に触れようものなら、私はきっとたるんでいると激しく叱られることに違いない。


 テレビでは年末恒例の近年の事件事故をまとめた特別番組がやっていた。本当に痛ましい出来事、二度と起きて欲しくない災害などが数々放送されいて、すぐにチャンネルを変えた。

 一瞬だけ見た中に、東日本大震災の映像が映っていた。その当時、私は高校生で、母と二人で盛岡に住んでいた。学校にいた私は、地震発生時何が起こったのか分からなかった。美緒と抱き合いながらその場をやり過ごした。

 テレビを観ることができる携帯電話を持っていた男子生徒がいて、その周りにみんな集まり出した。テレビを観て地震が起きたことが分かったけれど、どんな規模なのか、どういった被害が出ているのか、詳しいことはテレビでも状況を把握していなくて、激しい揺れに注意するように促すばかりだった。

 やがて学校から指示が出て、私たちは帰宅することになった。すでに停電や断水、通信障害、交通網の遮断が発生しており、帰宅困難者は学校での避難が指示された。

 私も美緒も徒歩組だったので、余震に気をつけながら学校を後にした。

 母はすでに勤務先から帰宅していた。母とも連絡が取れていなかったので、帰った瞬間に「無事で良かった」と抱き合った。

 そしてテレビに映っていた映像を観て、ようやく事の大きさを理解した。

 内陸である盛岡には津波の被害はなかったものの、生まれ育った沿岸部の久慈市では大きな被害が出ていた。

 私たちの生家――と言ってもその当時は、全く別人が借りていた家だけれども――は久慈駅から山間へと進んだところにあるため震災の影響を受けなかったけれど、沿岸部は相当被害が出ていた。

 子どもの頃に母と父と一緒に行った水族館「もぐらんぴあ」が全壊していた。

 小学校の頃、社会科見学で行った市営魚市場も波に呑まれた。

 よく歩いていた沿岸の防潮堤の上には漁船がおもちゃの船のように乗っていた。

 テレビやラジオの情報を元に久慈市の被害状況を把握しながら、中学校までの友人の安否確認をする日が続いた。津波により家屋が全壊や半壊してしまったが、幸い友人とは全員無事に連絡が取れた。

 震災の翌日、私は十七歳の誕生日だったのだけれど、世間では「自粛」の空気が流れていて、でもそんなことは関係なしに誕生日を祝うような心の余裕はなかった。

 それよりも自分自身と、それから家族や友人が生きていることにただただ感謝をしたのだった。

 2016年には「もぐらんぴあ」も元の場所で復旧再開し、被災に遭った各施設も震災前の姿へと復興しているけれど、失った時間を完全に取り戻すにはまだ時間が掛かりそうだ。


「しずく、七味は?」

「うん、使う。ありがと」

 私たちは「ゆく年くる年」を見ながら年越しそばを食べた。母が海老の天ぷらを揚げ、私がそばを湯がいた。

 鐘の音を聞きながら、そばをすする。

「早く平和な日が戻ってくると良いわね」

「ほんと、そうね」

「来年も良い年になりますように」

 テレビの音ではなく、遠くで除夜の鐘が鳴っていた。今年ももう少しで終わりだ。一年の出来事に思いを馳せながら年を越した。


 年が明けて母とのんびりと正月を過ごしていると、チャットアプリに新着メッセージが届いた。

 画面をみると「田鎖先生」と書いてある。タップして内容を確認する。

 ――新年あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました!

 初赴任の学校でまさか春野さんにお会いできるとは思ってもなく、また、新人の僕にとって春野さんから学ばさせていただくことが多々あり、大変貴重な一年でした。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 またご飯に行きましょう!

 

 私はさっそく返信をした。

 ――あけましておめでとうございます! こちらこそ昨年はお世話になりました。

 まさか同じ学校で働けるだなんて、こんなことあるんだなぁ、と今でも驚いています。

 一緒に仕事が出来てとても充実した一年でした。今年もどうぞよろしくお願いします。

 ご飯、はい、ぜひぜひ。

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