第21話 騒がしい職員室

***

 特別棟の廊下を歩いていると、男の先生に声を掛けられた。

「すみません。図書室ってこの先ですよね?」

 若い方の新任の先生だ。爽やかな短髪に四角いフレームのメガネ。しっかりとスーツを着ていて、いかにも新任教師といった感じだ。この前、職員室で紹介された時は遠くてあまり容姿が見えなかったのだ。

「図書室ですか? 図書室はこの先の階段上がったところですよ」

「上の階か。ありがとうございます」

 男の先生がニコリと微笑んだのが分かった。彼はまるで探し物が見つかったかのように瞳をキラキラと輝かせていた。

「あ、僕、新しく赴任した田鎖です。現代文の」

「田鎖先生」

「はい。よろしくおねがいします。春野、先生ですよね」

 田鎖先生は目を細める。

「え、あ。はい」

 一瞬、ドキッとした。田鎖先生のその目元と同じ目を昔見たことがあった。気のせいかもしれないが似ていた。昨日美緒に会っていたせいか、昔のことが余計に思い出される。

 彼はいま、どこで何をしているのだろう。懐かしさから卒アルを見たくなった。帰ったら見てみようかな。

 その時、始業のチャイムが鳴った。田鎖先生はまたニコリと目を細めると、「それでは」と立ち去っていった。

 私も急いで教室へと向かった。



 授業が終わると佐々木くんが駆け寄ってきた。

「春野先生ー」

「あら。どうしたの?」

「どうしたのって、落としたよ、これ」

 佐々木くんは床に落ちたプリントを拾い、差し出してきた。

「わざわざありがとう」

「先生ってちょっと抜けてますね」

「そんなことないわよー。さっきの授業、佐々木くんが窓の外ばかり見て聞いてなかったのちゃんと知ってるんだからね」

「げ」

「げ、じゃないわよ。ちゃんと集中しなさい」

「俺、次の授業の準備しなきゃ。じゃ」

「あ、ちょっと!」

 佐々木くんはくるりと向きを変え教室へと戻っていった。度が過ぎるようであれば、今度ちゃんと話をしなければ。

 職員室に戻ると、何やら騒がしかった。先生たちがバタバタと駆け回っている。

「どうしたんですか?」

 隣のデスクの三組の森先生に訊いた。森先生はシワの寄った顔で周りを確認すると、老眼鏡をクイッとあげて、私の腕を引っ張って引き寄せると小声で話してきた。

「わいせつ事件ですよ。生徒と先生の」

「えっ」

「しかも杉本先生よ、杉本先生。生徒に個人的な連絡してたんですって。好意を寄せるような内容で。いい歳して嫌よねぇ」

 森先生は持っていたボールペンをトントンとデスクに叩きながら、大きくため息を吐いた。彼女はテレビのワイドショーの内容でも話すかのような口ぶりだ。

 杉本先生とは三年一組の担任だ。歳は三十過ぎで、現代文を担当している。次の学年主任と言われているくらい優秀な先生なので驚きを隠せない。そして隣のクラスで起こったということに一気に身近に感じた。

 生徒は大丈夫だろうか。一組の生徒だろうか。

「あの。生徒は?」

「生徒はねー。春野先生……」

「春野先生! ちょっとこっちに」

 学年主任の竹下先生が校長室の前で私を呼んだ。

「きっと、事件のことよ」

 森先生が竹下先生の方をわざとらしく顎で示した。

 私は竹下先生と校長室へ入った。


 校長室には校長先生と学年主任の竹下先生、それから生徒指導の安藤先生がいた。

 竹下先生が「私から話します」と、事の詳細を話してくれた。

 まず、なぜ私が呼ばれたかというと、被害を受けた女子生徒が私の受け持つ三年二組の生徒、十文字はるかさんだったからだ。さらに女性同士ということもあって彼女への今後のフォローも兼ねて、一度事実を話しておいた方が良いということのようだった。

 杉本先生の処罰については近々に下るそうで、今日は帰ってもらったという。先ほどまで杉本先生と話をしていたようで、竹下先生がその報告書をまとめているそうだ。

 竹下先生は、杉本先生から聞いた内容が合っているか確認しながら私に話をした。

 杉本先生は昨年の十二月末ごろに個人所有の携帯電話のチャットアプリを用いて十文字さんとやり取りを始めたそうだ。

 うちの高校では教師生徒間でのトラブル防止や教師のサービス残業削減などの観点から、教師と生徒の学校外での連絡は手段問わず原則的に禁止になっている。私も何度か生徒から連絡先を教えてほしい、と言われることがあるのだけれどその都度断っている。ただ、それが正しいのかと言われると私には分からない。

 間違った方向に行かないように禁止することは分かるが、その一方で、生徒が学校では話しにくいようなことを相談したいときに、チャットアプリがあれば気軽に相談に乗れるのだろうな、とも思う。

 もちろん最初はそういった生徒に寄り添うためといった理由で連絡してしまうのかもしれない。

 竹下先生の話によると、杉本先生も十文字さんから悩み相談を受けてやり取りを始めたようだった。

 それを聞いて、私は少し悲しくなった。彼女の悩みがどんなものか分からないけれど、どうして隣のクラスの先生に相談したのだろう、と。きっと私よりも相談しやすかったのだと思うと、自分の力不足を感じた。

 杉本先生は何度かチャットアプリ上で十文字さんとやり取りするうちに、彼女に対し一生徒以上の感情を持つようになってしまったようだ。そしてついにわいせつな内容を送ってしまった、と。

 翌日、十文字さんからの相談を受けたスクールカウンセラーによって今回の件が発覚したのだった。十文字さんは「信頼していた先生だったのに」とひどくショックを受けているようだ。

 杉本先生はチャット上でメッセージを送っただけとのことで事件性は低いものの、それでもメッセージを受けとった本人の心の傷は計り知れない。

 生徒の相談に乗りたいという思いが行き過ぎてしまったと思うと、生徒との距離感というのは本当に難しいと感じる。

「十文字さんのフォローはスクールカウンセラーに任せるけど、クラスの雰囲気が少しでも変だと感じたらすぐに報告してほしい」

「女性同士だし、私らには分からない感性があるだろうしね」

「杉本先生が急にいなくなったことで、校内で必要以上に噂が一人歩きしないように注意してもらいたい」

「分かりました……」


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